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第6話
「……ん、」
妙に体がスッキリしている。目が覚めると見覚えのない天井があって、部屋を見渡すと昨夜の記憶が一気に蘇った。自分の行動と言動、それから鷹村にされた行為。された、と言うよりかはさせたという方が正しいかもしれない。カッと顔が熱くなる。
上体を起こすと、少しサイズの大きいシャツとスラックスが着せられていて、汗ばんでいたはずの体もスッキリしている。
横を見ると床に敷布団を敷いて未だ眠っている鷹村がいた。後輩を床で寝かせてしまった事に申し訳なさを覚えつつ、その綺麗な寝顔に暫く目を奪われてしまった。
こうして見るといつもより少しだけ幼く見える気がして頬が緩んだ。暫くその寝顔を楽しんでいたが、薄く開いた唇に視線を移すと昨夜の事を再び思い出してしまいずくんと腰が重くなった気がした。
「…ん、?……桐江さん…?」
大きく身動ぎ目を覚ました鷹村は、先に起きていた俺に気付くと目を擦りながら起き上がった。
「お、…おはよう」
「おはようございます」
顔をまともに見れない俺とは違って、鷹村は平然とした様子で俺の頬に触れた。驚いて大袈裟に顔を逸らすと、それ以上触れようとはしなかった。
「…体、平気ですか?」
「……うん」
できる事ならば昨日の事は無かった事にしたい。
「その…昨日は悪かった!正気じゃなかったんだ…色々あって」
「分かってます。何があったのかは聞かせて欲しいですけど、それよりもまず聞きたい事があって…」
鷹村は気恥ずかしそうに後頭部を掻きながら視線を泳がせる。
「その……俺の事好きって言ったのは本気ですか?」
「ッ!」
「あ、あれは勢いで言っただけで…!」
「そうですか…」
咄嗟に言い訳じみた言葉が出てしまい後悔したがもう遅かった。鷹村は明らかにショックを受けた様子で俯いている。意地が悪いのは自覚しているが、どうしても素直になれない。
「腹減ってますよね。朝も食べていってください」
「あ…鷹村…!」
気付けば部屋を出ようと立ち上がる鷹村の腕を掴んでいた。鷹村は初め驚いた様子で俺を見下ろしていたが、俺の手を取って視線に合わせしゃがんでくれる。何か、何か言わなければ。何度か口を開きかけたが言い淀んで、暫くしてもう一度口を開いた。
「そうじゃなくて…俺は…!」
口下手な自分が嫌になる。
「…桐江さんは優しいですね。大丈夫です。でも、俺が桐江さんの事好きって事だけは忘れないで下さいね」
優しく微笑んでそっと抱き締めてくれる。俺はそれに応えるように鷹村の背中に腕を回した。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「おはようございます、桐江さん」
「…おはよう」
あれから鷹村は少し変わった。すれ違っても挨拶をする程度で、前のように一緒に帰る事も昼食を一緒に食べる事も無くなった。
と言うのも、それらは俺自身が上手く避けているからだった。あの日の出来事から自分の気持ちを自覚した訳だが、同時に分かった事がある。俺には同じだけの愛を返せる自信がないのだ。鷹村が本気で俺を好いてくれているのは分かっているが、俺にはきっと荷が重い。
「はぁ…」
賑わう教室の隅で一人弁当を食べる。幸い周りの視線が気になるタイプでもないし、鷹村に誘われる前まではこうして一人で食べる事が常だったので苦ではないが、寂しいと感じるようになってしまった。
「…桐江くん、最近元気ないよね」
「そう言えば、最近来てないよね、あの人」
「確かに、えっと…二年の、目付き怖い人!」
こっそり話しているつもりなのだろうが、全て筒抜けである。俺が誰かといる事自体が珍しいからより人目を引くのかもしれない。それよりも知らぬ所で話題になっている事が驚きだった。
「桐江くん、これ良かったら食べて」
食べ終えた弁当を片していると、一人の女子生徒が銀紙に包まれたチョコレートを二つ机に置いた。
「ありがとう」
礼を言うと彼女は満足げに微笑んで自分の席に戻っていった。俺も甘い物は嫌いではないが、女子というのは友達と談笑しながらお菓子を食べるのが好きらしく、こうしてお裾分けを貰う事は多々あった。こういうのは変に遠慮するより厚意に甘えるのが一番だ。
