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 肌をジリジリと焼く夏休みが始まろうとしていた。  小川の所属しているサッカー部は大所帯ではあったが、幼い頃からサッカーに打ち込んできた小川はテクニックも技術も高く、負けん気の強い性格が功を成して二年にして念願のベンチ入りを果たした。  初夏から始まった夏季大会予選に勝ち続け、練習と試合で毎日が終わる。  大会が終われば今度は練習と遠征と合宿が待っている。部活だけで埋め尽くされた夏休みだ。  そんな中でも部活に行けば、竹内も大抵道場にいる。  竹内の瞳は小川を見て、言葉を忘れる事もなくどんなにくだらない話でも小川の言葉に耳を傾けて、時には笑い、時には呆れつつ、隣にいてくれる。  部活が重なる日は、示し合わせたようにお互いを待ち、汗まみれのまま肩を並べて駅までの道を歩いた。  逃げ込んだ先の涼しいファストフード店で、飲み物一杯で何時間もしゃべり、時にはコンビニで買ったかき氷を日陰に座り込んで汗を流しながら食べた。  部活のない日曜はどちらかの家に行って、クーラーでガンガンに冷やした部屋で寝そべり、オススメの動画を見たりゲーム対決して過ごした。  喋る事はたくさんあった。知らない中学時代の話。小さい頃の話。家族の話。芸人や音楽の好み。  会話は尽きず、延々としゃべり続けた。  自分を知ってもらいたいという気持ちと同時に、相手を知りたいと思う欲は底なしだった  杉田とは、高一の四月、席が前だったので話しかけられ、格闘技の話で気が合い仲良くなったそうだ。  小川の事は最初はうるさくてガキっぽい奴に目をつけられてサイアクと思っていたらしい。  無視してもまとわりつき、正直面倒臭くて仕方がなかった、もういい加減うざさもマックスだった為、諦めたのだと言う。  自分の無神経質さは知っていたが、諦めてくれた竹内にラッキーという思いしかない。竹内でなければ、徹底的に嫌われて終わっていたのかもしれないのだから。  その日の夕方も、何となく示し合わせたかのように、竹内の部活が終わるのを小川は待っていた。  先に終わっていた小川は着替えも済んでいたが、竹内は道着のまま道場周りのランニングをしており、そろそろ終わりだなと暇つぶしにしていたスマホのゲームを終了する。  しばし風通しのいい昇降口に座り違う部の連中と話しこんでいると、いつの間にか竹内がグラウンドの水場にいるのが見えた。  友人達と別れわざと足音をたてずに近寄る。  道着を脱いでTシャツ姿だった竹内は、汗だくの髪が気持ち悪かったのか、水道の下に頭を突っ込んで冷たい水をかぶっていた。  サッカー部では日常的な風景でもあるし小川も部活の後サッパリするのでいつもやっているが、神経質な竹内がこんな外の水道で水を被るとは思わず、意外な一面を見て声を掛けるのを忘れてつい見入ってしまった。  目を閉じてザバザバと両手で豪快に水を浴びる横顔に、弾けた飛沫がキラキラと光り、Tシャツを濡らして行く。  髪が貼り付き露わになった首筋は、ぞくりとするほど白かった。  毎日三十五℃を越える猛暑の中、グラウンドで真っ黒に陽に焼けている小川とは違って、道場での練習がメインの竹内は、日に焼けても赤くなって終わるとぼやいていた。多少は色が白い事を気にしている所はあった。  首筋から流れていく水の道筋とぽたぽたと耳朶から落ちていく水滴。  じわじわとTシャツの染みが大きくなり透ける素肌。  濡れていると言うだけでどうしてこんなにも煽情的に見えるのだろう。  小川はそんな竹内から目が貼り付いたように離せなかった。 「小川、そこ、タオル取って」  顔を上げられず下げたまま、竹内が指さした。  ハッと我に返り、まるでいけない事をしたかのように目を逸らす。  いつの間に自分がここで見ている事に気づいていたんだろう。  