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scene6-2
卒業式の後、雪の降る中、竹内の告白を受け、小川の中で張り巡らせていた緊張の糸が一瞬にして切られた。
あんなに頑強に張っていた筈だったのに、酷くあっけなく脆かった。
竹内を前にしてしまうと意思が緩む。好きな気持ちは抑えれば抑え付けるほど増す。
小川の高校生活の思い出は何かと問われれば、短かった竹内との学生生活、忘れようと必死になっていた消化試合のような日々しか思い浮かばない。
そこまでの感情を忘れる術を知らない小川の想いは、一層強まるばかりだった。竹内の姿が見えない所へ行かない限り、自分は一生この恋に囚われたまま救われる事はないのだと、逃げることに必死だった。
竹内が小川へ向ける感情は執着や依存という部分は同じでも、形は似て非なるものだった。心を許していた小川という存在を失って、必死にそれを埋めようとしていた竹内の感情は、小川のものとは違っていたはずだった。
あの日、三月弥生の雪。竹内は、小川だけが好きなのだと告白した。苦しげに想いを告げ、竹内も小川から卒業しなければ、生きていけそうにないのだと絞り出すように言った。
小川がどれほどの想いで竹内という存在から卒業しようとしていたか。
友情と恋愛を履き違えた自分は頭がおかしいのだと、ずっと暗闇の中を彷徨い歩いているようだった。それなのに竹内は自分を追う。あの友情関係を取り戻そうと、小川の心に踏み込んでこようとしてくる。
雪の降りしきる車道で溢れ出る涙が止まらず、小川は取り繕うすべも知らずに泣いた。全ての箍が外れた瞬間だった。
竹内は小川の手を引いたままどうしたものか道端で途方に暮れていた。傘もなくコートもなく制服のままだった。
泣き続ける小川を連れて学校に戻ることなどできず、家に連れて行くことも出来なかったようで、散々悩んだ末、駅前のカラオケボックスを選んだようだった。
暖房が効いた暖かな部屋で、歌を歌うこともなくただただ互いに向き合ったまま、まずは何を言うべきかもわからず座っていた。これから二人でどうしたらいいのかわかっていなかったのだ。
薄暗い室内はモニターに流れる無機質な映像だけがただひたすら無音で流れていた。
涙も落ち着いて冷えた身体が温まってから、ようやくビニール製のソファに深く座り直し、顔を上げた。
竹内はただ静かに小川が落ち着くのを待っているようだった。
「ごめん……卒業式だったのに」
最初に口を開いたのは竹内だった。
「皆びっくりしてんだろうな……」
泣いて鼻の詰まった声で受動的に返す。小川から言葉が返って来ると思っていなかったのか、竹内はゆっくりとした動作で小川に身体を向けた。
徹底的に打ちのめされる覚悟で、その時を待っている。
あの日、あの海岸で小川が告白し、友達だと振られたように、竹内もまたその言葉で振られようとしている。二度と立ち上がれない程の決定打を食らって、小川から卒業しようとしているのだ。
「……できねえよ」
今更振るだなんてもうできるわけがない。
乾いたはずの涙がまた盛り上がりそうになるのを堪える。
「竹内の事忘れられるわけねーじゃん。俺、どんだけお前の事好きなんだよ……今でもすげぇ好きだよ。お前にこんなんされて、めっちゃ喜んでる」
ボロボロと球になった涙が落ちて行く。
卒業式を最後に、竹内とはもう二度と会うつもりはなかった。ここを離れ、完全に竹内を忘れてしまうまで、二度と帰るつもりもなかった。
この想いが風化され思い出に変わった頃、杉田にこの画像を見せてもらおう、そう思って三人で写真を撮ったのだ。
「ホントに? ──俺の事まだ好きだって言ってくれんの?」
期待に満ちた声で竹内が立ち上がる。声が出なくて、涙をこぼしたまま首を上下に振った。
「嬉しい、小川、好きだ、大好きだ。お前がまだ俺を好きでいてくれて嬉しい──」
向かいのソファから小川の前に来ると、頭ごと抱きしめる。立ったまま座る自分を抱く竹内の背に手を回し、強く顔を押し付けた。
「ぅっ……──う……っ」
