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scene5-2

 卒業式が間近に迫った三月初め、外はまだまだ冬の寒さが続き、雨も降らなければ雪も降らない。からっからに乾いた冷たい風だけが吹き一歩外に出ただけで体温を奪う厳しい寒さが続いていた。  この日、三年生最後の登校日に、担任の強制呼び出しの成果か小川がやっと登校した。運悪く杉田は来ておらず、小川はほとんど教室にはおらず行方不明のままだった。  最初こそ咎めたが、竹内は二年の教室に行き中津を探した。彼なら小川がどこにいるのか知っているはずだった。 「中津いる?」 「え、は、はいっ」  近くにいた男子に話し掛けると、なぜか盛大にビビられる。しかし竹内の登場に二学年の女子が一斉にワーギャー騒ぎ出し、一斉に注目を浴びてしまう。  呼ばれた中津も最初ビビった態度をわざと作っていたが、喜びの方が勝ったのか女子に何で何でと注目され、ご機嫌に竹内の所へ来た。 「突然悪い、小川に会ったならあいつの居場所教えてくれ」  声を潜めると中津も察したのか口元に手を当てた。 「さっき南校舎の屋上へと続く階段の踊り場で、大翔センパイと会ったっス」 「ありがとな」  周りに聞き取られないようコッソリと教えられ、目を真っ直ぐ見て礼を伝えると中津はへらりと顔を崩した。 「センパイ寒いっつってたんで、あったかいの持ってくといいっスよ」  中津は照れ隠しなのか頭をポリポリとかきながら、にんまりと口端を上げた。 「分かった、何か買ってくよ。中津、色々悪かったな」  ポン、と肩を弾くと後輩は目を見開きキョロキョロさせ、動揺するのが見て取れた。中津の耳がみるみるうちに赤く染まって行く。 「ふえ、ちょ、やめて下さいよ、急に、優しくされると、俺惚れてまう」  両頬を手に挟む仕草に竹内はぷっと破顔する。以前小川も同じ事を言っていたのを思い出す。 「お前小川と同じ反応」 「マジ勘弁して下さいよ、それ、野郎にも効果あるから!」  竹内と中津はほぼ身長は同じで目線も変わらない。ガタイも良いのに威圧感はなく何だか憎めない。  竹内にとって地雷だった中津だが、ただ小川がつるんでいるだけで理不尽な態度を取っていた。なのに怯えたり避けたりせず、フラットなまま挨拶し続け、随分とハートの強い男だと思った。まるで、以前の小川のような──  教室に寄って、竹内の空手部のジャージを持ち、自販機で温かいお茶を買って南校舎の階段を上った。  広い踊り場は物置にされていて、文化祭で使ったのだろうアーチの骨組みや、カラフルな花で飾られた看板等が雑多に置かれていた。  色とりどりのペーパーフラワーに囲まれて、小川は背を積まれた段ボールに浅く預けて座り、目を閉じていた。竹内の足音に気づかないのは、多分耳に入ったイヤホンのせいだろう。両手は制服のポケットに突っ込み、スマホは折られた腹の上に乗っていた。  階段を登り切り踊り場に立ってようやく小川は竹内に気づく。  ほら、と持っていた竹内のジャージを小川にポンと投げると、小川は受け取るでもなく立てていた膝の上にジャージは乗った。 「いらん」  小川は言葉少なに呟くと、膝をゆすってそれを落とす。そしてまた目を閉じた。 「せっかく学校来たのにサボり通すの」 「来たくて来たわけじゃねーよ、ピンクが卒業させねって脅すから」  目を閉じたまま小川は抑揚なく言う。スマホを取って弄ると、イヤホンを無造作に耳から抜いた。竹内と会話する気はあるようでホッとした。  竹内は一歩ずつ小川の座る場所に近づく。小川は不自然に一点を見たまま、近づく竹内に身構えているのがわかった。何かあればすぐにでも立ち上がれるように。 「寒かったんだろ?」  