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第2話
酷く勝手な奴だと思ったが、不思議と嫌な気はしなかった。あの時俺が突き放していなかったら、もしかしたらあのままキスをされていたかもしれない。そう考えると複雑な気持ちだった。きっと俺は、無意識に守りたいんだと思う。あの時の綺麗なままの初恋を。
やっぱりダメだ、新しい恋なんて。上書きすれば忘れられるかもと何度か試みた事はあったが、結局成功した事は無い。彼以上に好きになる人なんていないだろう。
「すみません、桐江さんいますか?」
「え?…あぁ、桐江くんなら…あそこに」
考えを巡らせながらぼんやりと窓の外を眺めていた二限終わりの休み時間。まだ新しい記憶に残ったままの鷹村の声と、女子生徒の会話が聞こえた。待て、どうして二年が三年の教室に?
「桐江さん」
「……どうしてここに?」
「お昼一緒に食べませんか」
躊躇う事なく教室に足を踏み入れた彼は一直線に俺の元へと向かってくる。何の用事かと身構えれば思ってもみない発言に瞬きを数回繰り返した。珍しい光景に周りの生徒は何事かとザワついていて、大半の視線を感じる。彼の事はまだよく知らない。けれどこうして見れば長身に、気難しそうではあるが整った顔立ちをしている。単純に女性の気を引きそうだなと思った。
「桐江さん、弁当派ですか?学食派ですか?」
「…え、弁当だけど」
「わかりました。じゃあ、今日天気も良いんで屋上で食べましょう。それじゃあまた後で」
「は?おいっ…ちょっとまっ…!」
無理矢理約束を取り付けた満足げな鷹村は颯爽と教室を去ってしまう。ガタガタと椅子を引いて引き止めようと声を掛けるが、周囲の視線にはたと我に返る。それから数秒と経たず予鈴が鳴り、俺はただ深いため息を吐いて席へと座り直した。
***
「本当に来てくれるとは思いませんでした」
「…来なくて良かったんなら帰るけど?」
「なんで、居てくださいよ」
律儀に約束を守って弁当を持って屋上へ来たが、開口一番くらった言葉に踵を返そうとした。が、勿論それは叶わず大きな手に腕を掴まれる。諦めて隣へ腰を下ろすと、膝の上に弁当を広げて食べる事にした。滅多に屋上で食べるなんて事はしないが、たまたまなのか今日は他に誰もいないし風が心地良くて気分が良い。
「気に入りました?ここ」
「…まあ、たまに来るのは悪くないな」
「顔、嬉しそうだったんで」
自分の弁当には箸も付けず俺の顔を覗き込んでいた鷹村はそう言った。
「…そんなに見られると食べ辛いんだけど」
「すみません、先輩が隣にいるの嬉しくて」
一見無口そうで真面目に見えるが、嬉しそうに笑う顔は年相応で意外と可愛らしい。なんて、一瞬でも思った自分に頭を振って卵焼きを頬張った。
「お前、なんで俺なんだ?」
「好きに理由なんて要ります?」
そんなベタなセリフよく言えるな、なんて思いながら視線を横に送る。単純に所作が綺麗な奴だなと思った。姿勢から箸の持ち方、当たり前だけれどこういう所が綺麗だと印象はずっと良い。
「違くて、鷹村なら女子が放っておかないだろ」
別に深い意味があって言った訳じゃない。相手に困らなさそうな鷹村が俺を好きだなんていうのが信じられないだけだ。
「…それって、どういう意味ですか?」
「鷹村はかっこいいんだから、相手なんて選び放題だろって…」
「俺の事、かっこいいって思ってくれてるんですね」
「っ!」
その単語に食い付いたように、あからさまに声色が明るくなる鷹村を見て言葉に詰まった。もしかしてこれを言わせたくてわざと聞いてきたのか?何だこれ、妙に気恥ずかしくて調子が狂う。じわりと熱くなる顔を覆いながら咄嗟に顔を背けた。
「俺、先輩の事もっと知りたいです」
ひたり、さっきよりずっと近くに鷹村の気配を感じる。不意に床に付いていた手に一回り大きな手が重なって小さく肩が揺れた。俺は年上で余裕のある人がタイプなはずなのに。
「桐江さん……」
「…んっ」
耳元でやけに熱っぽい声が囁く。今すぐ払い退けたいのに力が抜けて動けない。顔を覆っていた手を掴まれて背後の壁に押し付けられる。ぐっと近づいた距離にふわりと香る柔らかな柔軟剤の香り。
「ずるくないですか、…そんな顔するなんて」
「…はっ、離せ…っ」
かち合った視線にギラついた鷹村の目が映って抵抗を試みるが、屈辱的な事に掴まれた腕がびくともしない。
「……キスして良いですか?」
俺の答えを聞くよりも先に形の良い薄い唇が近付いてくる。心拍数が上がっているのは、きっと慣れない事だから。今までこんな風に迫られた事は無かったし、悔しいがこの男は顔が良い。誰だって少しくらいは許してもいいと思ってしまうんじゃないだろうか。鼻先が触れ合うまであとほんの数センチ、というところで。
「――って、良い訳ないだろ…!!」
「い゛っ!」
ごん、と鈍い音がして目の前の体がよろついた。離れた隙に距離を取ると唸りながら額を抑える鷹村が薄ら涙を浮かべているのがわかる。やばい、渾身の頭突きを食らわせてしまった。
「…わ、悪い…大丈夫か?」
「……俺が悪いんで、すみません。てか先輩石頭過ぎでしょ」
笑い混じりに言う鷹村に胸を撫で下ろしつつ、思い立ったように立ち上がった。
「…先輩?」
屋上の入り口からすぐの廊下の水道でポケットから取り出したハンカチをさっと濡らす。それからすぐに鷹村のもとへ戻ると濡らしたハンカチを額へ押し付けた。
「俺ので悪いけど、使ってないハンカチだから。冷えてはないけど無いよりはマシだろ。それ当てとけ」
俺の行動が意外だったのか驚いたような鷹村の表情が面白い。彼はハンカチを大事そうに握りながらくしゃりと頬を綻ばせた。
「ふ…ありがとうございます。俺あんな事したのに先輩優しいですね」
「それとこれとは別問題だ。それに…」
…あれ、今俺はなんて言おうとした?鷹村と居ると俺が俺じゃないみたいになる。真正面から本気でぶつかってくるこの男の言葉に揺らいでいるとでも言うのか。言える訳がないだろ、「嫌じゃなかった」なんて――。
「…それに?」
「っ!何でもない…!」
「あっ、先輩!待ってくださいよ!」
これ以上この場に居れるはずもなくて、俺は足早にその場を後にした。
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