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6-4 死と生と

 それは、遠い遠い昔の話。  忘れもしない、あの晦冥崗(かいめいこう)での出来事の後。  神子をひとり残し、冷たくなっていく黎明(れいめい)を抱えて姮娥(こうが)の宗主たちの所へ戻ったところから、物語は始まる。  黎明には姉がふたりおり、六歳上の姉は姮娥の現宗主、暁明(きょうめい)、 三歳上の姉はその補佐役で、聖明(せいめい)といった。  黙っていても威厳があり、細身で背も高く迫力美人な暁明は、黎明と顔がよく似ていて、宗主が纏う特別な装飾が付いた藍色の衣を纏い、薄茶色の綺麗に纏められた髪や耳、首や手首に銀や綺麗な色の石が付いた宝飾をつけている。  宗主とは真逆で活発そうな明るい表情の女性で、誰からも愛されそうな大きな瞳の可愛らしい顔をしている聖明。  彼女の腹は大きく、五人目の子供がその中に命を宿していた。他の四人の子供たちは下の子が五歳、真ん中の子が七歳と九歳、上の子が十二歳という、子沢山なひとだった。  あの陣が晦冥崗(かいめいこう)を覆う前に、ふたりはすでにあの場から離れていた。聖明が急に産気づいたため暁明はそれに付き添う形で紅鏡(こうきょう)の野営地まで引き返していたのだった。  五大一族総出で、晦冥(かいめい)の地を攻めるために紅鏡の地に集結し、一体どれだけの犠牲を出したか、あの凄惨な光景を見れば一目瞭然だろう。  烏哭(うこく)、五大一族共に、死者は数えきれない。その結末を目にする前に、暁明はその場から離れた。  紅鏡は一度烏哭によって侵略され、見る影もないほどに都や金虎(きんこ)の一族の邸も破壊されていた。故に、取り戻した後も簡易的な野営でなんとか凌いでいたのだ。  野営の前で、暁明はひとり、珍しく疲れた顔で立ち尽くしていたところに、血だらけの弟を抱えた逢魔(おうま)がやって来れば、いつもの平静な彼女ではいられなかった。 「黎明····一体、どうして、こんなことに、」 「姐さん······師父(しふ)が、黎明が、なんにも答えてくれないんだ······神子も、あの後どうなったか、わからない········俺、神子と約束をしたよ? 次に逢った時に、必ず返すって······でも、それって、いつ、なんだろう。姐さん、黎明、大丈夫だよね?」 「逢魔、」  暁明は支離滅裂なことを口にする逢魔の頭に手を置いて、優しく、諭すように、真実を告げる。 「黎明は、もう、」  大量の血で赤黒く染まった藍色の衣。何があったかを問うまでもない。あの弟の事だ。神子をその命を懸けて守ったのだ。あの晦冥(かいめい)の地を覆った光の陣がその答えだ。神子もまた、その命を賭してすべてを終わらせたのだろう。  宗主たちだけに告げられた策。その通りに、神子はその身を捧げたのだ。これから先は、神子のいないセカイが待っている。  四神の加護も恩恵も、ある意味なくなり、新しい仕組みでの穢れの浄化が始まる。 「そんなの、嘘だよ」  黎明を抱えたまま、ずるずると地面に座り込み、覆いかぶさるように逢魔はしがみ付く。  だって、まだあたたかいのに。  いつもはほとんど表情が変わらないのに、笑ってるように見える。あんなに深い傷を負って辛いはずなのに、こんな穏やかな表情で眠っているわけがないのだ。 「逢魔、寂しいだろう······悲しいだろう。当たり前だ。今は、その悲しみに耐えなくていい。泣いても、いいんだ」 「······泣く? 俺は、ひとじゃない。涙なんて、出ないよ」  それは、嘘。ただの強がりだった。 「なら、私の涙がお前の涙だ」  黎明を覆うように抱きしめたままの逢魔を、地に跪いてそっとその胸に抱いた。あたたかいその温度に、体温のない逢魔は身を任せる。  暁明はしばらくそのまま逢魔を抱きしめていた。そんな中、野営の中から響き渡った声に、ふたりは顔を上げる。  元気な赤子の声だった。 「逢魔、人は必ず死を迎える。しかし同時に、新しい生命も生まれる。死は、決して終わりではない。あやつも、いつか、またどこかで生まれ変わる。それが、輪廻というものだ」  もちろん、その魂は真っ白になってしまう。別の命を授かり、別の人間として生まれる。  それが、魂の輪廻。  そこに黎明という存在はなくとも、そうだったモノが知らずに存在するのだ。 「魂が迷ってしまう前に、黎明を弔ってやろう。そして、新しい命をその腕で抱いてあげてくれ」 「………俺、は」  できることなら、このままずっと、黎明が黎明の姿でなくなるまで、傍にいたかった。肉が腐って骨になるまで、ずっと傍にいたかった。  間違っていると、解っている。  離れたら、もう、二度と、逢えない。けれども。 「姐さんに、······従う」  それでも、暁明のいう戯言を信じたいと思った。それが、たとえ優しい嘘であっても、もしかしたら本当かもしれないと、信じて。  いつか、また、同じ魂に出逢うことが叶うなら、それを希望にして。  黎明からゆっくりと離れ、逢魔は虚ろな瞳で呟く。暁明は従者を呼び、黎明を運ばせた。  その身体は、犠牲になった他の公子たちの亡骸と並べられ、後でそれぞれの地に戻り弔われるのだ。 「おいで、」  暁明は逢魔の手を取り立たせると、野営の中へと導く。  赤子の声は泣き止むことなくその場に響いていて、まるで誰かを呼んでいるかのようだった。

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