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6-5 無垢

「おかえりなさい」  宵藍(しょうらん)が小さく手を振って微笑んでいた。ひとりで邸の外へと行っていた逢魔(おうま)が、やっと帰って来たのだ。  先程まで逢魔が幼かった頃の話をしていたので、その成長ぶりに改めて感慨にふける。 「ただいま。門の前で姐さんたちと偶然会ってさ。一緒にお茶してきた」 「そういえば逢魔はまだ会えていなかったもんね。聖明(せいめい)のお腹にびっくりしたんじゃない?」 「名前を考えてって言われたよ。俺、どうしたらいい?」  夕焼け色に染まるあの縁側で。  甘えるように神子の左横に座って、頭を撫でられている逢魔は、どこまでも嬉しそうで、まるで少年のようだった――――。 ****  晦冥崗(かいめいこう)を出た後、絶えずに話しかけてくるその声に、ひとつとして応えることはできなかった。  遠くなっていく意識の中で、宵藍との誓いを思い出す。 「私は、君に残酷なお願いをしているって解ってる。人の魂を縛るその制約は、呪いとなんら変わらない。永遠の輪廻。本来の輪廻とは違う、その記憶を残したまま繰り返すそれは、理から外れた禁呪と同じ。それでも、君の気持ちは変わらない?」  寝台に仰向けになっている黎明(れいめい)の上に乗って、宵藍は悲しそうな顔で言う。  頬に触れてきた指先が微かに震えていて、冷たかった。その右手を握りしめ、そのまま引き寄せる。 「変わらない。君を守る。永遠に、君の傍にいる」   近づいたその顔に小さな笑みを確認し、そのまま口づけを交わした。  たとえ、君がいない時間をひとり、生きることになっても。  絶対に、君を見つける。 「だから、君をひとりには、させない。最期まで、傍にいる」  本当なら、晦冥崗(かいめいこう)には宵藍だけが行くことになっていた。それが始まりの神子からの命だったから。  けれども、黎明と逢魔は共に赴いた。きっと今までのようにどうにかなると、心のどこかで思っていたのだ。  烏哭(うこく)との戦いを終わらせ、三人で帰る。そして、旅の続きをまた始めるのだと。そう、信じていた。  けれどもその願いは、叶わなかった。  手のぬくもりが離れていく、その一瞬まで。  君は、笑っていた。  あの夜、宵藍の血を飲み、交わり、あの儀式を行った。  こんなことで本当に神子の眷属になり、永遠の輪廻を繰り返すのだろうかと正直疑った。しかし、その不安も疑いも、次に目を覚ました時に塗り替えられる。  強い光に引き寄せられるように、身体から離れた意識がどこかへと連れて行かれる感覚。それは、まるで水の中を漂うような心地好さだった。そして光が消え、やがて暗闇が訪れる。 「こんにちは、可愛い子。私の所に来てくれて、ありがとう」  よく知る声が耳元で響いた。まだ視界はぼやけており、よく見えない。 「ほら、姉様、逢魔、言った通りでしょう? 絶対男の子だって」  明るく響くその声は、聖明のものだった。  転生するにしても早すぎるだろうと思ったが、これが永遠の輪廻なのだと思い知った。魂が死してのち、間を置かずに生まれる。記憶は死ぬその瞬間まで残っていた。 「そうだな······ああ、本当に、いい子だな」  不思議なことに、ずっと泣いていた赤子は、暁明と逢魔が姿を見せた途端に泣き止んだ。  聖明の横でじっとこちらを見上げてくる赤子に、逢魔は小さく微笑む。どこか悲し気で、けれども優し気なその眼に、聖明は首を傾げる。 「どうしたの? ふたりとも、そんな顔して······なにかあった?」  聖明は知らなかった。神子が宗主たちにだけ語った策も。あの後どうなったのかも。しかし、そういうことに聡い聖明は、すぐに気付いてしまう。 「その血、逢魔のものじゃないわよね? 神子は無事? あの子は? 黎明はどこ?」  身体を起こそうとして、暁明はゆっくりと首を振り、肩を抱いて止める。逢魔が目を細めて、無言で横に跪く。 「俺みたいなのが、こんな綺麗なモノに触ってもいいのかな?」  聖明は問い質すのを止め、代わりに逢魔の頬に触れた。ひんやりと冷たい、温度のない肌。鬼子と呼ばれている彼を、小さな頃から知っている。  人ではないモノと知っている。  けれども、一度として、怖いと思ったことはない。むしろもうひとりの弟と言っても過言ではなかった。 「良いに決まってるでしょう? それに、この子の名前はあなたが付けるって約束、もちろん忘れてないわよね?」 「それは、姐さんが一方的にしたやつでしょ、」 「ふふ。約束は、約束よ」  遠慮がちに逢魔は頷くと、傍らにいる赤子に恐る恐る手を伸ばす。赤子を見るのも、触れるのも初めてだった。こんな風に人は生まれて、大きくなるんだなぁと胸の奥がきゅっとなる。 「黎明もきっと、どこかで、また、」  小さなその手が、逢魔が伸ばした手の指の一本を握り締める。それは思っていた以上に強く、しっかりと握られていた。 「どうしよう······どうしたらいい?」  戸惑う逢魔を、暁明が薄っすらと涙を浮かべた灰色の瞳で見下ろす。 「どうもしなくても良い。気が済むまで握らせてやればいいのだ。お前の事が好きなのだろう」 「あらあら。この母よりも逢魔の方が好きだなんて! 逢魔、責任を取りなさい。この子が大きくなったら、あなたの師から教えてもらった事を、あなたが教えてあげるのよ?」  わざと頬を膨らませて聖明は言うと、逢魔は「解ったから、もう許してよ」と困ったように笑った。赤子を囲んで、三人は悲しみを隠したまま会話を交わす。  終わってしまったものと始まるもの。きっとその根源は同じ。  野営の中は長い時間、笑い声が絶えなかった。  しかし、逢魔はその夜にふたりの前から姿を消し、その後、誰もその行方を知る者はいなかった。  残されていた文に、交わした約束だけを残して。  それから、十五年後—————―。

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