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序章 三節

 斎の歩幅は自然と大きくなり、千景を求めて玄関へと向かう。その腹の内にある感情は羨望、焦燥、嫉妬――斎の感情は斎自身にも理解しきれない状態となっていた。  唐突な斎の接近に怯む千景の一瞬の隙を突き、斎は千景の腕を引いて部屋の中へ引き入れる。  扉は千景の背後で閉まり、薄暗い室内の玄関前でふたりの男が立ち竦む。斎は閉ざした扉に千景を押し付けて、衝動に駆られるまま唇を重ねる。  唐突な斎の行動には千景も抗議の声を上げようとするが、その唇は斎によって塞がれぬるりと生き物のように侵入した斎の舌先が口腔内を蹂躙する。  唇の隙間から漏れ聞こえる小さな息継ぎの声に欲を唆られた斎は、それ以上の抵抗を見せない千景の頭部に手を回し押さえ付けながら千景の最も弱い部分を舌先で探る。  びくりと千景の背中が跳ね、腕の中に収まる懐かしい細身の身体を独占したい欲が内側から滲み出てきた斎は肉付きの薄い千景の太腿に己の下半身を押付ける。  硬度を持ち熱を帯びるそれを押し付けられた千景の背筋は震え、口の端から飲み込みきれぬ唾液を伝わせたままの千景は反射的に斎を押し返す。 「まっ待て待て……落ち着いて話聞け、な?」 「……アンタのイイところなら全部知ってる。何回抱いてきたと思ってんの?」  千景の動揺とは裏腹に、既に目の前の千景のことしか頭に無い斎は千景を背後の扉に押し遣ったまま片手で千景の下肢を弄ろうとベルトの金具に手を掛ける。 「――それ以上はやめろ」  そこを許してしまえば後戻りは決定的に不可能となる。制止を告げる千景の良く通る低い声が斎の脳を直撃する。それが戯れなどではなく本気で拒絶している時の声色であると恐れをなした斎の一瞬の隙を突き千景は玄関のドアノブに手を掛ける。  斎は千景に逃げられることを本能的に察してドアノブを握る千景の両肩を掴む。 「俺、アンタの事好きだって何回も言ったよね? 好きな奴が居るって何度も断られてきたけどさ、だけど」 「言うなッ!」  言葉と同時に千景はドアノブを下ろし、閉ざされた部屋を開放する。通路から入り込む目映さに斎の目が眩む。  この部屋に斎とふたりきりでいることが危険であると本能的に感じ取った千景は開いた扉から共有通路へ斎と共に倒れ込む。  少し前からの喧騒を自室で聞き取っていたⅪ号室の住人である詩緒は、騒ぎの原因を突き止めようとして自室の扉を開ける。詩緒が部屋から顔を出すと右斜め前に位置する斎の部屋の扉が開かれており、通路に倒れ込む千景とその上に覆い被さらんとする斎の姿が見えた。 「なに……」  それは詩緒にとっては予期せぬ光景であった。同期入社であり長く時間を共に過ごしていた斎が、詩緒の尊敬する先輩である千景へ掴みかかろうとする姿に唖然として目を丸くすることしか出来なかった。  騒動を耳にしたのは勿論詩緒だけではなく、一階のダイニングに居た真香も階段を駆け上がり何事かと様子を伺いに姿を現す。  そこで詩緒と真香のふたりが目撃した光景は、これまで知る由のなかった斎と千景の隠された関係を一瞬で理解するのに十分なものだった。 「抱かれてたじゃん俺に! 何度も!!」 「それは……」  千景のスーツを掴み激昂する斎と、そんな斎から気まずそうに顔を背ける千景。千景も詩緒ならびに真香の登場には気付いており、背けるその表情は心なしか青褪めているように真香からは見えた。  詩緒は共有通路に反響した斎の言葉に耳を疑う。千景と斎が先輩後輩の間柄であることは周知の事実であり、第五分室が出来る前には上司である四條の元何度かプライベートで飲みに行っていたという話も聞いたことがあった。  斎は倒れ込む千景の上に跨り、スーツを掴んだまま俯く。それは誰から見ても一方的な恋慕の成れの果てであり、先に誘ってきたのが千景であることや、恋人が出来たことで捨てるのは身勝手であるなどという斎の主張は同情の余地はあるものの、斎の肩を持つことが出来ないのはその相手が詩緒の尊敬する千景であったからだった。  詩緒にとって友人の優劣は無い。真香や斎は大切な友人であり、綜真との復縁を受け入れてくれたことに関しては大恩もある。しかし詩緒にとって初めて尊敬の出来る相手といっても過言ではない千景の窮地に直面をした詩緒はこの瞬間に親友の斎ではなく先輩である千景の味方をすることに決めた。

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