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scene6-3
「部屋、その辺もうちょい片付けといた方がいいじゃないの?」
顔を離すと竹内が乱雑に放り出されている衣類や生活用品を見て、少しはにかんで言う。キスの摩擦で赤く色づいた唇が、小川の唾液で光っていた。やけに扇情的で色っぽくてどこか胸が苦しくなる。だけどもっと一緒にいたいのだ。
「今日はもういいじゃん。その辺に寄せとけば」
「踏んだらお前めっちゃ怒るだろ」
「だったら帰らねーでずっと手伝えよ」
本音を言うと、意図を察したのか竹内は、仕方ねーなとスマホを取り出す。親に送っているのかポツポツと打つと、ポケットにしまった。
竹内は家から乗り換え二回、約一時間近くかけて大学に通うと言う。正直小川の住むここからの方がはるかに竹内の大学は近い。
「帰すつもりねーだろ」
ペチンと竹内に鼻先を指で弾かれて、ムッと唇を尖らせた。
「はい、お前今日帰れない、けってーー」
帰って欲しくなくて、有無を言わせず立ち上がる。本当は最初から帰すつもりなんてなかった。竹内を独占できるこの日をずっと待っていたのだから。
竹内の返事など待たず、乱暴な動作で未開封の段ボールをバリバリ開ける。竹内と過ごす為にも今夜寝るスペースだけでも確保しなければ。
「ほら、お前もやれよ」
急にテキパキと動き出した小川に、薄らと笑みを含んだ顔をしていた竹内は、
「ここお前んちだろが」
全てを受け入れてくれたのか、腰を上げた。
その後は、外が暗くなるまでには全ての箱を開いて収める、そう二人で決めて時々ダラダラして休憩し、しゃべって休憩しを繰り返す。もともと荷物など少ないからあっという間に段ボールは全てなくなった。
気づくと外はどっぷりと陽は暮れていて、空腹を覚え時計を見ると七時を回ろうとしていた。もうこんな時間だったんだ、と竹内と見合って驚き、散策がてら夕飯を調達に外に出た。
昼間あんなに暖かかった陽気はひんやりと冷たく、その寒暖差に小川はブルリと肩を震わせ、羽織っていたジャケットの前ファスナーをしめた。
隣では竹内が、ワンポイントのついた長袖Tシャツにアンクル丈のパンツ、そして厚手の黒パーカーで、ポケットに手を突っ込んで歩いている。背が高く身体のバランスがいいからそんなラフな姿でも充分さまになる。やっぱりカッコいいよな、と改めて思う。
こうして見れば竹内はもう充分大学生に見えた。空手で鍛えた身体はしっかり出来上がっているし、元々幼さのかけらもなかった。制服を脱いでしまえば学生特有の弾けた青臭さの見られない、不愛想だけどカッコいい男だ。
街灯が灯る歩道で、まだ見知らぬ町を歩く。駅から離れた場所には店もなく、住宅地が続いていた。
「大翔好きだった人いた事あるの?」
大きなマンションを見上げて竹内がフト聞いて来た。
「ある……多分」
「多分て、覚えない? 小学校とか中学とかでさ、隣の席の子とか意識しなかった?」
人通りもなく、寒さを理由に竹内にくっつくと、小川の手をとても自然に取り、繋いで歩く。
「ずっとサッカーばっかで週六練習だったし、その仲間としか遊んでなかったし……」
「でも女子サッカーの子と仲良いじゃん」
「あいつらは女って意識してない。中身男だし……」
そう考えたら、もしかして自分は初恋もしたことがないのかもしれない。
「好きな芸能人とかいない?」
「サッカー選手ならたくさんいる。Rナウドは見た目もプレイもすげえかっけーし、Mッシは俺の目標だったし、Iブラヒモビッチはデケーのにテクニックあって好き」
「海外の選手ばっかじゃん」
「日本だとM野とかバラエティー見てておもれーよな」
もしかしたら友情や親愛以外で人を好きになる感情を持ったのは、竹内が初めてなのかもしれない。
「お前もしかして女は恋愛対象じゃねーのかもな。男しか出てこねーし」
「そうかも、しれない……」
高二の夏休み、部活後の水飲み場で、水を浴びていた竹内の上裸に反応した時の事を思い出す。そうだ、あの夜、そのシーンが頭から離れず欲情していた。手は自然と股間に伸び、自分を慰め続けた。終わりのない衝動に翻弄され、翌朝起きた時の落ち込みは酷いものだった。
竹内だからなのか、男の身体で興奮したのか、自分で答えを出す事を放棄してしまった。
「俺みたいな背が高くてスポーツで鍛えた男に惹かれんだろ。中津もそうだし」
「あいつなんか好きじゃねーよ」
「ああ、わかってる。ただ、そうゆうタイプの傍を無意識のうちに選んでんだよ」
「なにその分析。怖え」
「安心する的な? それとも委ねたいとかさ、そうゆう心理が働いてんのかも」
考えてみたらサッカーの仲間以外で、仲が良かった友人達は小中学校含め、確かに小川より背も高く体格の良いタイプだった。中学で唯一懐いていた進路指導の先生も、過去スポーツで鍛えていただろう背の高い人だった。