まだ熱いままのお茶のペットボトルを折られている腹の上にゆっくりと乗せた。ついでに落ちている竹内のジャージも拾って、立てられている膝に掛けた。小川は、今度は振り落としはしなかった。 「中津か」  まだ一点を見つめたまま小川は独り言のように呟く。 「そう」 「余計な事しやがって」  小さな声で恨み言のように発しつつも少しだけ緊張を解いて、そっと腹の上のペットボトルを取った。そうして暖を取るように両手で握る。 「引越しの準備は進んでんの?」 「まあね」  自分から聞いておいて、その小川の投げやりな答えに、ざあっと全身が砂のように崩れて行く感覚に陥る。身体の中を通る一本の軸がぐらぐらと揺れていた。  ──本当に小川はここを出て行くのか。  心の何処かで信じきれずにいた。信じたくなかった、信じてしまったら全てが終わってしまう。  あれは小川が都合よく作り出した嘘で、本当は違う、どこにも行かずここにいるのだと──  ああ、もう駄目なのか。足掻いても届かない。小川の心はもう二度と戻ってはくれない。  竹内を忘れ、全てなかった事にして、そして告白したことすらきっと忘れてしまうのだろう。  一方的に小川という存在を刷り込まれ、そして竹内の心を掴んだまま小川は出て行くのだ。この心はもう誰も受け入れられそうもないのに、小川を手放さなければいけないだなんて──今更もう遅いのかもしれないけれど、小川の口から聞くのは想像以上のダメージだった。 「小川」 「………」 「小川」  呼んでも小川は顔を上げない。竹内を見ない。竹内の声は届かない。 「おが、わ、」  唇が震える。声が震える。  竹内を見上げて楽しげに語る瞳はもう一生見られないのだ。あんなにも小川は竹内の事を好きでいてくれたのに──  竹内の世界が崩壊したかのように崩れて行く。軸はポキリと折れ、ありとあらゆる力が全て抜け落ちてしまったかのような錯覚を覚え前後不覚になった。  小川。  頭を抱えてしゃがみ込む。まるでトドメを刺されたかのように広がる絶望感で頭がクラクラした。  目の前にいる小川が喉から手が出るほど欲しい。ごめん、小川、ごめん、ごめん──…感情が噴出する。 「──好きだ、お前の事が好きだ」  頭を抱えたまま、苦しい想いを吐き出す。小川が身じろぎ、グッと息を詰めたのがわかった。それでも続けずにはいられなかった。 「好きだ、好きだ、小川が好きだ……まだ俺を好きでいてくれよ……」  潰れてしまいそうな声をかろうじて押し出す。喉が詰まりそうで呼吸すらしんどい。それでも懸命に絞り出した。心臓までも痛く、ドクドクと速まる鼓動が全身を覆う。 「嘘だ」  一瞬の沈黙の後、小川の息を詰めた声がガラクタ置場に響いた。小川は段ボールにまとめられていた色とりどりのペーパーフラワーを掴むと竹内に投げつけた。 「嘘だ、嘘だ、嘘だ! 嘘ばっか言ってんじゃねえよバカ!!!」 「小川、嘘じゃない、お前が好きなんだ」 「お前は何もわかってねーよ、簡単に言うな!」 「違う! どうしたらお前に伝わる?!」 「伝わんねーよ! 一生無理、聞きたくない、聞きたくなんかねーよ!!」  赤や黄色の柔らかな花が竹内の周りを取り囲む中、小川は耳を塞ぎあの時のように拒絶する。膝を抱え顔を膝頭にこすり付けて、自分を守るように丸まる。  身を守り、竹内を拒絶するために作り出した、バリヤー。  どこまでも竹内を受け入れない、好きだと言う言葉を信用できない程、小川は頑強な殻に閉じこもってしまっている。  そんな風にさせてしまった、あんなにも誰彼かまわず人に踏み込んでいく小川を変えさせてしまった。なんて罪なのだろう。  破壊してやりたくて小川の左腕を掴んで引き寄せた。 「嫌だ、やめろっ」 「止めない、好きだから」  腕を振り抵抗する小川を強引に引き寄せて抱きしめた。