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六章 一節
暖かな雲の中で泳いでいるような感覚だった。それはまるで茅萱とセックスをしている時のように気持ちが良くて、幸せで。こんな心地よさは茅萱と出会ってから初めて知った。愛されていると感じられることが脳の奥まで伝わって、目の前に映る世界はただキラキラと綺麗だった。
それが突然現実に呼び戻されたような感覚があり、ぽっかりと空間にふたつの穴が空いてそこから見えるのは真っ白ななにか。何重にも薄い膜が重ねられていたような視界が徐々に鮮明になっていく。そして改めて目の前にあるのは馴染み深い真っ白なシーツであることが分かった。
「あ、れ……」
洗いたてのシーツにはパリッとした糊がはられていて、ベッドのスプリングが柔らかく自分の身体を包みこんでくれる。
いつの間に茅萱とホテルに入ったのかと斎は目の前のシーツを見ながら漠然と考えていた。
決して酒に弱い訳ではないが、酒を飲むとすぐに顔が赤くなる体質の斎はあまり進んで酒を飲むことはない。今日だって殆ど酒を飲んでいないはずなのに、酒を飲んだ時以上にずきずきと脳の一部に浮腫んだような痛みがある。
ただ喉だけが異様に乾く感覚があった。茅萱に声がでかいと怒られてからはあまり大きな声を出さないようにしていたが、最初のそれに似たような喉の乾きに堪えきれず水か何かの飲むものが欲しかった。
全身の気怠さは茅萱とセックスした直後は毎回こうで、元から受け入れる仕組みで作られていない男の身体なのだから、抱く側より抱かれる側のほうが消耗の激しさが大きいのは当然なのだと茅萱に言われた。
気怠さにも関わらず感覚だけは何故か鋭敏で、背後に誰かの気配を感じた斎はそれが茅萱であると思って振り返る。
「茅萱さ――」
斎は目を丸くして息を呑む。そこに居たのは茅萱ではなく、先ほど会ったばかりの三睦がカウチに腰を下ろしている。三睦以外の人物の姿は見当たらなかったが、おかれた状況を斎は咄嗟に飲み込めなかった。
何がどうなっているのか、驚いた斎は身を起こそうとするがその時初めて自分の両腕が自由に動かない状態であることに気付いた。何度両腕を動かそうとしてもその度に何か硬いもので両腕同士が背後で引っ張り合う。考えたくないことだったがそれが手錠か何かに似たものであると気付いた時斎の危機感が一気に最高潮に達する。
「三睦、さんっ……!? なん、何なんですかこれっ……!」
なんとか肩と上腕だけを使ってうつ伏せ状態から回転をさせる。両腕が背中の下に回ってしまい痛くて重かったがうつ伏せ状態のままよりは幾分かマシだった。
仰向けとなって自分の状態を改めてみることが出来るようになってから気付いたのは自分が下着以外の何も身に纏っていないということだった。
ただ腰と両足を使って芋虫のように這うことしか出来ず、なんとかベッドの上で上半身を起き上がらせることが出来た斎だったが、すぐに三睦に肩を掴まれてベッドに押し返される。
「察しが悪いな。いや悪いからこそ今ここにいるのか」
「なん、のことですか……」
わざわざ聞き返さずとも斎の脳裏にはあるひとつの答えだけが浮かんでいた。
ここがどこのホテルの一室かは分からないが、この場には自分と三睦しかいない。三睦はラウンジに入るなり茅萱と何か密談をしていた相手で、その茅萱は三睦との会話が終わるとすぐに斎のことなど振り返りもせずにバックヤードへ向かい姿を現さなかった。
直前まで三睦と話をしていたことを斎はぼんやりと思い出し始める。たった一口も酒を飲んでいないはずなのに、三睦と話している最中に襲われた飲酒時のような酩酊感。朱門ですらグルであることは状況的に明らかで、仕組まれていたことだということを斎は認識したくなかった。
「お前は征士郎に騙されていたんだよ」
三睦から告げられる絶望的なひとことに斎は心臓を強く握り潰され、息も出来なくなったような気がした。
三睦は斎を組み敷き、茫然と涙を流す斎の頬に触れる。その手は何故か優しくて、それが何故かとても悔しかった。
「アイツはいつもこんな手口で『商品』を流してくる。それがアイツの仕事だからな」
漫画やドラマで良く聞くような台詞を三睦から伝えられても、斎はどこかこれが現実として自分に今起こっていることであると認識出来なかった。どこか他人事のように思えてしまうのは、先ほどから感じていた部屋に充満する香りのせいか。
「……そ、な……茅萱さんはっ……そんな、」
否定の言葉が上手くでてこない。茅萱がそんなことをする訳がないと言いたいのに口が上手く回らない。三睦の手が、指先が頬から首筋を伝い鎖骨をなぞって胸元を焦らすように触れる。それはまるで茅萱に触れられている時にも似ていて、触れられた箇所がじわりと熱くなっていく。
何故一岐の誘いに乗ってラウンジに連れてきたのか。
何故一度も自分を顧みずにずっと三睦と話していたのか。
何故バックヤードに行ったきり戻ってきてくれなかったのか。
答えを探そうとする度、斎の感情はその答えとして目に涙を止め処なく溜める。
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