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まだまだ続く終業式の最中、じわじわと拭いても拭いても浮かぶ額の汗を竹内は無造作に腕で拭う。
「竹内君全国行くなんて凄い、おめでとう」
近くに並んでいた女子達が小さな声で竹内に話しかけてきた。
「あー、サンキュ」
受動的に答えるとその周りの女子までも「あ、ズルイ私もおめでとう言いたいのに」「抜け駆け禁止」「頑張ってね、応援する」「インハイで引退? 秋までやる?」口々に話し掛けて来たせいで担任の山口から「静かにしなさい」と注意が飛ぶ。
彼女達の「はあい」という声に、同じ空手部が笑いをこらえていた。
春は女子の間で村上との付き合いが噂に上がっていたが、夏が始まる頃には村上も振られた一人だとすり替わっていた。
最近では告白される事も減ったが、道場を覗きに来つつ差入れを持って来る女子が増えて、その度に部員たちが竹内の代わりに対応してくれていた。差入れは御年六十を迎える師範のおやつになっている事は空手部の秘密事項になっている。
体育主任の説明によると、サッカー部のインターハイ一回戦は七月二十九日、勝てば二回戦、三回戦、と試合が続く。決勝戦は八月四日、開催地は新幹線で二時間の距離。竹内の空手道インターハイは八月十日、開催地は同じ、日にちは被っていない。
今年が最後なのだ。杉田から小川もインハイで引退すると聞いている。卒業したら小川のサッカーをする姿は見られないかもしれない。
見たいと思った。小川がピッチでプレイする姿をもう一度しっかりと見たい。
太陽の下で汗を光らせて走る姿も、何枚ものディフェンスを抜けて軽やかにドリブルする姿も、ゴールを決めた全開の笑顔も全部。
夏休みに入り、稽古は毎日朝から晩まで繰り返される。インターハイがすぐ目の前に迫り、部員たちの緊張感も高まっている。
太陽は高くジリジリと焼き、じっとりと汗ばむ不快な湿度だった。
道場の外では花壇に植えられた向日葵が太陽に向かって咲き、木の樹では毎日蝉が大きな声で鳴いている。
七月末、グラウンドからサッカー部の姿がいよいよ消え、マイクロバスを貸し切って開催地へ移動した。
竹内は毎日部活が終わると職員室に駆けて行き試合結果を聞いた。ベスト十六、ベストエイトと順調に勝ち進み、なんとサッカー部はベストフォー準決勝まで進んだ。
竹内はいつ行こうかいつ行こうかと、師範に部活を休む事を伝えられずにいて、とうとうここまできてしまった。
インターハイ前だというのに休んで観戦に行きたいとは言いづらく、真面目な竹内には届け出るのに二の足を踏んだが、学校全体がサッカー部の快挙に盛り上がっていた為アッサリと師範から承諾を得て、準決勝当日、竹内は朝早くの新幹線に飛び乗った。
競技場には高校貸切のマイクロバス三台が止まっていた。入り口にはトーナメント表と試合時間が記されている。シードの名門校との準決勝だ。勝てば決勝に進める大一番。開始時間は九時、もう始まっていた。
竹内は二階のスタンド席に出ると自校の応援席を探した。見慣れた制服の一帯を見つけ移動し、ピッチに目を向けた。背番号は七番、ミッドフィルダー。
竹内にはすぐに見つけられる見慣れた背中。無駄な肉のない痩身な身体。真っ黒に日焼けした小川の真摯な顔。
遠くから見ている竹内にも聞こえてきそうなくらい小川は声を出し、ボールを追い駆けていた。小川という人間が一番かっこいい瞬間だ。真剣で真っ直ぐで、ただ勝利を信じてプレイする姿。
竹内は立ち尽くしたまま小川だけを目で追っていた。
「え、嘘でしょっ、あれ竹内君じゃん? 見て見て!」
ふと自分が言われているのに気づき、竹内は反射的に見ると良く差入れをくれる女子達がいた。
「二学期まで会えないと思ってたから来てよかったー」
「小川と杉田の応援にわざわざ来たんだ、仲良いのうらやま」
「竹内君、ここ空いてるよ!」
近くのベンチで女子達がわざわざ座席を空けてくれたが、「いやいい、ありがと」と手を挙げて断る。
「わー腕の筋肉と筋めちゃカッコよすぎ」
「一人で来てるっぽいよね。帰り一緒になんないかな、聞いてみる?」
そんな女子達の声が嫌でも耳に入って来て、竹内は自校スタンドの後ろに移動し試合に集中する。
自校は前半戦、リズムがつかめず一点先制されされていた。その後、徐々にリズムを取り戻し、後半戦、圧倒的有利に試合を進めるが決定的と思われるチャンスもゴールバーなどに阻まれ、得点することはできなかった。
ロスタイム、相手チーム側の歓声がひと際大きくなっていく。小川は走るのを止めない。ボールを追ってただ走る。
試合終了の笛が誰もが注目する中高らかに鳴った。一対ゼロ。ドッと大きな歓声が沸き上がった。
小川の三年間頑張ったサッカー生活は準決勝で散り、今ここで終わった──
小川が真っ青なピッチの真ん中で、放心したように立っていた。杉田や他の選手は崩れ落ちるように芝生の上で丸くなった。スタンドでは選手たちの奮闘にスタンディングで拍手を送っている。
竹内は放心する小川の姿をずっと見ていた。呆然と無表情で、まだ現実を受け入れられていないのかどこか虚ろに芝生の一点を見たまま動かない。
──小川。
竹内の胸に急激に高まる熱いものがあった。泣きたいような感情の昂りに大声を出して吐き出してしまいたい衝動にかられた。
ここで去年のように小川と大声で叫べたらどんなによかっただろう、込み上げるまま名前を呼んでどれだけ小川が頑張ったか叫べたらよかったのに。
小川は顔を作り全てを堪えて感情を内へ押し込んでいる。
今、小川の中でどれほどの悔しさと悲しみがあるというのだろう。まだ友達だったら思いを受け止めたのに、今はそれが出来ない──出来ないのだ。
──小川、お前かっこいいよ。
三度の飯よりもサッカーが好きで、今日の為にどれだけ頑張ってきたか知ってる、よく頑張ったよ小川。インターハイベストフォーおめでとう。
竹内は熱くなる胸を押さえて心の中で小川に何度もそう送る。
ピッチでは杉田に背を押されて走り出す小川の姿があった。選手一同並び礼、相手チームと握手し選手達はゆったりと歩きながら二階席のスタンドを見上げ、応援に駆け付け大きな拍手を送る応援団へ応えるように頭を下げた。
竹内は深く頭を下げる小川にこれまでにない大きな拍手を送った。
頭を上げた小川の作り顔がピタリと止まり、もしかして目が合っているのかもしれない──そう思ったが、今はただただ精一杯の拍手を小川に送りたかった。
次は自分の番だ。
小川はこんなにも頑張ったのだから、自分もできる限りの力を、後悔のないよう精一杯やろう。
竹内は心に決めて会場を後にした。
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