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二章 三節

「お前初めてだしなー」  斎を組み敷いた茅萱は一度身体を起こし、ベッドサイドに置いていた自らの荷物の中を漁りプラスチック製の小さな半透明のケースを持ち出す。そしてそのケースの中から切手のような紙状の何かを舌の上へ乗せてから再び斎に顔を近付ける。 「ほら、口開けな」  唖然とする斎の顎に手を掛け、その唇を親指の腹で撫ぜ開口を促す茅萱だったが、斎は茅萱の両肩を掴んで接近を止める。  小柄なだけあってその制止は千景よりも容易く、茅萱の身体はあっさりと押し返される。斎も一度上半身を起こし茅萱が舌に乗せた不審な物体に対して動揺を顕にする。 「ちょ、なにそれっ」 「知んねぇの? ラブドラッグだよ」  茅萱は舌に紙を乗せたまま答える。正にそれは切手そのものにも似ていて、表面には鮮やかな絵のようなものが描かれていたが、茅萱の口腔内ということもあり詳しくは分からなかった。 「ドラッグ?」  ただ茅萱が告げたドラッグという言葉を不安視した斎は眉を寄せる。その単語に良い反応を示さないのは当然であり、男に抱かれる決意だけは固めてきていてもドラッグに手を出す気は毛頭なかった。  斎の不安を感じ取った茅萱は途端にふと優しげな表情を浮かべ、斎の額から頭部への髪を梳くように撫でる。その手付きはとても優しく、思わず流されてしまいそうだった。 「今一番流行ってる媚薬みたいなモノだよ。お前初めてだからこれあったほうが緊張も解れるかなーって」  茅萱はそれが何であるか、違法なものではないということを斎に明かす。あまりにも軽いノリで茅萱が勧めてくるだけあって本当に違法性は無いのだろうが、斎はまだドラッグという言葉に抵抗感があった。 「今そんなの流行ってんの……?」  三年近くの間千景、真香、詩緒以外とセックスをしてこなかった斎は如何に自分が世間の常識に疎くなっていたのかを自覚する。真香や詩緒が媚薬と称してドラッグを持ち出すことなど今まで一度もなく、千景に対してはその存在だけが媚薬のようなもので他の力を借りる必要など一切なかった。 「お前全然遊んでねぇのなー。佐野とだけかよ」 「ちがっ、」  茅萱は斎が真香や詩緒とも過去にセフレ関係があったことを知らない。ここで敢えて千景以外にもセフレがいたことを茅萱に伝える必要はなかったが、ほぼ初めてのような状態で千景や詩緒のように抱かれるだけで快感を得られるという自信が斎には無かった。  それならば媚薬の力を借りたほうが容易い上、もしここで茅萱の勧める媚薬を拒んでしまい茅萱に萎えられてしまったらという不安が過ぎる。  ただでさえ茅萱よりも上背があり、見た目から考えても抱かれる側でないことを斎は自ら認識していた。それでも抱こうとしている茅萱の気を削いでしまうことだけが今この時点で斎にとっての最大の恐怖だった。 「ああもういいや」  考えたところで何かが変わる訳でもない。ガシガシと後頭部を掻き未だ及び腰だった自分の考えを改めた斎はひとつ大きな溜息を吐いた後で茅萱の腰を抱き寄せる。 「ソレ、下さい」 「イイコだ、海老原」  そう言って微笑む茅萱の顔が何だか嬉しかった。期待に応えられたことで得られる充足感。  考えるだけ無駄で、瞼を落としされるがままに唇を重ねると薄く開いた隙間から茅萱の舌がするりと入り込んでくる。それは媚薬のせいなのか、熟れたさくらんぼのような甘い味がした。  それと同時に茅萱の片手がバスローブの合わせから侵入して斎の肌に触れる。千景や真香とは違う子供のように柔らかくて少し温かい指先だった。  久しぶりにキスをしたような気がした。先日無理やり千景としたばかりのはずなのに何故か新鮮さを感じてしまうのは茅萱が舌先で腔内を探る度にそれが直接斎の脳を刺激するからだった。キスでここまで興奮したことなど今まで無かった。それが媚薬のせいなのか、相手が茅萱だからなのかは斎には分からなかった。  互いの唾液の音と、漏れる吐息だけがそぐわないホテルの室内に響く。セックスをする為の場所ではないホテルでこれから行うことを考えるだけでも斎は余計に興奮するだけだった。  茅萱の指先が斎の胸元を探り、屹立を現す突起を悪戯に擦り、肌を撫でそれなりに引き締められた腹筋をなぞり下腹部へと伸びていく。頭の奥まで痺れるような感覚で、茅萱の舌先が首筋をなぞるだけでも斎の腰の奥がぞくぞくとする快感に襲われる。  茅萱がその中心部に指先で触れた時、斎は自分が勃起をしていることに気付いた。 「キスだけでこんなになって……悪いコだな」 「ちがっ、ひさしぶり、だからっ……」  耳の中へ直接囁かれる言葉が呪いのように斎の中へ浸透していく。キスだけで勃起するような性を覚えたばかりの中学生のような反応を自分がする訳なかった。幾ら頭で否定しようとしても実際に示している反応が全ての答えであり、茅萱がその舌や唇、指先でどこに触れても神経を直接触れられているような気になる。  真冬にも関わらず真夏のように体中の血液が沸騰しているような感覚に陥る。先程口にしたシャンパンの影響もあるのか、元より飲酒をしたらすぐに顔が赤くなる体質の斎は呼吸が荒くなってきているのを実感していた。  茅萱の指先は半透明の蜜を零すその箇所を伝い、その行き着く先である秘された入口を撫でる。 「――ココ、使ったことあんの?」 「ッ、あ、少し……だけっ」  これまでならば不快とまではいかないが多少の抵抗があるその場所は茅萱の指を難なく受け入れ、自分の身体の中に自分の意思以外で動くものの存在があることですら斎の高揚感を助長するに過ぎなかった。 「それじゃあ、じぃっくり慣らさないとなぁ」  そう言いながら笑みを浮かべる茅萱の顔は天使にも悪魔にも見えた。 「……煙草取って」  ベッドの上に横たわったまま、斎はバスローブ姿でカウチに座り自らのスマートフォンを見ている茅萱へ声を掛ける。  あの高揚感は一体何だったのか、残るのは途方もない倦怠感。おまけに腰も痛い。何度休憩を願っただろうか、何度も絶頂へ追いたてられる感覚に最後のほうは自分でも何を口走ったのか分からない状態になっていた。  斎が目を覚ましたことに気付いた茅萱は見ていたスマートフォンをガラステーブルの上へ置き、意地の悪い笑みを浮かべながら斎を振り返る。その表情ですら愛しいと感じてしまうのは、斎の身体と脳に茅萱の体温や掛ける言葉の優しさが刻み込まれてしまったからだろう。 「動けねぇの? そんなに良かった?」 「うっさい誰の所為!?」  徐ろに手で掴んだ枕を斎は茅萱に投げ付ける。一回だけで終わるとは斎も思っていなかったが、何度絶頂に達しても斎の熱は果てることがなく、結局五回も繰り返されたその行為は斎をただ絶望させた。  茅萱は投げられた枕を受け止め、ベッドに横たわる斎へ寄ると頭をくしゃりと撫でて額に口づける。 「可愛かったよ。恥ずかしがる事ねーじゃん」  斎が得たのは絶望だけではなく、抱かれる感覚の本当の良さというものをこの日初めて知った。

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