17 / 40

四章 一節

 千景に取り上げられたのがセキュリティカードだけで、スマートフォンまで取り上げられなくて良かったと斎は実感していた。幾ら千景であっても交流ツールであるスマートフォンを斎から取り上げるつもりは始めからなかったが、そんな千景の配慮を斎が理解しているはずがなかった。  何度も茅萱に折り返し電話を掛けて、夕方になって漸く連絡がついた時電話越しの斎の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。あの後すぐに茅萱に連絡をすることが出来ず、何度かけても応答して貰えず、本棟に向かい直接弁明することも出来なかった斎は八方塞がりのまま仕事も手につかずただ茅萱への発信を繰り返していた。  千景に反対されているからこそ茅萱に対する思いが募るということもあるのかもしれない。その斎の頭の中に茅萱が四六時中斎のことばかりを考えている訳ではなく、茅萱も部長という立場上その他の仕事が多くあり常時斎と連絡がとれる状態ではないということは失念されていた。  漸く会話をすることが出来た茅萱に斎は千景にセキュリティカードを取り上げられ寮から出られない件を伝える。嗚咽に塗れて非常に聞き取りづらくはあったが、茅萱はそんな斎の言葉を急かすことなく懇切丁寧に聞いていた。  斎が今おかれている状況を一通り聞き、斎が落ち着いた状態を見計らって茅萱はある提案をする。 「じゃあ俺からそっち行ってやろうか?」  斎が寮から出られないのならば、茅萱自身が寮へと赴けば良い。それは至って普通の提案であったが、茅萱自身には寮への入室許可が出されていない。 「無理だよ……分室の関係者以外は寮に入れないようになってるから」 「俺一応分室の営業担当なんだけどなー」  その証拠が茅萱には貸与されていないセキュリティカードであり、茅萱が寮へ足を踏み入れるとするならば、それはカードを持っている四條または千景、そして比較的自由に本棟との行き来をしている綜真の協力を得ることしか方法が無い。  第五分室の内政は就任からまだ数日でがあったが全権を千景が握っていると言っても過言ではなく、到底茅萱に対して寮への入室許可が出る訳なかった。千景がノーというならば間違いなく綜真もノーであり、唯一の可能性として残されている道は茅萱にとっては後輩にあたる四條の存在だった。しかしながら四條も分室を統べる室長という立場上、千景から何も聞いていないとしても茅萱が寮へ入室したいといえばその理由を問うて来るだろう。  そこで営業の打ち合わせがあるなどと偽りの理由を述べれば、茅萱が寮へ行く必要は無く斎を本棟に呼べば良いという話になる。斎のセキュリティカードが手元に無い状態では斎が本棟へ赴く為には恐らく綜真か千景の同行があり、同時にふたりきりになるチャンスは失われる。  目的が逢引であるのならば、当然綜真や千景という不要な存在は避けるべきであり、同行者無しでの方法が無い限り斎を本棟へ呼び出すことは無意味なことだった。  茅萱はあらゆる可能性を頭の中で試算した挙げ句、ゆっくりと口を開く。 「――それなら、お前の部屋に直接行ってやるよ。窓の鍵開けとけ」  呼ぶことができないのならばやはりこちらから向かうしか方法が無く、セキュリティカードが無ければ正面のエントランスから入れないのならば別の場所から入れば良い。 「無理だって……ここセキュリティ厳しいから窓側にも警報装置あるし……」  ただの寮にしてはセキュリティが強固過ぎるのは、第五分室で扱う情報の機密保持の為と分室メンバーの安全確保の為だった。外部からの侵入が厳しいことは同時に内部からも正式な手順を踏まなければおいそれと外出もままらないということで、その唯一の手段であるセキュリティカードを千景に取り上げられてしまっている斎には成すすべが無かった。  ただ茅萱に会いたいというだけなのに、何故こんなにも障害が多いのか。茅萱だけが自分を受け入れてくれる理解者であると信じて疑わない斎は茅萱に会えないことだけが何よりも辛い。  昨今ではスマートフォンにもビデオ通話の機能があり、それを用いれば離れている感覚などあってないようなものではあるが、徒歩五分に距離という近さにいるのにも関わらず会って触れることも出来ない苦しみは同じ経験をしたことがある者にしか分からぬ痛みだった。  通話越しに再び斎の嗚咽が聞こえ始める。元々斎が依存気味であることは理解していた茅萱だったが、短期間でここまで会えないことに焦燥感を抱かれることまでは予想外だった。  それでも茅萱が必死になって斎の機嫌を取ろうとしなかったのは、茅萱にはまだ奥の手が残っていたからだった。 「心配すんなよ。そんなセキュリティなんか簡単に突破してやる」  頼もしい茅萱のひとことに斎の涙が一瞬止まるが、四條が私財を投入して建設した強固なセキュリティを感嘆に突破出来るものだとも思えなかった。  恐らくそんなことが出来るのは斎の知る限り情報システムに熟知している詩緒くらいのもので、今の詩緒が協力をしてくれるとは思えない斎は純粋に浮かんだ疑問を口に出す。 「どうやって……?」 「それは……ヒミツ」  ビデオ設定もなく音声のみの会話だった為、茅萱がどんな顔をしてそれを言ったのかは分からなかったが、斎にとって今の茅萱の言葉ほど頼もしいものはなかった。 「今晩楽しみに待っとけよ」  斎はまだ茅萱のことを何も知らないのだと、改めて実感した瞬間だった。

ともだちにシェアしよう!