誤魔化したくて脇に置いてあったタオルを掴むと乱暴に頭に乗せた。 「サンキュ」  そんな小川の心の内など知らない竹内は無造作に髪を拭う。  なぜか不自然に目を逸らしたまま小川は水場に寄りかかっていた。  自分に違和を感じていた。それが何なのか小川にはよくわからない。 「濡れて気持ち悪りい」 「水被るんなら普通Tシャツ脱いでからやんねえ?」 「ははっ、忘れてた」  嘆息すると竹内は無造作にTシャツを脱ぎ捨てた。  露わになった白い肌と、長身な竹内の、鍛えられた腹筋や背筋。引き締まった二の腕。まるで彫刻のようだと思った。白い石膏の裸身。 「凄えな、筋肉」  つい言葉が零れていた。素直な感情だった。  男なら誰でも憧れる身長とバランスのとれた長い手足。そして無駄な肉のない筋肉。 「そう?」  得意気に竹内は二の腕をまげて力こぶをにょきりと出した。青白い血管が透き通る白い肌に膨らんだ筋肉。  そうだ。最初竹内に興味を持ったのも、この恵まれた肉体を持つ竹内が、どれだけ強い奴なのか知りたかったからだ。  喧嘩をして歩くなんて事はないが、武道に強い男が一緒にいるってだけで自分まで強くなった錯覚さえ覚える。  きっと竹内に寄って来た奴らも皆同じ心境だったんだろう。  実際知ってみれば、そんな事はどうでもいい事だったのだが。 「サッカーとつく筋肉と全然違げー」 「そりゃそーだろ、使うとこ違うし」  ふらふらと引き寄せられるように小川は二の腕の筋肉に触れていた。固くて温かい。ついでに割れている腹筋もペタペタと触った。弾力があるのにこの硬質感。竹内が何も咎めないから小川は無遠慮に触れ続けていた。 「凄えホントに彫刻みてー」 「なにそれ」 「ほら、美術館とかにあんじゃん、ヘラクレスみたいなムッキムキなの」 「俺あんなマッチョじゃねーよ」  ぷっと噴き出したラフな笑顔に濡れた髪がさらさらと揺れて、何だか違う。竹内が違う。  胸にもやもやを持ったまま見ていると、竹内は替えのTシャツに袖を通し、飲みかけのスポドリを最後まで一気にゴクゴクと飲む。  晒された首元で喉仏が上下に動くさまを見つめていた。  髪の先に集まっていた水滴が落ち、竹内の白い肌を通って行く。一気に飲みきった唇は濡れていてやけに赤く見えた。  ドクリ、と小川の身体の中で何かが跳ねた。弾けたそれはじわりじわりと身体の中を侵食していき苦しさすら覚えた。  おかしい、このいつもとは違う感覚は何だろう。 「小川? お前、顔赤くねえ? 熱中症じゃねーよな?」  訝し気にした竹内の熱い手が首筋に触れ、動けなくなる。  鼓動が激しく感じた。眩暈がしそうな程、その激しさに視界が揺れている。 「どうした?」 「なん、でも、ね……」  途切れた言葉に竹内は小川の顔を覗き込む。焦点の合っていなかった視界に、端正な竹内の顔面が広がって足元がふらついた。 「おい、ちょっと来い」  強い力で肩を引かれ、歩かされる。空調の効いた校舎内のコミュニティースペースに連れて来られるとベンチに座らされた。 「荷物持って来るからそこで待ってろよ」  有無を言わせずに竹内はそう告げると、背を向けて駆けて行く。その背中を小川はジッと見つめていた。  頭にカッと血が上るほど心臓が激しく動いている。今自分に何が起こっているのかわからなかった。  これはきっと暑いせいだ。この暑さのせいでおかしくなっている。  その夜、小川はベッドに入っても胸の中に発生したじわじわとした感覚を消せずにいた。  目を閉じると浮かぶのは白い首筋、白い肌。滴り落ちる水滴と、竹内の濡れた唇、髪をかき上げる上裸姿。  何度振り払っても消えてくれない。すぐに浮かぶはずの竹内の笑顔も、興味なさげな目をした無表情も全く出てこない。  一体自分はどうしてしまったというんだろう。  この違和を持つ胸は知らない、知りたくもなかった。  