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第1話

桐江(きりえ)さん、俺の事好きになってください」 「……は?」  高校生活も残すところ後一年という時、一つ下の後輩の発言に桐江(かない)は耳を疑った。名前は確か鷹村(たかむら)、鷹のように目付きが鋭い男だと誰かが噂しているのを聞いた事がある。その日は放課後少し残って勉強をしていたのだが、そろそろ帰ろうかと教室を出てすぐ彼に捕まった。 「俺、桐江さんが好きなんです」  彼と話したのは片手で数えられる程度、こうして真正面から頭一つ分背の高い鷹村に見下ろされると、無意識に腰が引けてしまう。俺は苦笑いを浮かべながらどう返すのが妥当なのか考えていた。 「先輩、男いけますよね」 「ちょ、ちょっと待て!えーっと…鷹村くん?」 「鷹村仁(たかむらじん)です。俺の名前、覚えてください」 「わかった。鷹村くん、外で話そうか」  人が捌けた放課後とは言え三年の廊下じゃ誰が聞いているかわからない。俺は鷹村の腕を引いて人気の少ない校舎裏に連れて行った。ゲイであることを恥じた事はないが、そう簡単に打ち明けられるような事じゃない。一人でいる時間の方が長いし、誰にも話した事はないのだ。それがどうして後輩で、しかもほとんど接点のないこの男にバレているのかと内心焦っていた。 「…それで、ええと…なんだっけ」  確かこの男は俺の事が好きだとか言ったか? 「桐江さんってゲイですよね」  今度こそ明確に告げられたその言葉に目の前が真っ白になったが、しかし否定することはしなかった。 「…なんでそれを?」 「桐江さん、女に結構モテるくせにそういう噂全然聞かないんで、そうかなって。それに、いつも見てましたから。桐江さんの事」  確かに何度か、校舎内ですれ違う度視線は合っていた。その視線にこんな意味があるものだとは思ってもいなかったが。 「あ、別にストーカーじゃないですから。勝手に目が追うんですよ、アンタの事」 「……ふはっ」  先程までの威圧感とは一変、ちらちらと泳ぐ視線とほんのり赤を差す耳元を見て一気に気が抜けた。 「ははっ…勝手にって」 「……笑ってる顔、初めて見た」 「は、なに…っ」  鼻先が触れ合うか触れ合わないかの位置で普段は鋭い瞳が丸く見開かれている。がっしりと肩を掴まれて、俺は反射的に動けなくなった。日本人離れした淡褐色の瞳は場違いにも美しいと思ってしまう程で、確か誰かがクォーターだとか言っていた気がする。ごくりと喉が鳴る音が聞こえたような気がして我に返ると、思い切り目の前の体を突き放していた。 「……すみません、俺…」 「…大体、俺と君に接点なんて全くないよね」  彼は先程の事を反省しているようでわかりやすく落ち込んでいるのがわかる。なんというか悪い事をしてしまったようで良心が少し痛んだ。 「図書館…よく居ますよね。たまたま先輩見掛けて、綺麗だなって思ったんです。真剣な表情見て、その視線の先に俺を映して欲しいって」  確かに昼休みや放課後は図書館にいる事が多い。周りから死角になる位置の奥の席を選んで座っているから見られていた事が驚きだった。 「…悪いけど、君の気持ちには答えられないよ」  俺にはきっと、そういうのは向いていない。それに、中途半端な事を言ってこんなに真剣な彼を期待させる訳にもいかない。 「もしかして、好きな人いるんですか?」 「……っ」 「……その人とは、上手くいってるんですか?」  嘘だ。まさか俺はずっと、あの時の恋を引き摺っているのだろうか。俺は今よりガキで、彼は大人過ぎたんだ。もう二度と会う事はないかもしれない。忘れたんだ、あの恋は。居心地悪そうに視線を下ろす俺に、鷹村は覗き込むようにして問い掛けた。 「……終わったんだ、あれは」  いやきっと、あの人にとっては始まってもいなかったんだろう。 「…俺、桐江さんの事諦めませんから。絶対振り向かせてみせます。だから、俺の事見ててください」  なんて真っ直ぐに気持ちを向けてくる男だろう。俺はその熱に気圧されて、彼がその場を去った後も暫く動けずにいた。

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