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四章 二節

 時刻は深夜零時に近い、真冬の深夜は凍て付く寒さが窓の側にいるだけでも伝わってきて、斎は眠れないままベッドの上に転がっていた。  ただ茅萱の存在だけを求めていた。茅萱の言葉とあの天使のように優しく微笑む姿。少女のような可愛らしい姿からは到底想像も出来ない雄である象徴を。毎日会っていたのに、たった一日会えないだけで、その肌に触れられないことでこんなにも虚無感に苛まれる。  茅萱だけが自分を愛してくれる。誘った癖に無碍に捨てた千景とも違う、詩緒に気を使ってセフレ関係を解消した真香とも違う、茅萱だけが本当の自分を見て、心のそこから自分だけを求めてくれる。  求められることがこんなに幸せなことなのだと、斎は茅萱に抱かれて初めてその感覚を知った。だからこそ茅萱のいない時間を過ごす時間が堪えられない。  ただ泣くだけで何もできない真香、綜真と一線を越えられないことで苛々している詩緒、これ見よがしに指輪を見せつけて茅萱との逢瀬を阻む千景。茅萱だけが会いに行くと言ってくれた、それは少なからず茅萱にも自分を想う気持ちがあるからで、愛されているという実感に斎の口元がだらしなく緩む。  コツンと枕元で微かな音が響く。 「海老原、オイ開けろ」  茅萱を想うあまり幻聴すら聞こえてきたかと困惑する斎だったが、その言葉が幻聴ではないことに気付いた斎はまさかと思いながらも飛び起きる。  ブルーグレーのカーテンを勢いよく開けると、窓の外には茅萱の姿があった。 「茅萱さん……!?」  寒空の中、少しだけ鼻の先を赤くした茅萱が背後に背負う月明かりと、髪が靡く姿は正に幻想的だった。 「どうやって……セキュリティは!?」  斎は茅萱の登場に驚きつつも、咄嗟に窓を開ける。所定時刻以降に窓を開けても警報装置は作動しなかった。斎が覗き込むと工事などで使用するアルミ製の梯子が壁伝いに立てかけられており、茅萱はそれを足場にしていた。 「しーっ。寒ぃんだから早く中入れてくれ」  驚きのひとことしか無かった。警報装置が作動しなかったのもそうだが、言葉通り茅萱が現れたことも斎には信じられない出来事だった。  寒さに身を震わせる茅萱はあたふたする斎を抱き寄せてその耳元で囁く。 「お前のナカ」  囁かれた言葉にぞくりと斎の背筋が震える。  寮の部屋は全て二階にあり、部屋数十に対して現在入寮している人数は四名だった。それ故に各々の部屋の間には必ず空き部屋が挟まれており、ちょっとやそっとのことでは隣人に迷惑が掛かるということはないが、それでも念には念を入れて斎は声を潜める。  部屋の扉の鍵こそかけていなかったが、こんな深夜に訪問する者も無く、窓だけしっかり閉めて毛布を被り、冷えた茅萱の身体を温める。  当然ただの温め合いだけで終わるはずもなく、戯れのキスからそれは徐々に深いものとなり、またあのさくらんぼの甘い味が腔内に拡がると脳の中でぱちぱちと何かが弾けているようだった。  極力声を控えて事に及ぶ様は何かいけないことをしているようで、そのスリルが刺激となって斎は普段以上に茅萱を欲する。  自分のテリトリーである寮の部屋で、茅萱を受け入れていることが何よりも幸せを感じさせた。  その時、深夜であるにも関わらず突然玄関の扉をノックされる音が響いた。 「――オイ、海老原」 「隠れてっ御嵩さんだ」  玄関の外から聞こえる綜真の声。斎の心臓が大きく飛び跳ねた。玄関の鍵を掛けていなかったことを後悔して、無駄な足掻きだと分かっていながらも茅萱を毛布の中へと押し込めるようにして隠す。 「夜中に悪ィな。ひとつ聞きてぇんだけど……お前以外のヤツ中に居るか?」  綜真からの指摘にぎくりと斎の心臓が飛び跳ねる。窓を開けた時確かに警報音は鳴らなかった。茅萱も梯子を上がる時音を立てずに警戒していたに違いない。何故気付かれたのか斎には思い至ることが出来なかった。  当然茅萱を連れ込んでいるなどと言えるはずもなく、セキュリティカードを持たない斎が外部から誰かを連れ込める訳もなく、窓から侵入したことを素直に明かしたところで何故警報装置が作動しなかったのかという新たな疑問が生まれてしまう。 「御嵩さんっ? だっ誰もいないですよ!?」  ここは否定するしか選択肢が無く、現場を抑えられない限りは幾らでも言い訳がきくと考えた斎は、玄関まで良く聞こえるように普段以上に声を張って答える。  その言葉で綜真が納得するかどうかは五分五分の賭けでもあった。茅萱が部屋にいることを、窓に梯子が掛けられていることを目撃されたら言い逃れは出来ない。  ガチャリとノブを下ろす音が聞こえ、斎の背筋が縮み上がる。 「直接確認させて欲しいんだけど、中入っていいか?」  綜真は無遠慮に部屋の中へ乗り込むタイプではないし、玄関から覗かれた程度ではバレるとは限らない。それでも見つかれば一発アウトの状態であり、何としてでも綜真の入室を拒まなければならないと斎は頭を働かせる。 「待っ、おっ俺今丁度今ひとりでシてるとこなんで……ッん!」  男同士ならば自慰行為に耽っていたと言えばそれ以上プライベートな領域には踏み込まないだろう。これが真香や詩緒だったら分からないが、少なくとも綜真とはそこに踏み入るほどの近しい関係性ではなかった。  我ながら突発的に考えたにしては良い言い訳だったと考える斎だったが、毛布の中へ隠した茅萱にあらぬ箇所を触れられて咄嗟に声が裏返る。  こんな時に何を考えているのだと茅萱に対して苦言を呈したくもなったが、それを言葉にすることは自分以外の誰かが部屋にいることを自ら綜真に明かすのと同義で、斎は漏れそうになる声を抑えて綜真の反応を待つ。  暫しの静寂が続き、もしかして今の一瞬で綜真にバレてしまったのではないだろうかと斎は息を呑む。 「――海老原、もう一回確認すっけどお前以外に誰か」 「いないっ、いないです誰も!」  それは綜真に優しさだったのだろうか。何かに気付いていながらも敢えて触れないでいてくれたのかもしれない。斎はそんな綜真の言葉へ食い気味に被せて答える。  毛布の中に潜む茅萱はこの状況すらも楽しんでいる様子で、茅萱に煽られている斎も限界が近かった。これ以上の問答は隠したいものが露呈してしまう可能性もある。どうかそれ以上詮索せずに立ち去ってはくれないだろうか、斎の両足が大きく痙攣する。 「――そっか。中断させて悪かったな」  ドアノブの上がった音がして斎はほっと息を吐く。それでもまだ油断は出来ず声が漏れないように両手で抑え、共有通路を歩く綜真の足音と部屋に入り扉が閉まる音を聞いてようやく斎は安堵の息を吐く。  この危機的状況に非協力的な茅萱に対して抗議をしたい気持ちもあったが、綜真を上手くやり過ごせたことでふたりは顔を合わせるとどちらともなく悪戯めいた笑みを浮かべた。

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