37 / 44
34.カミングアウト
「麦 、よく来てくれたね~」
リカさんは満面の笑顔で脛擦 りの麦君を抱き上げた。やっぱりどっからどー見てもポメラニアン。茶色い丸だ。
「見て見て。可愛いでしょ?」
リカさんが無邪気に問いかける。相手はあの薫 さんだ。残念だけど、これはもう塩対応待ったなし。
「ええ。とても愛らしいですね」
っ!!? 麦君を見る目が優しい。まっ、まさか薫さんも モフリストなのか!?
「これは何という妖なのですか?」
「脛擦りだよ」
「……脛?」
「ふふっ。麦、お願い出来るかな?」
「きゅきゅっ!」
「っ!?」
麦君が返事をしたのと同時に、薫さんの黒い着物の裾が持ち上がった。あれもたぶんリカさんの仕業なんだよな?
「お待ちください――」
「いい。黙っていろ、樹月 」
「しかし……」
「きゅきゅーーっ!!」
麦君が突撃していく。剥き出しになった薫さんの脛目掛けて。
「っ!!!」
スリスリスリスリ。ひたすらに擦り上げていく。勢いよく。時につーっと焦らすように。
「くっ……ふっ……」
薫さんはしばらくの間、ぐっと耐えていたけど。
「ははははっ!」
遂に笑い出した。大口を開けて。体を小刻みに揺らしながら。
「笑うと途端に幼くなるニャ」
「そうだね。やっぱ兄弟なんだなぁ~」
「……ほ~ん?」
「? どったの?」
「何やかんやでお前も、ちゃ~んと六花 様のことが好きなんだニャ~」
「っ!? 当たり前だろ! 何を今更――」
「お支えしますよ、薫様♡」
「っ!? 桂 !」
薫さんの背後に短髪作務衣姿の妖狐・桂さんが立った。何をするのかと思えば羽交い締めだ。
っ!? 桂さんって、リカさんよりもデカいのか。間違いなく2メートルはある。おまけに腕も、脚も丸太ばりにぶっとくて。ああいうのを『ガチムキ』って言うんだろうな。羽交い締め されたら絶対に逃げられない。俺の場合、泣くまであるぞ。
「あははっ! ……ぐぅっ」
逃げの手を失った薫さんは、桂さんの分厚過ぎる胸板の上で乱れに乱れていった。黒い着物が崩れて、鎖骨、胸、太股……と、どんどん露わになっていく。正直目のやり場に困る。
つーか、いいのかな? 薫さんって王太子なんだろ? そんなお方にあんな格好させちゃって。麦君、不敬罪とかで殺されたりしないだろうな?
「麦、もういいよ。ありがとう」
3分ほど経ったところでリカさんがストップをかけた。麦君はもっとやりたそうだったけど、ろくろ首の棗 さんに呼ばれたことであっさりと引き下がった。たぶん餌に釣られたんだろうな。
「ハァ、ハァ……っ」
薫さんは直ぐさま息を整えに掛かった。凄く苦しそうだ。三角耳もぺたーっと伏せてて。
「たまんねえな」
桂さんが舌なめずりをする。冗談っぽく言ってるけど、助平心も透けて見えて。
「離せ! この無礼者が!!」
「っと~、樹月ちゃんてば乱暴なんだから~」
細身の茶髪ローポニテの妖狐・樹月さんが、ガチムキな桂さんの体を突き飛ばして(凄い)、薫さんの体をしっかりと抱き留めた。
「わか……薫様、どうぞこちらを」
樹月さんが差し出したのは細長い竹筒だった。あれはたぶん水筒だな。
「んっ……」
やっぱり水筒だった。薫さんは樹月さんから離れるなり、ガブガブと飲み始めて。
「ハァ……ハァ……」
手の甲で口元を拭いながら、半ば樹月さんの胸に押し付けるような形で水筒を返す。そしてそのままお礼もなしに振り返って――驚いた。視線の先には里のみんなの姿がある。
見ればみんなは座礼を解いて、薫さんのことをじーっと見ていた。ドン引いてるわけではなさそうだ。むしろニマニマしてる。おまけにそわそわ……いや、うずうず? もしてて。
「バカにしてるんじゃないよ。みんな、薫と仲良くなりたいんだ」
「取り入るために?」
「違うよ。彼らは見返りなんて求めてない。……だから、儚 いんだ」
薫さんはぐっと息を呑んだ。共感してくれてると思っていいのかな。
「失礼致します」
樹月さんは薫さんに一言断りを入れると、テキパキと着物を整えにかかった。ベテラン女中の梅さんレベルの手際の良さだ。
樹月さんって、薫さんとは初対面なんだよな? なのにあんなふうに必死になって薫さんを守ったり、世話したりして。薫さんが『妖狐の国の王太子』だから? 『王族=民族の象徴! 何を置いても尊 ぶべし!』的なしきたりが染みついちゃってるのかな?