そういった好みが段々と形成されて行った結果が、竹内なのかもしれない。意識した事はなかったが、竹内は小川にとって一目惚れになるのだろう。
自分の性癖を暴かれたようで気恥ずかしくなる。要するに竹内は小川のタイプなのだ。
一年の夏休み明け、体育館の舞台で表彰される竹内を初めて見た時からきっと、小川の初めての恋が始まったのだろう。
「あー心配。大翔の行く学校、そんな奴大量にいるだろうし、マジ、ダチになる奴想像つくわ」
「お前だって、大学で女にモテまくるじゃん、元カノに再会したらどーすんの」
「ん? 村上? 北海道だしなぁ」
「北海道行ったの?」
「そ、北大。生物系の研究がしたかったみたい」
何度も垣間見た村上千夏は才女そのもので、到底自分が太刀打ちできる相手ではなかった。
「お前とお似合いだったよ……マジで、一発で負けたって尻尾巻いたくらい」
握った手を強く握り、自分のポケットに入れる。竹内がどこか嬉しそうに自分を見ていた。
「はは、俺も中津には嫉妬してたわ……大翔は人との距離が近いからさぁ、マジイラついた。触んなって。俺以外もうすんなよ?」
「しない、竹内しかしない」
自分のポケットの中で、ギュッと強く握り返された手に感情が籠る。
ドキドキする。竹内の独占欲が心の中に熱を持って入り込み、感動すら覚える。忘れなくてよかった。忘れずに竹内を好きなままでいて本当に良かった。
徒歩五分ほどにあるコンビニとドラッグストアで買い物を済ませ、今度は違うルートで家に戻る。
「もう春だな……」
ひらひらと舞い降りる桜の花びらを見つけ、竹内が遠い目をして呟いた。
冷たい夜風が頬を掠める、街灯の照らす小道。小さな児童公園を見つけ立ち止まった。公園の入口に植えられている二本の桜の木は満開で、綺麗な夜桜を見せてくれていた。
うっすらと霞み、柔らかな光を発している朧月夜だった。見上げ何かを思う竹内の横顔はどこか悲しげでいて引き込まれる。
「あのな、俺あの時、」
どこか言いにくそうに竹内は言葉を選んでいる。
「ん?」
「こんな風に花びらが舞って、」
「うん」
「俺、あの時見たんだよな……」
「?」
「大翔……泣いてるのかと思った……」
月がやんわりと照らす竹内の陰影のある横顔。そんな事を言う竹内の方が泣きそうな顔をしていた。
「お前の目からボロボロ涙こぼれて、お前そのまま消えてしまいそうで……」
竹内の目には一体何が映っていたのだろう。にがく苦しそうに、竹内は朧月夜に舞う桜の花びらを見つめていた。
色白な顔が夜目にぼんやりと映っていて、小川はそんな竹内から目が離せなかった。
「なんで?」
そう聞くと、竹内はゆっくりと小川を見た。闇色の中で瞳が揺れていた。照らされた瞳は緩く滲む。見ている小川の方が切なさで心が痛くなった。
「お前、凄え悲しい顔してた……あんな大翔の顔初めて見た、もう二度と見たくねーわ……」
「お前が彼女といた時? ああ、泣きそうだったなあ、あん時。不意打ちだったし」
「うん……」
「琥太郎とカラオケだったかな。どん底でさ、一曲も歌えねーの俺、結局」
「お前が俺のことどんな風に好きだったか全然わかってなかったから……」
俯き、竹内は顔を落とす。
「ごめんな」
どんなに後悔したってあの空いた空間は戻らない。どれだけ小川が苦しみ想いを殺そうとしていたのかなんて、自分にしかわからないのだし、竹内がどれだけの時間をかけて小川を理解し、常識や理念を越えてきたのかなんて分かるはずもない。
ただ、今はお互いの目を見て一緒に歩ける、終わりにしないでくれた竹内がいたから今があるのだ。
「もういいだろ、もういいってホントに……俺はずっとお前の事が好きなまんまなんだし」
友達だと言う言葉で小川を振った罪悪感は、竹内の中で根強くはびこっている。成就するはずのない恋だったのに、真摯に向き合ってくれた竹内を、小川は絶対に放すつもりはないのに。
竹内はチラと小川の表情を伺うように見てから小さく「うん」と頷いた。
霞んだ空に滲む朧月。ひらひらと落ちていく花びら。竹内は何を思うのか、月を背後にした桜の木を、立ち止まったままずっと見ていた。
「大翔」
「うん?」
「この先もずっとお前しか好きにならないってあの月に誓うわ」
冗談の欠片もない、真面目一本な顔。道場で空手の型を取る、精神統一されたあの真剣な瞳だ。
もう二度と竹内に罪悪感など持たせたくない、それこそ自分だって誓いたい。
叫び出したいような衝動に駆られて、見よう見まねの回し蹴りを、空手の呼吸に合わせて一本、竹内の尻に打ち込む。
「痛てッ」
「あんなぼやけた月じゃなくてもっと満月の時に誓えよ、バーカ」
竹内を置いて小川は駆け出す。たまらない。
今、竹内が誓った言葉を小川は一生心に刻み付けるのだ。
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