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4-24 病鬼の噂

 皓月(こうげつ)村。  村に唯一ある宿は賑わっていたが、皆どこか疲れた様子で、無明(むみょう)たちの姿を見るなり一斉に縋り付いて来た。 「その衣、金虎(きんこ)の公子様と白群(びゃくぐん)の公子様だろう!? もしかして都の怪異を鎮めに来てくれたのかっ」 「そうだ! そうに違いないっ」  商人のような身なりの者たちは、拝むように手を合わせて、お願いします! どうか! と口々に同じようなことを叫んで来る。  竜虎(りゅうこ)はやっとのことでその包囲網を抜け、宿屋の主人に声をかける。 「一体どうしたというんだ? 玉兎(ぎょくと)には姮娥(こうが)の一族がいるだろう? なんでこんなことになってるんだ?」  宿屋の主人も、突然騒ぎ出した客たちをなんとか宥めようと努力していたが、勢いに押されて今は隅で縮こまっていた。  無明と清婉(せいえん)白笶(びゃくや)の後ろに隠れてなんとか難を逃れているが、客たちはお構いなしだった。ぱっと見ただけでも二十人くらいはいる。 「実は、今、都が大変なことになっているようで······ここにいる客たちは都から無事に逃げてきた人たちなんです」 「は? いつからそんなことになっている?」 「それは······ああ、確か、碧水(へきすい)の方で光る陣が空に見えた日の二日ほど前だったと思います!」  詳しく教えてくれ、と竜虎は騒がしい店内を無視して、店主に訊ねる。客たちは任せたぞ、と無明に目線で合図を送る。  微動だにしない壁のように立っている白笶は、すべての客の声を聞いているようだが、ひと言も返事はしていない。  代わりに、無明がその背中から顔を出して答えているようだった。 「病鬼(びょうき)が出て、宗主や他の術士たちが疫病にかかったらしいです。しかも普通の治療ではどうにもできないらしく、それは徐々に都中に広がって、今では誰も外に出られなくなっているとかなんとか」 「言っても数日だろう? そんな短い期間で、都中にだって?」 「ここだけの話ですが、どうやらその病鬼(びょうき)は特級の妖鬼だとか!」  竜虎はそれを聞いて眉を顰める。以前白冰(はくひょう)に訊いたのだが、特級の鬼は術士たちがその居場所を把握している。  人の世に害を齎すことがほとんど、というかまずないのだと。現に、渓谷の妖鬼はこちらを傷付けることはなかったわけで。それがどうして急に事を起こす必要があるのか。 (まさか、烏哭(うこく)の仕業なんじゃ)  しばらくして、自分たちが訴えたいだけ訴えたからか、言いたいことをすべて言い尽くしたからか、客たちは何とか落ち着いた。  一行はようやく宿の部屋に案内してもらい、竜虎は店主に聞いた話を伝えた。 「私も、聞いたことがない」  白笶は首を振る。となると、考えらえることはふたつだろう。 「ひとつは、疫病は本当だけど、鬼の仕業じゃない。もうひとつは、病鬼(びょうき)が故意に疫病をばら撒いた。そしてその命を下したのは、四天の誰か」  無明は逢魔をこの場に呼びたかったが、竜虎や清婉にまだ説明していなかった。  そもそもどう説明したらいいか迷っていた。渓谷の妖鬼は本当は鬼神(きしん)で、自分たちをずっと見守ってるよ、なんて。 「四天は蟲笛使い、傀儡使い、妖鬼使い、幽鬼使いがいる。白鳴(はくめい)村と都を襲ったのは前者ふたりだ。都を襲った傀儡使いは、殭屍(きょうし)や中級の妖鬼を大量に操れる。兄上から話を聞いた限りでは、おそらく彼の仕業だろう」 「そうなると、今回は妖鬼使いってことですか? 特級の鬼を操れるなんて、厄介すぎるでしょう?」  そもそも、先程も言っていたが、特級の鬼に病鬼(びょうき)はいない。なぜなら、そもそも病鬼《びょうき》は、中級に属するからだ。 「作り出したのだろう」  白笶ははっきりとそう言った。作り出す?と竜虎は首を傾げる。そんなことができるのか、と。 「妖鬼使いは、常に一体、傍に鬼を用意している。時間をかけて等級を上げ、自分に忠実な(しもべ)になるように調教する」 「じゃあ、噂は真実に近いということ、」  こく、と白笶は頷く。病鬼(びょうき)を消滅させない限り、疫病は治まることはない。広い都の中から捜し出すのは困難なはずだ。 「大丈夫なんでしょうか? 姮娥(こうが)の一族のみなさんや、都のひとたちは」  青ざめた顔で清婉は呟く。しかも頼みの姮娥(こうが)の一族の宗主までもが、病に倒れているだなんて。 「なんにせよ、行ってみない事には始まらない」  宗主は倒れたと聞くが、その娘たちはどうやら無事らしい。邸を訪ねて、彼女らに話を聞いてみるしかないだろう。  無明はひとり、暗い顔で膝の上に置いた指に力を入れていた。それに気付いた白笶は、そっとその手に触れる。 「うん、そうだよね。落ち込んでなんていられないよねっ」  一瞬、自分のせいではないだろうかと考えて、止める。前に進むしかない。    不安を拭うように、無理に笑って見せる。それを見て、竜虎は無明の視界を手の平で覆った。  笑顔を作っていた口元が少しだけ緩む。 「お前が気にすることじゃないだろ? 無理に笑わなくてもいい」 「ありがと、竜虎」  ふたりの言動に清婉は首を傾げる。どうして都の事で無明が気にする必要があるのかと。しかし、それを考えるのは自分の役目ではないと首を振った。 「難しい話は終わりましたね! では! 気を取り直して、温泉に入りましょう! ほらほら、無明様、行きましょうっ」  そう言って、大袈裟に明るく振る舞い、清婉は正面に座る無明の手を優しく取るのだった。

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