とはいえ今は食べる気になれなかったのでそれも弁当箱と一緒にランチバックに仕舞うと、残りの時間は睡眠に費やそうと机に突っ伏した。
「桐江くん、ばいばい」
同じタイミングで下駄箱に居合わせた女子生徒がにこやかに手を振ってくる。小さく手を振り返して靴を履き替えた。何故かは分からないが、最近はこうして声を掛けられる事が多くなった。
「桐江さん」
丁度校門を出ようとした時、背後から聞こえた声にギクリと足が止まる。聞こえなかったふりを貫いて足早に去ろうとするが、腕を掴まれた事でそれは叶わなかった。
「っ、」
「待って下さい!」
「…離してくれ」
「逃げないで話をしましょう」
少し焦ったような声色、下がった眉、あからさまに避けすぎたかもしれない。寂しそうな、傷付いているような表情だった。
「どうして避けるんですか?俺の事が嫌になったなら直接そう言って下さい」
「それは違う…!」
「…じゃあ、俺の事好きですか?」
鷹村が一歩距離を詰める。ドクンと大きく心臓が脈打って、じわりと体が熱くなるのを感じた。
「着いて来て下さい」
校門を出て暫くした所の路地裏に入っていく。下校時間なので直ぐ近くの大通りには同じ高校の生徒達が何人も行き交っているが、鷹村は特に気にした様子もなく向かい合って距離を詰めてくる。
「教えて下さい、桐江さん」
俺は口を引き結んだまま一歩、また一歩と鷹村から距離を取る。そうして背中が壁に当たると鷹村の腕が俺を閉じ込めるようにして壁につく。揺らぐ事のない真剣な瞳は曇り一つなく美しく、その瞳に見詰められると石にでもなったみたいに動けなくなる。
「何も言ってくれないなら、無言は肯定と捉えますよ」
「な…っ!」
「…桐江さんの声が聞きたいです」
「嫌いになんてならない。ただ…俺の問題なんだ」
恋に臆病で素直になれない、俺一人の問題だ。この先もずっと一緒に居れる保証はないし、何より鷹村の親に申し訳が立たない。近年は多様化が認められつつあるが、偏見は少なからず着いて回るものだ。俺はそこまで踏み切る自信がなかった。意気地なしで弱虫で、最低だ。何よりもわかっている。
「何考えてるんですか」
俯いていた俺の顎に手が添えられ、強制的に視線がかち合う。力強い瞳は俺の考え全てを見透かされているようで。鷹村はきっとかなり怒っている。いつもより低くて冷たい声だった。
答えが出せないのなら余計な期待を持たせるような事はせずはっきり断るべきだと分かっている。これは優しい鷹村に甘えた俺の我が儘だ。こんな風に正面から気持ちをぶつけられたのは初めてだったから。
「余計な事は考えないで下さい」
気付けば鷹村の腕の中に収まっていた。肩口に顔を埋めると、俺は意を決したように口を開いた。
「正直、お前の気持ちに応えるのが怖い」
言葉とは裏腹に、腕を鷹村の背に回してきゅっとシャツを掴む。
「言ってくれるだけでいいんです。桐江さんの気持ち聞かせて下さい」
はっ、と深く息を吸い込む。次に出した言葉はきっと震えていたに違いない。
「…好きだ。鷹村、好きなんだ」
絞り出した声は蚊の鳴くような声だったが、今の俺にはそれが限界だった。鷹村には充分聞こえていたらしく、抱き締める力が強くなった。
「俺も大好きです、桐江さん。もう絶対離しません」
「でも、俺――」
言い掛けた言葉は噛み付くようなキスで飲み込まれる。歯列を割り厚い舌が口内を弄って、行き場を無くした舌を器用に絡め取られ吸われると、背筋の力が抜けるのを感じて目の前の体に強くしがみついた。
「…んむ、………ふ、ぁ…っ」
甘く痺れるような快楽は思考を溶かすのに充分で、長いキスから解放された時にはすっかり蕩けてしまっていた。
「…桐江さん、俺もう限界です」
鼻先が触れたまま、濡れた唇に熱い吐息がかかる。それでさえ気持ち良くて身震いした。
「……俺の家…今、親いないから…」
たっぷりと間を置いて精一杯搾り出した誘い文句。少し落ち着いてから鷹村に腰を支えされ裏の通りから人目を避けて家へと足早に向かった。
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