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五章 四節

「終わったみたいだねぇ、二人の話」  一岐のひとことでそれまで止まっていた時間が急に動き始めたような感覚に陷った斎は声に促されるがまま茅萱と三睦が密談をしていた隅のエリアを振り返る。  普段の茅萱と何処か違うように見えたのはどこか暗い表情を浮かべているように見えたからで、去り際の三睦から肩に手を置かれて何かを告げられた茅萱はそれまでずっとバーカウンターで待っていた斎に視線も向けずバックヤードへと向かってしまう。 「え? あっ……」  漸く会話が終わり、今度こそ茅萱とふたりきりになれると期待していた斎は予想外の行動に唖然として届くはずもない片手を伸ばすだけだった。 「あーらら、行っちゃったねぇ」  背後で一岐がくすくすと嫌な笑い声をあげる。しかしそんな一岐の揶揄すら気にならないほど斎にとっては茅萱が居なくなってしまったことに対するショックが大きかった。 「僕ちょっと行ってくるよぉ」 「いやっそんなわざわざっ」  それまでいやらしく斎と絡ませていた指をするりと解き、一岐は上機嫌の様子で席から立ち上がる。出口ではなくバックヤードへ茅萱が向かったことから、待っていればそのうち戻ってくる可能性をまだ胸に抱き、それでも茅萱を追うと言った一岐を止めようと腰を浮かせる。  斎が止めるより早く駆け出していた一岐は話を終えグラスを片手に立ち上がった三睦と二、三言葉を交わす。その合間に斎を指さして何かを伝えているようだった。  そして再びの密談が終われば一岐は長身の三睦を抱き寄せて口付けを交わす。一岐と三睦がこういった関係だからこそ先程あった一岐からの下世話な会話に朱門が動揺を示さなかったのかと斎がひとりで納得していると、一岐は三睦に手を振りひとりでバックヤードへと消えていく。  立ち上がれば分かる三睦の高身長は自分と茅萱の身長差にも似ていて、どちらが抱く側なのだろうと斎は肘をついてぼんやりと考えていた。 「――隣、良いかな」 「えっ?」  突然掛けられた声に見上げると、三睦がグラスを持ったまま斎の隣に立っていた。先程までは距離があってあまり良く見えなかったが、近くで見るとその一般人とは違う裏社会特有の迫力があった。  決して威嚇目的ではないだろうが、排他的なその雰囲気はやはり異動してきた直後の綜真に似ていると斎は改めて実感する。  斎が許可を出すよりも前に三睦は先程まで一岐が座っていた斎の隣の椅子に腰を下ろし、グラスを拭いていた朱門に飲み物を注文する。 「あの、茅萱さんは……」 「少し用があるそうだ。すぐに戻ると言っていたよ」 「そう、ですか……」  初対面である三睦の言葉をどこまで信じて良いのか分からなかったが、茅萱を置いてひとりで帰宅すれば次にいつ茅萱に会えるのかも分からない。待ち構えているのは最悪の状況だけで、斎はただ茅萱が戻ってくるのを信じて待つしかなかった。  そう考えていた斎の前に紙製のコースターが置かれ、朱門がその上に不思議な色合いのカクテルを置く。確かにラウンジに寄る条件が一杯奢って貰うという話だったので、三睦からの勧めではあったが仕方がないので斎は有り難く受け取ることにする。  一杯だけと約束していたこのラウンジから早く立ち去りたくて仕方がなかった。もう今日は茅萱とセックスが出来なくても構わない。ここではないどこか別の場所で茅萱と一緒に過ごせるのならそれだけで良かった。  水滴ひとつも残っていない綺麗に磨かれたグラスの一端に口を付けると横から三睦の視線を感じて斎は一度グラスをコースターの上へ置く。 「え、あの……」 「綺麗な目をしている」  先ほどの女子大生の件もあったので、少なくともゲイバーではないと信じていた斎だったが何故一岐から続き三睦に絡まれなければならないのか、一岐とはまた違う三睦の威圧感も斎は苦手に思った。  三睦の片手が無造作に伸び、その指の腹が斎の頬に触れる。威圧感は苦手だったが生憎と男性同士に関しては耐性があり過ぎる斎は、ただ今は三睦の好きにさせておき時が経過するのを待とうとした。 「征士郎との関係で満たされているはずなのに、どこか満たされていない気がするのはお前が求めているものは別にあるからだ」  聞こえた言葉に斎は耳を疑った。まるで三睦に心を見透かされた気がした。  茅萱と出会ってからのこの数日は確かに斎にとっては充実した毎日だった。茅萱は多少強引なきらいがあったが、茅萱とのセックスは決して嫌でなく、寧ろ今までの何倍も気持ち良いとも思っていた。それは斎が抱かれる側の悦びを知ったからであったが、それを初対面の相手にあけすけに打ち明けるような趣味はない。 「余計なお世話ですよ。俺と茅萱さんのことは貴方に関係ないでしょう?」  斎は首を振り頬に触れる三睦の手を払う。その内心では早く茅萱が戻ってきてくれないかと苛々し始めていた。  漸く大手を振って茅萱と会えるこの時間をもうこれ以上誰にも邪魔されたくなかった。関わらないのが一番だと斎は正面を向き再びグラスを手に取る。飲み干してしまえば一杯の約束故にこのラウンジに長居する理由も必要がなくなる。  視線を外した次の瞬間、斎は三睦から肩を鷲掴みにされる。そのあまりにも無礼な振る舞いに斎がひとこと文句を告げようと三睦を振り返るより早く、三睦の言葉が斎の耳の中へ直接伝えられて内耳を揺らす。 「お前が本当に満たされたいのは心か身体か――俺たちならそのどちらも埋めてやることが出来る」  三睦が告げた『たち』という言い方に少しだけ引っ掛かりを覚える。ただそれよりも斎の頭の中では三睦に告げられた言葉が回り始めていた。  ――埋める? どうやって?  茅萱以外にこの心の穴を埋めてくれる人なんて居なかった。千景は恋人を選んで、詩緒も綜真を選んだ。真香は自分を選んでくれなくて、茅萱だけが自分を選んでくれた、見てくれた。誰からも祝福されなくても構わない、茅萱だけが居てくれるならそれだけで満たされる。茅萱しか要らない、それなのに。  不意に斎は顔を掴まれて三睦の方を振り向かされる。  その強引な行動に驚き過ぎて、手にしていたグラスが大きく揺れまだ一口も飲んでいないカクテルが波打って溢れる。 「難しく考えなくていい。ただ頷けば、それだけでお前の望むものを与えてやる」 「な、に……?」  グラスから溢れたカクテルで手は汚れ、早く手を拭きたくて仕方がないのに何故か三睦から目が離せなかった。  まだほんの少ししか飲んでもいないのに、酒に酔った時のような酩酊感があった。カウンターから溢れたカクテルがぽたぽたと斎の足を濡らす。 「ほらどうした……? 答えは『はい』だろう」  目の前にいる三睦ごと視界がぐにゃりと曲がる。それでも斎は三睦から目線を外すことが出来なかった。目の前の光景が渦を巻くように、自分がちゃんと座っているのかも分からなくなっていく。  上手く身体を支えることも出来なくなって、意識を手放す寸前に斎はひとことだけ言葉にする。 「……は、い」  三睦は崩れ落ちる斎を支えそのまま共に立ち上がり、バーカウンターの中でグラスを磨いていた朱門へ声を掛ける。 「朱門、特別室は?」 「ええ、空いてるわよ」

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