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第44話 秘め始め
その天然パーマはと言えば、あの時三弦と二人で寝ていたベッドのファブリックを総取り換えした。
そもそも壊れたエアコンの修理が来るのに時間がかかったのだ。
なのに音丸がいつまでもベッドで寝ようとしないから、床で寝るために電気カーペットを購入した。それにデザインを合わせようと布団カバーやシーツ、枕カバーも買い変えた。ついでに窓のカーテンまで新調して、しまいには、
「いっそベッドも新しくしようか。音丸さんもその方が気持ちいいよね」
と家具まで買い替えそうな勢いなので「もういいから」と頭を下げてベッドに入った。
そして少しばかり資金援助もする。のし袋に入れたピン札を見て、嬉し気に頬を上気させる龍平である。
「こういう袋って結婚式のご祝儀だけじゃないの? ふつうに使ってもいいんだ。めっちゃ日本的だね」
のし袋をためつすがめつする龍平は、なるほどアメリカ育ちの帰国子女なのだった。
この際どうでもいいことだが、音丸ファンサイト管理人の菅谷百合絵はイギリスからの帰国子女らしい。時に二人で英語で内緒話をしているのが、音丸には少々気に入らない。
いつからか音丸は仕事が終われば龍平の部屋に帰るようになっていた。多国籍料理の香りがする老朽アパートには着替えや衣装を取りに帰るだけである。
新しい色合いのベッドでいちゃいちゃするのは至福である。これまで誰にも話したことのない過去のことや、この先の展望なども話して聞かせる。
「いい加減あのアパートは出たいんだが。了見が狭くなるからいつまでもあんな所にいるもんじゃないと師匠にも言われるし」
「うん。いいかもね」
「しかし、もし引っ越すなら……龍平が……いや、つまり……」
「僕が何?」
「たとえば、二人で暮らすのも……この際、まあ、悪くないかと……」
息が詰まる程に抱き締められる。
「いや、別に、夢というか……現実的には無理だろう。人にどう説明すれば……」
「アメリカから帰って来た親戚と同居する!」
とまた息が詰まる程にキスされる。
そんなこんなでずっと二人でベッドの中にいる。時間がなくセックスまで到らずとも、艶のある天然パーマに顎を埋めてぐりぐりするだけで充分なのだ。
「音丸さんといるだけでよく眠れるんだ。精神安定剤みたいな?」
先に言われてしまう。二人で何をのろけ合っているのやら。
長野の銭湯、月の湯から正式に落語会のオファーがあったのは正月初席も終わる頃である。大学の落研と共同開催でゴールデンウィーク明け五月中頃開催とのこと。
ありがたく引き受ける。もともと仕事は選り好みせずに受けていたが、キャンセル騒ぎ以来その傾向は強まっている。
三弦はあの大学の落研に所属しているそうだが、顔を出すのだろうか。たった一言詫びの言葉を送っただけで以後、何の連絡もしていない。
龍平は三弦については何一つ口にしなくなった。当の三弦からも連絡は途絶えている。
向こうで三弦に会ったらどうすればいいのか。一人頭を悩ませる音丸だった。
大学三年に進級するまでに三弦にはいろいろな変化が訪れていた。
まるで止まっていた時間がにわかに動き出したかのようである。いつから止まっていたかと考えれば、たっぱちゃんと別れた中学一年生の秋からだったのかも知れない。
まず春休み中にアパートを引っ越した。
一人で不動産屋を巡って見つけた物件はバストイレ付きのワンルームアパートだった。以前の木造アパートが音丸の住まいに似ていたなら、今度のワンルームアパートは龍平のそれに似ている。別に意識して選んだわけではないが。
もっとも月の湯に近いことはこれまでと変わりがなかった。同じ町内での引っ越しだった。落研の部長たちが手伝ってくれたので、レンタカーに荷物を積み込んで何度か往復するだけで済んだ。
ワンルームのキッチンは以前よりやや広く新しいので自炊にも力が入る。引っ越しを手伝ってくれた部長らにまた蜂の子の炊き込みご飯やイナゴの佃煮をご馳走して少し引かれる。美味しいのに。
引っ越しを終えると一眼レフカメラを購入した。試しに新居を写したりしたが、本領は山野草の写真撮影に発揮されるはずだった。免許証もそのためにとったのだ。
そうなればいちいちレンタカーを借りるのも面倒臭い。実は車も買いたくなっていた。
と、にわかに仕送りの金を使えるようになったのが、三弦の最大の変化だった。
何故かはわからない。けれど以前のように継父に遠慮して欲しい物を我慢せずとも良いのだと思うようになっていた。
自分のために金を使うのは悪い事ではないし、自分にはその価値があると思えるようになったのだ。
では、これまでは自分には金を使う価値がないのかと思っていたのか?
何故かそんな気がしていた。寝小便たれでいじめられっ子の自分は、祖父母や母やたっぱちゃん達に迷惑をかけてばかりである。自分のために金を浪費するなど贅沢と感じていた。
その感覚がいつの間にか薄らいでいた。まるで信州の雪が春と共に消えて行くかのように。
もちろん無駄遣いはしない。あの正月休みに横浜の実家と長野とを何度も往復したのは全くもって無駄な散財だったと反省している。学生の自分にふさわしい金の使い方とは何なのか、まだ手探り状態ではあるが。
金に関する一考としてアルバイトも始めていた。週に三日、午後の数時間をファミリーレストランで働くことにした。
そこで悟ったのは、実は自分が意外に気が利く人間だったということである。同僚よりも先に困っている客に声をかけたりしている。それが小賢しく見えるのか、結果またしてもいじめの対象になりつつある。
けれどもう黙っていじめられてはいなかった。さすがに〝金明竹〟の言い立てを怒鳴ることはなかったが、シフト調整など必要な時には自己主張した。
音丸が〝三弦は一人で生きて行ける人間〟と言ったのは正しかったのかも知れない。
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