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八章 二節

「ま、待って!」  今までのようにこのまま茅萱に流される訳にはいかなかった。壁際に追い詰められ、下肢へと伸ばされる茅萱の腕を斎は掴んで止める。  無駄な足掻きかもしれなかったが、抱かれて茅萱との関係性を含めてこれまでのことが全て終わってしまうのならば、抱かれなくても良いから納得の行く解決策を見付けたい。もしかしたらまだ茅萱は隠しているだけなのかもしれない、脅されていることを明かせないほど三睦たちが脅威なのかもしれない。 「ほんとのこと、言ってよ……」  否定されても、茅萱を愛していた時間を無駄にしたくなかった。嫌われてもいい、怒らせてでも茅萱の本当の気持ちが知りたい。  茅萱は斎に掴まれた腕へと視線を落としていたが、不意に顔を上げるとそのまま斎へと口付ける。その時に斎は何か別のものを口の中へと押し込まれたような気がした。それはさくらんぼのように甘い味がする〝何か〟だった。  じわりと腔内で溶けていくそれは、初めの時と同じでただのキスでも茅萱に掻き回されるだけで脳を直接掴まれているように痺れた。茅萱の腕を掴む手が痙攣によってびくつく、壁に背中を預けて座り込んでいることも出来ず、溶けるように床へと滑り落ちていく。  半透明の糸を紡ぎ茅萱の唇が離れると、茅萱の顔が普段よりも大分幼く見えた。斎は最初の時に茅萱がラブドラッグだといって飲ませたもののことを思い出す。 「……ねえ、俺に飲ませてたクスリ、なに……?」  白磁のさまに透明感のある肌は、僅かに上気しほんのりと桃色を帯び、黒目がちな瞳は揺れて普段よりも大きく見える。茅萱は微笑み、しかし少し悲しむように眉を落として複雑な表情を向けて斎の頬を撫でる。 「初めっから、全部ほんとのことだよ」  縋るように伸ばした両腕で茅萱を抱き締める。まるで先程までの茅萱とは別人のように、その表情が斎の中で強く印象に残り、ただ強く抱き締めた。  もう駄目だと分かっていた。全身が熱くて、頭も上手く働かない。きっと茅萱が媚薬だと言って飲ませていたものはラブドラッグなんて簡単なものではない。三睦の言葉や注射のことを考えれば簡単に点と点は繋がってしまう。だから、それだけはしたくなかった本当は。 「いやだよ……俺は茅萱さんと離れたくない」  見苦しくてもいい、それでも今この腕を離してしまえば茅萱とは一生会えなくなってしまう気がした。そこに一切感情が無かったなんて信じたくない、縋ってでも茅萱の情に訴えて最後という言葉を撤回して欲しかった。  強く茅萱のシャツを握り締める。滑る材質のそれを爪を立ててでも握り込んで、絶対に離したく相手であることを分かって欲しかった。  茅萱の手が縋る斎の背中を撫でる。その手は優しく、ぽんと頭を撫でられると斎の心は躍るように跳ねた。そして、後頭部の髪を強く掴まれて引き剥がされる。 「誰がお前に口答え許した? 駄犬はワンっつってご主人さまに服従してりゃいいんだよ」  涙を堪えようとした斎の表情が歪む。  信じたいと繰り返し告げれば頬を打たれ、その口に白いハンカチを押し込まれる。それがただ苦しく、低いうめき声を上げながら訴えるように視線を向けると、茅萱はその形のよい眉を歪ませる。舌打ちのようなものが聞こえたかと思うと、茅萱は外した自らのネクタイを両手に持ち、目隠しをして斎の頭部で結びつける。  腕力で訴えれば確実に勝てる相手であるのに、茅萱の腕に触れた手がそれ以上の力を出せず、茅萱によって強引にズボンと下着を剥ぎ取られることを防げなかった。  何も見えない暗闇の中、確かに目の前に茅萱がいるはずだったがそれすらも核心が持てなくなるほど心細くなってくる。それでも肌に触れる感覚だけは鋭敏となり、両足を左右に大きく開かされたことが分かるとそこにあるであろう茅萱の腕を掴んで首を左右に降る。  こんなことはお互い望んでいないことであると斎はまだ信じたかった。  気付くと首が横を向いていて、ワンテンポ遅れて再び茅萱に頬を叩かれたことが分かった。まるで物扱いのように頬を打たれ、痛さよりもショックが大きかった。それは非常階段で千景に頬を叩かれた時に似ていた。その人の為を思ってやったことに対して与えられる痛みは、自分が正しくなかったことを嫌でも知らしめる。  ねじ込まれた指は間違いなく茅萱のもので、細く小さくてそして子供のように柔らかいその指は具合を窺うようなことはなく初めから斎の一点を狙っていた。爪の先で弾くように触れられ跳ね上がった腰と共にはたはたと飛ぶ粘性の水音。  こんな気持の伴わないセックスなどただ悲しいだけで、気持ちが良いはずはないのに一度精を吐き出しても内部に燻る熱は再び硬度を増し、波のように斎を絶頂へと誘う。  溺れてしまうのが一番楽であることを斎はもう分かっていた。それでも今ここで溺れてしまうことは茅萱の言葉を全て受け入れることになってしまう。  抗いたいのに、指の代わりに押し込まれたそれが一気に斎を脳天まで突き上げる。  茅萱が今どんな顔をして自分を見ているのか、斎はそれを知りたいと思いながらも何度目かの絶頂の後そのまま意識を失った。

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