「整いましてございます」
「よし。それじゃ、行こっか」
リカさん達が歩き出した。今度こそ畑に向かうみたいだ。引き続き物陰に隠れながら様子を伺う。
「六花様、恐れながら一つお伺いをしても?」
「何でも聞いて」
「農作物の収穫量が、農地の規模と釣り合っていないように思うのですが」
「ああ、それは気候と土壌を制御してるから――」
「そんなことが!?」
「はっはっは! 流石は天狐 様だ! まさに何でもありですね」
樹月さんも、桂さんも里のスペックに大興奮だ。俺もちょっと嬉しい。もっと褒めて! とか思っちゃったり。
「ん? これは……人間の」
「っ!?」
薫さんが箒 のにおいを嗅いでいる。しまった!? あれは共用の箒だ。私物に付いてたにおいはちゃんと全部消したのに!!
「人間の国から持ち込まれたのでは?」
樹月さんナイス! リカさん、俺に構わずこの波に乗ってくださ――。
「実を言うとね、この里には人間もいるんだ」
「「「……は?」」」
妖狐さん達が一斉に言葉を失った。周囲にいる屈強河童さん達も青褪 めて。けど、それでもリカさんは止まらない。
「しかもその……結婚もしてて」
「この里の住民と?」
「私と、だよ」
リカさんは静かに、だけどハッキリと答えた。いつもみたいに直感に突き動かされてのことなのかもしれない。でも、その目は何処か不安げで。受け入れてほしい。そんな切実な願いが込められているようだった。俺の手にも力が籠る。受け入れて欲しい。俺もリカさんと同じ思いだ。
「ひゃ~、マジっすか」
「よもやよもやでございますな」
沈黙する薫さんに代わって、作務衣の2人が応える。やや否定的なニュアンスを感じた。やっぱり……難しいのか。俺はあの輪の中には入れないのかな。
「めげるニャ」
俺の頭の上に ぽふっ とやわらかい手が乗った。ああ、椿ちゃんの優しさが身に沁みる。
「私は今、本当に幸せだよ。優太 のお陰で私は――」
「呆れて物も言えませんね」
薫さんが深い溜息をついた。同調するように作務衣の2人も控えめに嗤う。
「……そっか」
リカさんの耳が、目が、声が、重たく沈む。
「うぉっ!? 河童共、堪えるニャ~」
「…………」
重なり合っていく。リカさんと御手洗 の姿が。白壁を背にしたリカさんが、ぶわっと涙を浮かべる。そして、声もなく訴えかけてきた。『助けて』って。
「っ!? 優太!」
地面に降り立って駆け出す。4本の小さな足でがむしゃらに地面を蹴って。
「……兎 ?」
「ゆっ、優太……」
リカさんの前へ。力任せに立ち上がって両手を広げた。
ともだちにシェアしよう!

