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五章 三節

 てっきり薄暗いバーのようなものを想像していた斎だったが、一岐に案内された店内は眩しいとまではいかずとも明るさは十分にあり、白塗りの壁際の中央にはバーカウンターがありその背後の棚には数種類のアルコールのボトルが並べられていた。  斎の知るバーとは異なり、この数年で一般化してきたラウンジという形式のそれはバーよりはライトな感覚で足を踏み入れやすい店作りとなっていた。  ラウンジに入って早々、茅萱は斎をカウンター席に座らせると同席をせず、隅の席で誰かと話し始める。何か重要な話しをしている事は分かるが、初めて足を踏み入れた店でアウェー状態となった斎は居た堪れない。  バーテンの朱門にこの店は初めてかと尋ねられるも、斎の目線は茅萱と隣の男を追っていた。 「ねぇ、誰か女の子居ないの?」  茅萱の代わりに斎の隣に座ったのは、茅萱をこの場所に連れてきた張本人である一岐で、一岐は斎の肩へ馴れ馴れしく腕を掛けながら朱門に対して声を掛ける。斎は何故か一岐のその手を不快に感じる。それは触れられた箇所から感じる嫌悪感のようなものだった。 「あ、俺は全然別に……」  キャバクラなどとは異なり、着飾った女性というよりはごく一般的に見える女性が席についてくれるのがこのラウンジのシステムらしい。しかし女性に相手をされるよりはただ茅萱に居て欲しかった。  少し赤毛に近い茶髪が襟足まで伸ばしている朱門は、その風紀の軽薄さからこのラウンジの中でも相当上のポジションの人物であるように見えた。年若そうに見える朱門は一岐の言葉に店内を見回してから不思議そうに首を傾ける。  丁度その時バックヤードから女子大生らしき人物が手鏡を見ながら出て来ると、朱門は彼女がどこかの部屋へ向かおうとする前に呼び止める。 「ねえ、ナツメちゃんどこ行ったかしら」 「あー、ナツメちゃんならさっき外行っちゃったけど。何か急いでたみたいでぇ」  女性のような柔らかな口調で朱門は尋ねる。しかしいるはずの女性が今この場にいないという事実を聞くと困惑したような表情を浮かべる。 「仕方ないなぁ」  朱門と視線を交わし何かしらのアイコンタクトをしたらしい一岐はわざとらしいほど大仰な仕草をして椅子へ座り直すとカウンターに頬杖をつく。 「征士郎クンが戻ってくるまで僕がお相手するね」 「え、いや……そんなお気遣い結構なんで……」  一目見た瞬間から一岐には何か嫌悪感のようなものを覚えていたが、それはとても言葉で説明出来るようなものでは無かった。  茅萱だって誘った手前会話が終わればきっとこちらに戻ってくるはずなので、それまで放っておいて欲しいと斎は内心思っていた。 「おニィさんはぁ、名前なんて言うの?」  斎の警戒など微塵も感じ取れていない一岐は見えている左目だけでにこりと斎へ笑みを向ける。一岐との雑談をどうにも避けられない状況となると斎は悟られないように小さく肩を落とす。 「あっ俺は……海老原です」 「海老原、何クン?」 「……斎、デス」  茅萱と同程度小柄な一岐はどう見ても年下であるだろうが、一岐から感じる威圧感が居心地の悪さと嫌悪感の正体であることに斎は気付く。 「へぇ、斎クンかぁ……」  一岐は聞いた名前を楽しそうに繰り返す。それがどこか不気味なものに感じられた。 「あのっ、貴方は――」 「僕ぅ? 僕は一岐っていうの。よろしくねぇ?」  〝いつき〟と〝いちき〟、たった一文字だけの違いであっても、この男とはどうも仲良くなれそうにないと本能的に感じる斎だった。 「一岐、さんっ」 「んー?」 「……あそこで、茅萱さんと話している人は、一体……」  斎は再度チラリと隅の席で茅萱と話すもうひとりの人物へ視線を送る。自分たちがラウンジに入る前からこの店の中にいたその人物がどことなく自分とは住む世界が違う人物だと思えてしまうのは、その雰囲気がまるで異動してきたばかりの綜真に似ていたからだった。 「あー三睦のことぉ?」 「三睦、さん……」  詩緒や千景とは違うが、色の付いた眼鏡を掛けていてどこかインテリの雰囲気が漂っている。ただの会社員にしてはシャツの着こなしなどはラフであり、自分たちと同じような勤め人には見えない。  ふたりの会話は声を潜めて行われていたようで、一切斎へはその片鱗も漏れ聞こえては来なかったが、終始淡々と話す三睦に対して茅萱はどこか焦りを感じているように見えた。 「なんの話、してるんですかね」 「仕事の話でしょ」 「仕事……?」  茅萱の職種は営業であるが、とても取引がありそうな会社の人間には見えなかった。茅萱が焦らざるを得ない相手ということで斎の内心には嫌な予感ばかりが浮かぶ。 「それより斎クンはさぁ」  カランと一岐が手に持つグラスの中で氷が音を鳴らす。琥珀色の液体は恐らく酒であるだろうが、一岐がグラスを持っていると何故か不釣り合いのようにも見えた。  グラスにライトが反射して黄金色の輝きが増す。反射を受けた一岐の瞳もその一瞬だけ金色に変化したように見えた。 「征士郎クンとはもう寝たの?」 「征し、ああ……えっと、まあ……はは」  初めは誰のことかと思ったが、三十半ばである茅萱のことをこの二十代前半にしか見えない一岐が名前で呼ぶというのはアンバランスなようにも感じられた。それだけ親しい間柄であるということに斎の心臓は締め付けられたが、それよりも一岐から問われた言葉に対しての驚きの方が大きかった。 「良かったでしょお? 征士郎クンとのセックス」 「そういう話はっ」  あまりにも下世話な会話が目の前で繰り広げられているというのに、バーテンの朱門は何も聞いていないという態度で斎に視線すら向けない。バーテンとしてはそれが正しい態度なのかもしれなかったが、一岐の横暴は諌めてほしいものだった。  一岐の片腕がするりと伸び、斎の手と重なる。それから一岐は強引に指を絡ませてきたが、その指先は斎が驚くほどに冷たかった。 「色んなトコ、開発されちゃった?」  斎はこの場所に長く居てはいけないのではないかという不安に駆られる。

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