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第7話

「……んん…」  ゆっくりと意識が浮上する。目が覚めると頭はスッキリしていて心地良い朝だ。くっ、と伸びをして起き上がるとベッドを簡単に整えてからカーテンを開ける。いつもなら鬱陶しく感じる朝の日差しも、何だか今日は穏やかに感じた。 「それにしても、あんたが友達連れて来るなんて初めてだったから驚いたわ」  いただきます、と手を合わせてから朝食のトーストに齧り付いくと、目の前に座っていた母が同じく朝食のサラダを食べながら口を開いた。確かに高校三年にして友達を連れてくるのが初めてと言うのは珍しいのかもしれない。 「…うん」 「随分あんたと雰囲気が違ったけど、礼儀正しくて凄く良い子だったわね」  昨夜風呂の後少し遅くなってしまったが帰ろうとしたタイミングで母が丁度帰宅したのだ。鷹村はそのまま帰るつもりでいたらしいが、母の勧めで夕飯を食べて帰った。その後も鷹村は皿洗いを手伝っていたので、母には随分好印象だったようだ。  俺としても嬉しいが、昨夜の事を思い出してしまってぶわりと顔が熱くなった。 「やだ、顔赤いわよ。熱でもあるの?」 「〜〜っ、何でもない!ご馳走様!行ってきます!」 「ええ…行ってらっしゃい。気をつけるのよ」  最後の一口になったトーストを詰め込んでコーンスープで流し込むと慌てて席を立ち鞄を掴むと足早に家を出た。 ✳︎ ✳︎ ✳︎ 「おはようございます、桐江さん」 「鷹村…おはよ」  校門の前まで着いた所で後ろから駆け寄って来た鷹村にそっと肩を叩かれる。嬉しそうな声色で微笑む彼は何だかいつもより幸せオーラが漂っていて眩しいくらいだ。少し気恥ずかしいけれど、それよりも心が満たされていて頬が緩むのを抑えられない。横に並んで歩くと自然と肩が触れて体温が伝わってくる。  昨日、晴れて想いが通じ合った俺達は恋人同士になった訳だが、初めて恋人が出来た俺にはどう接すれば良いのか分からない。いや、鷹村は今まで通りを望むだろう。 「これから一緒に帰りませんか?」 「うん、俺もそうしたいと思ってた」  歩きながらさりげなく鷹村の手が俺の手に触れる。どう見ても意図的に動いているそれに小さく笑いながら擦り寄せるだけに留める。当然周りには同じく登校中の生徒が沢山いる訳で、流石に堂々と手を繋いで歩くのは気が引ける。 「じゃあまた放課後に」 「ああ、また」  恋人が出来るというのはこんな感覚なのか、と噛み締めながら教室へ入る。緩む頬を何とか抑えながら席に着く。いつもと変わらぬ学校生活も、何だか華やいでいる気がする。 「桐江くん、何か良い事あった?」 「え?」  休憩時間に話し掛けて来た女子生徒は以前からよくお菓子をくれる子だ。彼女は空いていた俺の隣の席に腰を下ろし、頬杖を付いて俺の顔を覗き込んだ。授業中にニヤけていたような覚えはないが、鋭い指摘に困惑した。 「いや〜今日の桐江くん、なんか雰囲気が柔らかいって言うか…可愛いなって」 「か、可愛い…?」  おおよそ俺には似つかわしくない言葉に首を傾げると「そういう所!」と指を指されてしまう。 「ええ……」 「いや、可愛いのはいつもの事か…。とにかくなんか幸せそうだなって思って!もしかして…彼女が出来たとか?」  彼女は耳元に顔を寄せ小声で聞いてくる。“彼女”という言葉にギクリと肩が揺れたが、この場合は“彼氏”と言うべきだろうか、と考えて押し黙る。期待に満ちた彼女の表情を見ると何だか申し訳ないが、こんな所で公表する訳にはいかない。 「まさか…友達が出来ただけだよ。ほら、俺こんなだからさ、友達一人出来るだけでめちゃくちゃ嬉しいんだ」  予想外の回答だったのか彼女は大きな目をぱちくりとさせていて、苦しい誤魔化し方だったかと息を飲む。 「…何それ。可愛過ぎない!?私!私は桐江くんにとって友達?」 「ええっと……クラスメイト?」 「……だよね、まともに話したの初めてだもんね…」  ガックリと肩を落とす彼女に何だか申し訳なくなったが、どこからが友達と言っていいのか難しいところだ。 「なんか桐江くんのイメージ変わったな〜」 「そうなの?」 「勿論良い意味で!ずっと高嶺の花ってイメージが強くて皆話し掛けるの躊躇ってたから」 「…それ、俺に使うので合ってる?」  確かに遠巻きに視線は感じていたが、こうしてまともに話したクラスメイトは彼女くらいだ。大方一人でいる俺を不思議に思っているのだろうと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。 「て事でさ、桐江くんさえ良かったら連絡先交換しない?」 「えっ?…勿論良いけど」 「やった!」  彼女は可愛らしいマスコットをぶら下げたスマホを出してにっこりと微笑む。誰かと連絡先を交換するなんて事、鷹村以外初めてで驚いてしまった。