「小川、ごめんな、辛い思いさせてホントごめん。俺、もうお前のもんだから──絶対離れねえよ、だから、もう泣くな」
がっちりと抱きしめ返してくれる竹内の力強さに、心の全てが溶けだして行く。喉からは嗚咽しか出てこないが、その身体の逞しさや暖かさに包まれて、羽毛のように柔らかな多幸感が満ちる。
「俺の、恋人に、なってくれんの?」
「なるよ、なる。今からお前の恋人だよ、ずっと一緒にいてくれ」
竹内に顔を押し付けたままの小川の顔を、竹内が覗き込み首を傾げる。
くっきりと深い二重の瞳はいつもとは違い、小川といる時だけに見せていた感情の解けた素の竹内だった。小川だけに心を許した柔らかな瞳、自分だけにしか見せない表情。
「多分もう俺、竹内忘れる事できないから……離れる事も出来ないだろうし……俺、別れたいとか言われても別れねーかもしれねーよ」
竹内からそっと身体を離すと、ソファの上に膝を抱えて小川は丸まる。その隣に竹内は腰を落とした。
「やっぱり女がいいって言われたら本気で竹内の息の根止めに行くかもしんないし。女の影がチラついたらブチのめしに行くかも知んねーよ? それずっと続くんだぜ? それでも俺の事好きとか言える?」
小川の竹内への想いは重すぎて深い。竹内に受け入れられるのか不安しかない。
「止めるならまだ間に合うぜ?」
自嘲的な笑みを浮かべ無理して顔を作る。いつでも引き下がれるように。なかった事にしてあげられるように。
決して顔には出さないように努めて、竹内の反応を垣間見た。引いているのかと思えば、竹内はきょとんとした顔をしていて、目が合うと目元にクシャリとしわを寄せて笑った。
「お前無理矢理俺の心ン中かき回したクセして何言ってんだよ、こっちこそもう懲り懲りだ……突然切られてさ、トラウマ残しやがって」
「………」
「お前の事好きだよ、本気で。喉から手が出るくらいお前が欲しかった。これが恋愛感情じゃないなら何なんだよ、一体。俺どんだけお前の事ばかり考えてたか、毎日毎日。他の人なんかどうだっていいよ、小川さえいてくれたら、小川だけがいてくれればいいよ」
「竹内」
「もうさ、勝手に逃げんなよ。俺さ……お前みてーなうるさくて気の強え奴ばっか寄ってくんの、小川だけいればいいからさ、振り払ってよ全部」
「なにそれ」
竹内の笑顔につられてぷっと噴き出す。
気の強い子達が竹内を好きになるのは、無関心で冷めた目をした男を振り向かせたいからだ。この心の中に入ったらどんな顔を見せてくれるのだろう、懐に入ったらどれだけ好きになってもらえるのだろう。そんな欲がわくのだ。
心が強くないとこの男は落とせない。ガッツがないと相手にもされない。スルーされても、苛つかれようとも、竹内に話し掛け、粘り勝ちしたのはこの自分なのだ。
「やっと笑った」
安心したように竹内が呟く。
「お前もな」
小川もそんな竹内を目に焼き付ける。
雪で濡れた髪が無造作に跳ねていた。黒い髪が色の白い首筋に貼り付いているのが間近に見える。髪の毛の一本一本すら揺れ動くさまが見える。
遠くから気づかれないように見るだけだった竹内と一緒にいる。
さっきまで自分達は卒業式に出ていて、記念撮影をしていたはずで。
永遠の別れの日になるはずが、今から自分達は恋人だなんて──不思議な感覚だった。
身体も心ごと温かな繭に包まれて、ほわほわとした柔らかな気分に浮足立つようだった。
もう竹内の事を忘れなくてもいいのだ。近くで見ていてもいいのだ。好きだと口にしてもいいのだ。
「今は誰よりも小川が好きだから。俺にトラウマ植え付けた責任取れよ?」
「クソ重いじゃん……責任くらい取るよ、俺のが激重だし、覚悟しろよ」
照れ隠しに向かい合う竹内の肩に頭を預けると、ぎゅうともう一度強く抱きしめてくれた。
竹内の心に踏み込み、そして逃げた罪は思った以上に大きかったらしい。
刷り込みのように、インプットされてしまった小川の存在を失くす事ができない竹内。そんな竹内から離れられない小川と。
お互いどこか異質であって埋めあうようにお互いを必要とし、深い所で欲し合っている。
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