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chapter 4 Do You Like To Talk With Plants?

 植物と自分だけになると、花は椅子を引き寄せ、机の上の植物の前に座った。  腹に力を入れ、自分の中の力に集中する。  精神丹を使う時はいつも、茂った高い枝から溢れる木漏れ日を思い浮かべるようにしている。その方が力を引き出しやすく、具現化もしやすい。  暖かい波が、腹から胸を通り抜けていく。そして肩から腕、腕から手の平へ向かう。  精神丹の力の引き出し方は、人それぞれ違う。  以前影音と話したことがある。彼が精神丹を鍛錬する時は、夜の湖の水面を頭に思い描くらしい。静かに星を映し続ける水面を、力で起こす風で揺さぶることを考える。そうすると、彼の精神丹の力は具現化しやすい。昼ではなく夜の湖というのが、彼らしいと思った。  普通、精神丹の力を使う素質のある者は修行院へ行き、師に学ぶ。だがその道は容易くはない。  もし仮に試験も受けず、院に袖の下を渡すでもなく門への階段を上がれるなら、その者の将来は約束されたようなものだ。天賦の才を持つ者のため、そういう特別な例もあると聞いたことがある。生まれついての才能というやつだ。  随分前に天海からの申し出を受入れ飛翔してしまったが、大賢者と呼ばれた者がいた。その大賢者が凄まじい力を持っていたことは、辺境の街でも知られている。何を隠そう地海のほとんどが、彼の敷いた結界が基だ。  彼の精神丹は、彼がまだ赤子の時分で開花したと言われている。彼は青年になった頃、様々な院の誘いがあったにも関わらずその全てを断った。同じように、生まれつき力に恵まれた仲間と独自に修行を積み、その力を地海の弱者のために使った。どんなに辺境の小さな集落でも、魔物に襲われて困っていると聞けば必ず自ら赴いた。  人助けに明け暮れた男が、晩年出会った娘と恋仲になり、二人はめでたく夫婦になった。その妻が病に伏した際、彼の力は病ですら癒したそうだ。  彼は剣術だけでなく、錬金術にも長けていた。今地海にある、法器と呼ばれる術を発動する物の多くが、彼の功績によって作られたものだとされている。  花も影音も、ただ独自に精神丹を使う方法を身に着けた。二人とも幼い頃に才能を開花させ、今に至る。才能だけで言うなら、二人にはそれもあった。ただ、自分たちの方法が仮に間違っていたとしても、間違っていることさえ分からない素人には変わりない。  花には心の中のどこかでいつも、迷いがあった。大賢者のような才能があれば、その力で大切なものを守ることもできる。しかし自分はそんな才能があるわけじゃない。花は己の力の限界を知っていた。   花の両手から暖かい光が零れた。そのまま金木犀の木の根元に触れる。  光は幹を伝って枝を通り、その葉に達すると、枯れていた金木犀は息を吹き返した。項垂れていた枝は顔を上げ、葉が瑞々しく揺れる。色の悪かった幹も健康な色に戻っている。 「良かった……」  ほっと胸を撫でおろす。  もしこの木が本当に死んでいたなら、花の力でも生き返らすことは出来ない。少なくとも、今の花の力では無理だ。  この金木犀がこんなふうに息を吹き返したのも、花の力で一時的に復活しただけである。どうすれば力を使いこなせるのか、分からないことを歯痒く思うことも多い。  影音の力は花よりずっと強い。影音は植物を癒すことは出来ないが、彼が本気でかかれば、きっとやれないことなどない。 「頼むぞ」  花は緊張でかさつく唇をひと舐めする。  他の鉢植えにも同じように力を与えていく。集中力と根気が必要な作業だ。終える頃には、花の額には薄っすら汗が滲んでいた。  元の姿を取り戻したのは、五つのうちの、金木犀を含め二つだけだった。三つは枝先から根っこまで、もう完全に死んでしまっている。花でももうどうにもならない。  体の熱の波がゆっくり消えていく。送った自分の力が木とうまく溶け合う頃合いを待って、花が口を開いた。 「……話せるか」  静かな沈黙の後、金木犀の葉が揺れた。 「うん。……でもそんなに時間はないかも」  男とも女とも取れる声が、金木犀の木からする。ただその声は、花にしか聞こえない。 「楓は?」 「私も……何とか大丈夫」  話しかけられた楓が、赤い葉を揺らす。  金木犀も楓も、己の無事を確かめるかのように、その体を揺らした。実際には、ただ枝や葉が、ほんの少し揺れただけである。隙間風に吹かれれば、これくらい揺れるだろうという程度に。  だが花には彼らの気持ちが分かった。精神丹の力を使わずとも、花は普通に植物と喋れる。それは生まれつき備わった、花の奇妙な能力だった。  “花神(ホアシェン)”というあだ名は、花の仲間がつけたものだ。花が植物と話せることを知っているのは、影音を含めごく僅かである。  