緊張し強張る身体だった。見境なくくっつき触れていたあの頃の記憶しかなかった竹内には、やはりこの違いに悲しくなった。 「やめっ……たけ、うちっ」  溢れそうになる感情を堪えて、小川が動けないようがむしゃらに腕の中に拘束すると、小川は生気が抜けたかのようにダラリと落ちて行く。  嫌だ、嫌だと繰り返し身体ごと落ちて行くのを必死に抱き上げた。  散らばる色とりどりのペーパーフラワー。窓もなく、誰も来ない階段の行き止まりで、竹内の切羽詰まった呼吸と、小川の嫌だと繰り返す声だけが聞こえていた。  逃げ出さない小川の指先が、気づいたら竹内の制服を掴んでいた。 「勘違いすんな……お前混乱してんだよ。俺みてーなタイプにベタベタされて、それで好きとか言われて混乱してんだよ」 「違う、お前だけだから、お前だけがいてくれればいい」 「だからそれは友達に戻りてーだけだろ、俺の感情とは違う。言っただろ? 俺はお前と友達にはもうなれねんだよ」 「だったら何で俺は村上といてもお前の事ばかり考えてんだよ、何でお前に会いたいって思ってんだよ、なんでお前ばっかり目で追ってんだよ、これが友情って言うなら愛情との違いはなんだよ!!」 「竹内、こーゆうこと」  小川の両腕が竹内の首に回されて、唇が重なった。小川からの二度目のキスだった。  柔らかくそっと押し付けられた小川の唇は温かくそしてひどく柔らかく、あの時の微かに触れた唇とはまた違って、これは愛おしい相手にするキスなのだと心の中で感じていた。あの小川がこんな風に自分に対してキスができるのだとリアルに思い知らされる。  好きと言う感情。決して計ることなど出来ない重み。友情と愛情、一体自分の想いとどれほど違うのだろうか。好きだと言う気持ちは変わらないのに。  そっと離れた唇と同時に目が合った。小川の瞳が竹内の心奥深くを探るように真っ直ぐ見ていた。  薄い笑みを浮かべて小川は自分に回る竹内の腕をゆっくりと外す。まるで小川を縛り付ける鎖を自ら解くように。 「俺な、おかしいんだよ。お前の全部が欲しいわけ。俺だけを見て俺だけを構ってくれてないとどん底に落ちるわけ」 「──それで?」 「お前がちょっとでも他の誰かや女を見るだけで許せねーのよ、苛々すんのわかる? お前が愛を囁くのは一生俺だけじゃないと嫌なの、引くだろ」  赤く染まった目元。鼻をスンと啜りながら小川は頭を垂れていた。 「お前の為には友達でいられたらよかったんだけどな、ごめんな」  感情のない口先だけだった。顔を作って気持ちを押し込んで、目を伏せた。 「まあ俺でも、友達で、しかも男にそんな事言われたらドン引きするけどな、きしょすぎ、ははっ」  少し自虐気味に笑って小川はゆっくりと腰を上げた。落ちていた竹内のジャージを拾うと手渡してきた。 「だからお前とは一生無理だ」 「無理じゃない。引かねーし、全然引かねーよ」  きっぱり告げて竹内と真っ直ぐ向かい合ったその手を掴む。引き寄せても小川は顔色一つ変えず落ち着いたままだった。 「いい加減わかれよ、目ぇ覚ませ」 「好きだよ、小川」 「ハハッ」 「俺もキスしていい?」 「……いいよ」  伝わらない小川の頬に手を添えて、想いを込めて口づける。素直に口づけを受ける小川の唇が震えていた。  泣きたくなるほどの切なさ。心が震えるほど愛おしいのに、小川は竹内から離れて行く。解放を望むのだ。 「友達にこんなキスしないよ」 「へえ」 「それでも行くのかよ」 「行くよ」 「学校はどこ?」 「言わねーよ」 「俺の顏も見たくない?」 「そう。だからもうお前から卒業さして」  死んでしまう。  そう言って小川は竹内の肩にコツンと頭を預けた。

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