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6-15 花ひらく

 白帝(はくてい)堂の前で、竜虎(りゅうこ)朎明(りょうめい)と共に空に浮かぶいくつもの燈を見上げていた。椿明(ちゅんめい)があの日、お願いをしてきた。そのお願いとは、天燈(てんとう)を掲げる日に、朎明を連れ出して欲しいというものだった。 (連れ出して天燈を飛ばしたが、あとはなにをすればいい?)  会話という会話がない。しかし、白笶(びゃくや)のお陰でそういうことに免疫ができていた竜虎は、とりあえず彼女の横で竹でできた箒を持ったまま、ぼんやりと空を眺めていた。  夏の夜。昼の暑さが嘘のように、涼しい風が吹いている。春はとうに過ぎ去り、気付けばこの地で夏を迎えた。  宿にいてもあのふたりの邪魔になるだけだから、ある意味気が楽だった。あのふたりは、もはやあれが通常で日常なのだと思うようにしている。  あれとは、あれだ。言葉にすると恥ずかしすぎて死にたくなるような、あの、空気。 「竜虎殿、付き合わせてしまってすまない」  急に声をかけられ、思わずびくっと肩を揺らす。箒を持っていた手が止まっているのに気付かれたのだろう。  天燈を眺めて帰るはずが、なぜか堂の周りの掃除をすることになったのだ。別に構わないのだが、どうしても空を眺めてしまう。  もう随分と遠くへ行ってしまった燈たちの代わりに、都の灯りも戻り、この白帝堂の灯篭にも朎明(りょうめい)が提灯の灯りをわけていた。  おかげで辺りがほんのりと明るくなる。 「何かしていないと、落ち着かなくて」 「その気持ちはわからなくもないが······、」  なぜ掃除?  竜虎は苦笑を浮かべる。別に掃除が嫌なわけではないが、やることがないなら帰ればいいのだ。 「私は、姉上に恨まれていた。知っていた。だから、姉上の言う事は絶対で、私が拒否する権利などないのだと」  何もない場所を掃きながら、朎明(りょうめい)は俯いてそんなことを呟く。蘭明(らんめい)がああなってしまったのは、自分のせいだと言いたいのだろう。竜虎は、ああ、それでか、とひとりで納得する。 「姉上がなにか良くないことをしていると知っていながら、見て見ぬふりをしていたんだ。結局······止めることも、解り合うことも、できなかった」  後悔だけが、押し寄せてくる。  どうしたら正解だったのだろう? 「そんなこと、考えたってどうにもならない」 「しかし、私は、考えてしまう。私が同じ立場だったらどうなっていただろうと。同じことをしていたのだろうか、と」 「君は、自分が不幸だからって、他人を傷付けるひとなのか?」  朎明(りょうめい)が顔を上げる。竜虎は右手に箒を、もう片手は腰に手を当てて、はあと嘆息した。 「違うだろう? 君は、誰かのために戦えるひとだ。そんなひとが他人を傷付けて、笑っていられるとは思えないが?」  竜虎の言葉に、朎明は表情の薄いその顔に、小さな笑みを浮かべた。 「そうか、そう、だな」  紺青色の上衣の胸元に下がった、琥珀の玉飾りをぎゅっと祈るように握り締める。ふと、足元にあたたかく柔らかいものの存在を見つけて、その表情が綻ぶ。  それは、まるで――――――。  竜虎は、いつもは冷淡そうな雰囲気を纏う少女の別の顔を目の当たりにして、思わず心の中で呟く。 (花でも咲いたかのような、笑みだ)  足元にすり寄っているのは真っ白な子猫だった。よく見れば、ぞろぞろと猫が辺りに集まって来ていた。家族だろうか?この辺りを住処にしているのだろう。茶色や黒や灰色の模様の猫もいた。  朎明(りょうめい)はその場にしゃがんで、集まって来た猫たちの相手を始める。 「猫、好きなのか?」  感情を誤魔化すように、竜虎は自分の傍にも寄って来た猫を見下ろす。 「可愛くて小さいものが好きなんだ」 「そう、なんだ」  別人のように笑みを浮かべ続ける少女に、なんだか動揺してしまう。群がっている猫たちを一匹ずつ撫でて、声をかけている。  この堂に来て、よく手入れをしているのだと言っていた。猫たちも馴染みのある朎明(りょうめい)に気付いて出てきたのだろう。  彼女の意外な一面を見てしまい、なんだか得をした気分だった。 「君は、今みたいに笑った方が、」 「ん? 何か言ったか?」  言いかけて、竜虎は我に返る。 (いやいや! 俺は今何を言いかけたっ!?)  ひとりで百面相をしている竜虎に首を傾げる。 (あんなの、反則だ)  竜虎は口元を覆い、なんでもない、と口ごもる。  どうか、彼女が、少しでも前に進めるように。  その笑みを、絶やしてしまわないように。  遠くへ行ってしまった祈りの燈に、竜虎は願わずにはいられなかった。

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