大抵の人間は花のことを、ただ単に植物の世話がとても上手いのだと思っている。  枯れかけた植物でも、花が手入れすればまた生き生きとする。いまいち元気のなかった植物も、花の言う通り少し植え場所を変えただけで、見違えるほど元気になる。  何のことはない。花が植物の世話が上手いのは、彼らに頼まれた通りに世話をするからである。枯れそうなものには何が必要か聞き、元気のないものにはどうしたのかその訳を聞く。 「……何だか、嵐で根こそぎ倒れた気分」 「私も……」 「後でちゃんと世話するよ。絶対だ」 「約束だよ。花に任せれば安心だって分かってるけど……」  楓の声には全く元気がない。それでも、必死で頷く花に枝を揺らし、小さく微笑んでみせた。彼が自分たちのために心を痛めていることを、金木犀も楓も分かっている。 「俺の力じゃそんなに時間がないから手短に聞く。一体何があった。教えてくれ」 「それが、よく分からないの……。気がついたらもう、根っこの力がなくなってた。あっという間だったの」  その時を思い出したのか、恐ろしさに楓は震えた。 「金木犀はどうだ」 「私も半分寝てたから……。でも私の周りが、突然真っ暗になったのは覚えてる」 「館が閉まって……、夜は明けてたんじゃないのか」 「うん。確か開け始めてた。外が白んでたから。それに子睿が水をくれたから、そろそろ寝る時間だと思って。そしたらしばらく経って、急に真っ暗になって……」 「花、花。ひとつだけ思い出した」  興奮した様子で楓が声を上げた。 「声、声を聞いたの私」 「真っ暗になった時?」 「うーん……、多分その時だと思う。何しろあっという間だったから。でも、誰かが叫んでたよ」 「どこで?」 「……分からない。とても遠くのようで……、でもすぐ隣みたいだった」  それを聞いた途端、花の頭にはまた、今朝のあの黒い奇妙なものが浮かんだ。 「男、それとも女の声かどうかはどうだ」 「……ごめんなさい。花以外の人間の声は、普段からあまり分からないから……」  沈む楓に花は優しく笑い、その葉に触れた。 「謝ることなんてない。ふたりとも、そろそろ力が切れる。休んでくれ。ちゃんと回復出来るよう頑張るから、寝てる間のことは任せろ」  借りた風呂敷で鉢植えを包む。念のため、細い枝は固定した。  子睿に配達を頼みに行こうとしたところで、金木犀の呼ぶ声がした。しかし花の力の光はもう消え始めている。 「どうした?もうすぐ俺の力は消えるぞ」 「気をつけて、花」  金木犀の声は真剣だった。 「気をつける?何にだ?」 「花のことだから、原因を突き止めようとするでしょ」  言葉に詰まる。それは当たり前だと思ったが、なぜかそう言い返せない雰囲気を金木犀の声に感じ取ったからだ。 「何だか……胸騒ぎがするんだ」 「なんだ、大丈夫だよ。蓋を開けてみたら、ただの新種の病気のせいだったりするかもしれないし」  枝を縁取っていた花の力の光は、もう根元付近まで消えかけている。そろそろ枯れた状態に戻ってしまうだろう。 「必ず影音を一緒に連れてって。何か調べる時は」 「……分かったよ。お前がそう言うなら」  そう言わないと、この金木犀は引きそうにもない。 「楓が聞いた声の持ち主のことは、お願いだから探さないで」 「もしかして何か知ってるのか?」  金木犀はすぐに首を振った。 「違う。ただ、嫌な予感がするんだ。本当に」  その言葉を言い残して、木は枯れた状態に戻ってしまった。  子睿に荷を頼み、花は美人館を後にした。  しかし気持ちがざわついて落ち着かない。  李香の部屋に行き、何か手がかりがないか調べてみたい気もした。だがきっとその手のことは、芽依が既にしている。  李香は、この街の美人館に来てまだ浅い。自分の部屋を貰ってから、確か一年ほどしかたっていないはずだ。きっと持ち物も少ないだろう。  そんな彼女にもしも本当に想い人がいたのなら、今頃芽依も既に、何かしらの手がかりを見つけているはずである。  今日、橋下で出会った黒い奇妙なものと、襲われた娘。そして枯れた美人館の植物と、姿を消した李香。それらが偶然とは思えないのは、ただの気のせいなのか。  あの、意識のない娘のことがふと気になった。身元はもう分かっただろうか。もし彼女の意識が戻っていれば、家を聞き、もう仲間が向かっているはずだ。  一度茶屋に寄ってみようか。  そう思った花だったが、そこで他の約束があったことを思い出した。今日は午後から、亜蘭亭(アランテイ)で仕事があったのだ。忙しいので来てくれないかと頼まれ、二つ返事で応えたのは他でもない自分だ。 「また走るのか……」  ここから街の反対側に行かなければならない。  花は深い息を吐くと、南への道のりを急いだ。

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