突然鳴り響いたスマホの目覚まし音に、現実に引き戻される。 「全然眠れんかった……」  明け方少しだけうとうとした浅い眠りから覚め、ボーッと(くう)を見つめる。 「あー今日も部活か、しんど……」  心の中に芽吹いた違和感を意識して蓋をして、起き上がる。  身体が鉛のように重かった。毎日練習で疲れ、ベッドに入れば即寝する小川にはない事だった。  重い身体を叱咤して部活に行くと、竹内もいつも通り道場にいた。  目が合うと、昨日の事を心配しているのか平気か? とジェスチャーして来るのを親指を突き出して元気だと合図した。  何も変わらない、いつもと変わらない関係。  こんな違和感はすぐ忘れ、消え失せる。  これは夏の暑さが起こしたまやかしだ。  夏休みはまだ始まったばかり。今は竹内の意識を奪うあの女もいない。  このまま永遠に夏休みが続けばいい。  新学期など始まらない、二人だけの夏休みがずっと──   七月も下旬に差し掛かり、インターハイ出場を賭けた大一番の試合がやって来た。  いつだったか、冗談混じりに、試合観戦を賭けてゲーム対戦したのを、負けた竹内は律儀に守って応援に駆け付けた。  試合当日、小川はスタンドにいる竹内の位置を確認し、お互い親指を向け合った。  強豪校同士の戦いだ。三年は、この試合に負けたら殆どが引退する。勝てばインターハイ出場、自校は四年ぶりとなる為、応援団もたくさん駆けつけていた。  二年の殆どがベンチで、出番などあるかもわからない。  試合後半、ベンチの小川に監督が声を掛ける。アップを続け、ついに出番が来ると、自分の姿を焼き付けたくて必死にボールを追った。  自分が放ったクロスで先輩がゴールを決めた時、先輩に飛びつかれながらもあまりの嬉しさに、竹内に向かってVサインをした。  竹内は満面の笑みで小川に壊れる程の拍手を送っていた。大勢の応援団の中で、なぜか竹内だけしか目に入らない。  そんな竹内にしばし小川は目が離せなかった。  好きだと思った。唐突に。  ずっと胸の奥に押し込めていた違和感。  小川を精一杯応援する竹内のはじける笑顔を見て、全てが溢れてしまった。  なぜこんなにも、竹内に目が奪われるのかわからなかった。  友達なのになぜこんなにも竹内が気になるのか。  好きだと認めてしまえば全てが納得できた。  そうか、俺は竹内の事が好きなのか──  竹内がこのスタンドに来ている事で、どれ程の力を分け与えられているのか知って欲しい。  ボールを追う力の源が、竹内の声援なのだと。  小川以上に喜び破顔する竹内の顔をいつまでも見ていたかった。  許されるのならばこのままスタンドまで駆け寄って、体全体で喜びを表したいとすら思った。  あの男は俺だけのものだと声を大にして叫びたかった。  初めて見たあの日、一年の夏休み明けの体育館で、武道に長けた男に興味を持った。  色が白く端正な横顔を無表情で隠す、不愛想で冷めた態度を取る男の意識を自分に向けさせたかった。  一定のクラスメイトにしか相対さない、孤高な男の懐に入りたかった。  誰よりも一番の親友になりたかった。独占して、自分だけのものにしたかった。  竹内の隣はとても居心地がよくて、手に入れたら欲は増した。竹内の全部が欲しくなった。竹内の心までも手に入れたいと思った。  だから竹内の心を占めようとするあの女に焦りを感じた。  あの女を想う竹内の瞳が小川だけに向けばいい。  笑いかけるのは自分だけでいい。  こんなにも一緒にいるのに小川が男であるというだけで、優先順位が変わってしまうのが許せない。  女というだけで心を奪える、なぜそれが自分には許されないのだろう。  小川は、出逢った時から竹内の事が好きだったのだ。

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