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だがあれだけの高級車ともなると、帰りは自分が運転するともさすがに申し出にくく、スペイン産ワインへの興味も手伝って、結局、久遠の言葉に甘えてしまった。
二人分のパエリアと碧斗の分のワイン、そしてノンアルコールビールを頼んだ。誘ったのは自分だからおごると久遠が話すので、割り勘にしてくれと頼んだ。
「じゃあ、次は俺が奢ってもらう。それならあいこでいいだろ?」
次、それは、「今度」があるという約束だ。
(でも、あなたには新しい恋人がいるんじゃないのか?)
ならば、オレなんかにそうそうかまけていてはいけないだろう。そう書かなくてはならなかった。
(いや…その必要もないか)
そこまで自意識過剰になる必要もあるまい。なりゆき上、そう誘われたまでだ。
それよりも、これきりのつもりではないことを伝えてもらって嬉しかった。久遠からある種の友情を感じられることがありがたかった。
『このあたりはよく来るの?』
「学生時代にセーリングをしていたから。何度か来たことがある」
セーリングか。どうりであの巨体な客よりも腕力があったはずだ。
身に着けている上品なスーツからはセーリング姿など思いもつかないが、まったく文武両道を絵にかいたような男だと碧斗は感心してしまう。
『今日はきれいな景色が見れてよかった』
素直な感想を伝えた。
「海を見たかった俺に、付き合わせたみたいな形になったけど」
何を言うのか、付き合わせたのはこっちなのにと、後ろめたくなる。でも、碧斗に心の負担をかけないようにとのこれが久遠のやさしさなのだ。
『そんなことない。すごく嬉しかった。あの光景は天使のはしごっていって、好きな小説に出てくるんだ。セヴンス・ヘヴンの爛光っていう小説。知ってる?』
久遠の返事には少しの間があった。
「うん。知ってる」
『有名な小説だからね。オレ、あの作家さんの大ファンなんだ』
「なるほど。そういえばそれ、前にも聞いたな」
すっとテーブルに頬杖をついた久遠が、軽い相槌を打つ。
久遠が最初に古書店に現れた日、レジカウンターに伏せてあったあの本について訊ねられたのを、碧斗は思い出した。
『あなたも西小路は好き?』
だったら最高に嬉しいのだが。
「いや。彼のミステリーならいくつか読んだことがあるけど」
残念ながら味気ない返事だった。確かに西小路浩嘉《さいこうじこうか》といえば今ではミステリー作家として名が通っていて、ドラマ化も多数されている。
だが実のところ彼の処女作である『セヴンス・ヘヴンの爛光』を碧斗が格別に愛読しているのは、それが好きな作家の作品だからという理由だけではなく、その主人公が碧斗と似たような境遇だからだった。
家庭内暴力を繰り返す夫を刺し殺した若い女が、ふとしたきっかけで出逢う貧しい初老の男との穏やかな交流によって、救われてゆく。作中で女はその男のことを至上天であるセヴンス・ヘヴンから来た天使だと宣言する。
人間の罪の浄化、魂の昇華を題材にし、その過程が実に丹念に、格式ある流麗な文体で描き込まれてゆく。そこに、こんな自分でも幾ばくかの慰めを得られるような気がして、碧斗は宝物のように大事に、それこそ幾度も読み返していた。
思い入れに差があるにしても、西小路について久遠と話ができるのは嬉しかった。
『彼は大学生の時、あの作品でA*川賞をとってデビューしているんだ、すごいと思わない? ストーリーがすごく良くて、言葉選びも最高で。オレ、高校の時に彼の作品に出会ったんだけど、ジャンル問わず全作品読破して、何回もリピートしてる。特に『セヴンス・ヘヴンの爛光』は、数えきれないほど読んでる』
西小路のことになるとテンションがあがって文字もすらすらと紡がれてゆくのだが、残念ながら碧斗は西小路の顔も知らない。
西小路は数多くのヒット作を世に出しているが、メディアに顔を出さないことで有名だった。サイン会を開いたこともなく、プロフィール写真も公開していない。だから西小路はよほど不細工な男なのだろうと、碧斗は内心気の毒に思っているほどだ。
「ふうん。そんなに好きなんだ」
やはり、さほど関心はないような、そっけない声を返された。長文の駄文を書いて時間を割いたことが申し訳なく、碧斗は少しばかり肩を落とした。
「でも、ここ二年くらい彼は何も書いていないよな。いわゆるスランプってやつかな。それとも、ネタ切れかな?」
他人を嘲るような言い方が久遠らしくない気がした。
一方で碧斗はむくむくと反抗心が沸きたって、いてもたってもいられなくなる。好きな作家をコケにされて自分までが蔑ろにされたような気がするのは、コアなファン心理というやつだろう。
『違う。多分、作風が合わないんだ』
こればかりはゆるがせにできないと反論した。
「作風が合わない」
わざと抑揚をつけない調子で、久遠が悠長に鸚鵡返しをする。さらにバカにされたような、ちょっと不愉快な気分になった。
しかしここで引きさがってはファンの名が廃るというものだ。碧斗は憤然とした勢いで持論をぶつけた。
『最近の彼は、実力を出しきれていないと思う』
きっぱりと書き綴った。
「実力?」
意外そうに久遠が訊き返す。
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