友達リストに片手で数える程しかいないメッセージアプリを立ち上げ、彼女にQRコードの載った画面を見せた。 「できた!桐江くんアイコン初期設定のままなんだね」 「そういうのよくわかんなくて」 「桐江くんっぽい」  “えりか”と表示された彼女のアイコンをタップして追加する。写真は夏祭りだろうか、浴衣を着て髪を綺麗に飾った女性が後ろ向きで立っているものだ。顔は見えないが、きっとこれは彼女本人なのだろう。 「桐江くん、私の苗字わかる?」 「えっと……ごめん」  人の名前を憶えるのが苦手、というのは言い訳にしかならないが、正直クラスの大半の名前を憶えられていないのも事実。 「加藤だよ、加藤えりか!桐江くんの呼びやすいように呼んで!」  ふわり、後頭部で一つに束ねられた髪が揺れる。特に気にした様子もなく名乗る彼女に胸を撫で下ろしながら、今度話す時の為にちゃんと覚えておこうと心に決めた。 ✳︎ ✳︎ ✳︎  少し早めに終わった終礼の後、校門の前で鷹村を待っているとスラックスのポケットに入れていたスマホが小さく振動する。画面に表示されたのは鷹村、『今終礼終わりました』とだけ送られていて、可愛らしいキャラの隣に了解と書かれたスタンプを送った。 「あ、桐江くん!ばいばい」 「ああ、また明日」  今日連絡先を交換した加藤と、その友人達が手を振ってくれたので振り返すと小さく悲鳴が上がったような気がした。 「桐江さん、すみませんお待たせして」 「ううん、大して待ってないから」  鷹村は俺に声を掛けたクラスメイト達を目で追って、それから少し不機嫌そうな顔で俺を見る。 「鷹村?どうかしたのか?」 「さっきの人達、仲良いんですか?」 「ああ、最近仲良くしてくれる子達なんだ」 「へえ……」  同い年で友人が出来た事が嬉しくて、無意識に頬が緩んでいたかもしれない。いつもより随分低い声で唸る鷹村を見上げると、意図的に逸らされてしまう。  いつもと違う空気感に戸惑いつつ、もしかしたら…という一つの考えが浮かんで、鷹村の顔を何とかして見ようと身を乗り出して覗き込んでみる。 「…何でこっち見てくれないんだ?」 「……すみません、嫉妬してました」  相変わらず素直な鷹村が面白くて、愛おしくて堪らず吹き出してしまう。  暫くクスクスと笑っていると、黙ったままの鷹村に気付いて誤魔化すように何度か咳払いをした。さて、どうやってこの不機嫌な鷹村を構ってやろうかと少し考えてから切り出した。 「ほら、いつもみたいに笑ってくれないのか?今日は何でも言う事聞いてやるからさ。そうだ、何か甘いものでも食べて帰るか?駅前に出来たクレープ屋さん有名で美味しいって加藤さんに教えてもらって…」  あ、と気付いた時にはもう遅い。自分で墓穴を掘ってしまった事なんて流石に嫌でもわかる。スマホを持っていた腕を掴まれ問答無用で引き寄せられ、バランスを崩して鷹村の胸に飛び込んでしまう。 「その人と他に何したんですか?」 「れ、連絡先交換したくらいで、他は何も…」  まるで浮気の事情聴取のような深刻な空気感に気圧されながらも正直に答える。彼女に俺に対する好意があったとは思えないが、今は何を言っても事態を悪化させるだけだろう。 「……すみません」 「本当に彼女とは何もないんだ。ただの友達だよ」  鷹村は掴んでいた腕を優しく離すと、頭を抱えて深いため息を吐いた。殺気立った空気はやっと落ち着いて、俺は鷹村の肩をそっと撫でた。鷹村には悪いが、嫉妬されるのがこんなに嬉しい事だとは思わなかった。 「…桐江さん気をつけて下さいね。なんか今の貴方、前よりずっと魅力的だから」 「へっ…?」  晃さんとの件が片付いて鷹村と恋人になってからというもの、自分の心にあった重荷が軽くなったような気はしていた。魅力的かどうかは置いておいて、鷹村の目に何か変わったように映っているのなら良い事だと思いたい。 「俺、そんなに変わった…?」 「はい」  顎を掬われる。鷹村の澄んだ瞳に反射して自分が見えた。 「どこかに閉じ込めて俺だけのものにしたいくらいには」  すっと目が細められて囁かれ、ゾワリと寒気に似た感覚が背筋を走る。本能的に逃げ出したくなったが、足が竦んで上手く動けなかった。 「冗談ですよ」  ぱっとあっさり離れて行く手に唖然としてしまう。 「……冗談に聞こえないんだが…」 「何か言いました?」  振り返る鷹村にぶんぶんと顔を振って否定の意を示す。本当に容易にできてしまいそうで身震いしたが、きっと俺の嫌がるような事はしないだろう。少し先を行ってしまった鷹村を追いかけ、再び横に並んで歩く。 「今日、俺の家来ませんか?」  手の甲が触れて人差し指が絡む。鷹村を見上げると、そのまま手を取られ指先にキスをされる。誰が見ているかも分からない外なのに、もはやそんな事気にならなくて俺が頷くまでそう時間は掛からなかった。

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