3 / 6
第3話
マイルズは少々言いづらそうだった。ウェルトン伯爵も、一瞬唇を力ませていた。
よほどブラックな職場なのだろうか。悪人面には到底見えない伯爵だが、上品そうなふりしてセクハラの常習犯という可能性もある。
そんなことを一瞬考えてみるも、刑事の勘は、伯爵に低俗な裏の顔はないと訴えている。そうすると、伯爵の思いどおりに女性のメイドが集まらないのが不可解だ。指摘もしないし質問もしないが、気にはなる。
伯爵は組んだ指を数拍見下ろし、視線を仁に向けた。
「子供の世話をした経験は?」
訊かれ、仁は正直に首を横に振る。すると伯爵に残念そうな顔をされてしまい、考えるより先に付け足した。
「子供は嫌いじゃない。あと、護衛代わりにはなれる」
この若い伯爵は、子供の世話をするメイドが欲しかったのだ。自分が役に立たなければ、子供が放置される。その可能性を感じとると、適任者が現れるまでだけでも、自分に任せてほしいと思わずにはいられなかった。
勢いのまま言ってしまって、あとから敬語を忘れていたことに気づいた。伯爵とはいえ、自分より若いので、ついため口になっていた。
「と、思います」
慌てて補足するも、伯爵は特に気にした様子ではなかった。
「そうか」
小さく息を吐いた伯爵は、組んでいた指を解くと、おもむろに立ち上がり、こちらに向かってゆっくりと歩き出した。やはり背が高く、脚もすらりと長い。姿勢が良くて歩き方にも品がある。上品な西洋人に会ったのは初めてだ。交番勤務時も、私服警官になってからも、対応したのはあまり行儀の良くない観光客か、滞在資格も職業もあやふやな者たちがほとんど。問題のない人間とは縁遠い仕事だったと、本物の貴族を前にして思い出した。
「護衛ができると言ったな」
「体術なら少し。あとは防犯対策と、パトロールとか」
事件捜査だって可能だ。最後は死傷事件を担当する刑事課の強行犯係にいた。いきなり違う時代の外国に転生でもしない限り、大抵のことでは動じない自信もある。しかし、子守りにはまったく役に立たないスキルだから、言おうとは思わなかった。
それに、日本の近代警察の始まりは一八七一年。当時のフランス警察を参考に組織された。イギリスの警察事情は知らないが、犯罪捜査の進歩においてフランスと大差はないと推察している。つまり、今が一八三五年なら、警察組織が存在するかも怪しく、自分の知識や経験を周囲に知らせてしまうと、歴史が変わってしまうかもしれないのだ。
(なーんて、こんなタイムスリップと転生を足した状況自体がまるで冗談だし、歴史になんてこれっぽっちも関係ないんだろうけど)
まさか求職者の心の独り言がこんな内容だとは知る由もない伯爵は、三歩ほど離れたところで立ち止まり、仁の瞳をじっと見据えた。
まっすぐな視線は、人間の質を見抜こうとしている。
子守りの役にはあまり立てなくとも、人間としてはまっとうなつもりだ。臆さず見つめ返せば、伯爵は納得したように頷いた。
「二週間前、子供たちの母親、つまり妻が亡くなった」
「それは……、ご愁傷様です」
こんなに若いのに、妻を亡くしてしまうとは。会ったばかりの相手でも、胸が痛んだ。思わず目を伏せると、その様子を、伯爵はなぜかじっと観察していた。予想外の視線が気になり、顔を上げると、また本質を探るような鋭い眼差しが向けられていた。
(妻を亡くして気が立ってるのか、それともよほどの人間不信か)
大切な子供の周りに置く人間を探しているのだから、慎重になっても不思議ではない。しかし、涼しげな表情の向こう側に、何かただならぬものがちらついているのは確かだ。
(今日のところは、跡継ぎを死守したいってことにしておこう。いきなり詮索するわけにはいかないからな)
伯爵が抱える〝何か〟が何であっても、大抵のことでは動じないし、対処できる自信もある。目を逸らさずに応えると、伯爵はまた納得した顔をした。
「子供たちの世話以外にも、手が足りていないことはある」
その一言で、採用が決まった。諸井仁巡査部長ではなく、ジーン・モロイとしての日々が、静かなスタートをきった瞬間だった。
「部屋へ案内してやってくれ」
「かしこまりました」
伯爵はデスクに戻ると、もう仁のほうを見なかった。
マイルズについて廊下に出ると、しばらくして壁にかかっている伯爵の肖像画を見つけた。豪華な金縁に収まっている肖像画の下には、伯爵の名が書かれた立派な札もある。
「第五代ウェルトン伯爵、オーガスト・シャンドル」
今会ったばかりの美貌の伯爵は、オーガストという名だった。ウェルトンは統べる地方の名ということか。
「ずいぶんと若いな」
隣には歴代の伯爵の肖像画が並んでいて、他の四人は中年か初老の男性の画なのに、オーガストだけは少年と呼ぶのがしっくりくる。
「十八歳で爵位をお継ぎになりましたから」
マイルズは年齢的に考えて、先代に仕えてのちオーガストに仕えているのだろう。
それにしても、オーガストは若くして家族を亡くす運命にあるようだ。父親も早逝だったのだろうし、妻にまで先立たれるとは。
「伯爵の母君は、この屋敷に住んでるんですか」
「いいえ。伯爵は幼いころに母君を亡くされています」
「そう……ですか」
家族の縁に恵まれない星があるなら、オーガストはその下に生まれてしまったらしい。
死因が気になってしまう。職業病と言わざるを得ないだろう。ただ、この時代の医学技術だと、若くして亡くなる人間も二〇〇〇年代より多かっただろうから、刑事の血が騒ぐような死因ではなく、オーガストに不幸が重なっただけという可能性も十分ある。
一つわかるのは、気になる点が多い屋敷だということ。時代や国の違いでは説明がつかない不可解な何かが、静けさの中に漂っている。
さっき使った階段にたどり着いた。マイルズが振り返る。
「階下に使用人が使う個室があります。一部屋を自由に使っていいですよ」
階段を下りると、世界が変わったように質素になった。
ウェルトン伯爵家の規模の屋敷では、使用人には個室が与えられる。転生前までの記憶しかなく、ゆえに自分の寝床がこの世界に存在するのかもわからず、金どころか着替えすら持っていない仁にとって、自室をあてがってもらえたのは渡りに船だった。部屋にはベッドや小さな棚、簡易な机と椅子まである。寝具やシーツの予備も置いてあり、タオルと同じ用途なのだろう、大小の手ぬぐいもあった。
「他に必要なものがあれば、相談してください」
部屋へ連れてきてくれたマイルズは、表情は変えないまま、しかし穏やかな口調でそう言った。
「着替えって、借りられるものなんですか? 俺、何も持ってなくて」
「ふむ。探してみましょう」
そう言って、マイルズは出ていった。
部屋についている小さな窓の外を見ると、陽が落ちようとしていた。仕事始めは明日になるということだろう。ベッドの寝心地を試したり、椅子に座ってみたり、のんびりマイルズを待っていると、ふと、あることに気づいた。
屋敷の中はひどく静かだ。上階は一部を見ただけだが、これほどの規模の屋敷なら、清掃係だけでも複数人が毎日働いていそうなものなのに、さっき会ったトーマスとシェフのサイモン以外、誰ともすれ違わなかったし、今だって誰の声もせず、横に連なっている使用人の部屋の扉が開閉される音も聞こえない。
ともだちにシェアしよう!