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34.カミングアウト

(むぎ)、よく来てくれたね~」  リカさんは満面の笑顔で脛擦(すねこす)りの麦君を抱き上げた。やっぱりどっからどー見てもポメラニアン。茶色い丸だ。 「見て見て。可愛いでしょ?」  リカさんが無邪気に問いかける。相手はあの(かおる)さんだ。残念だけど、これはもう塩対応待ったなし。 「ええ。とても愛らしいですね」  っ!!? 麦君を見る目が優しい。まっ、まさか薫さんも モフリストなのか!? 「これは何という妖なのですか?」 「脛擦りだよ」 「……脛?」 「ふふっ。麦、お願い出来るかな?」 「きゅきゅっ!」 「っ!?」  麦君が返事をしたのと同時に、薫さんの黒い着物の裾が持ち上がった。あれもたぶんリカさんの仕業なんだよな? 「お待ちください――」 「いい。黙っていろ、樹月(きづき)」 「しかし……」 「きゅきゅーーっ!!」  麦君が突撃していく。剥き出しになった薫さんの脛目掛けて。 「っ!!!」  スリスリスリスリ。ひたすらに擦り上げていく。勢いよく。時につーっと焦らすように。 「くっ……ふっ……」  薫さんはしばらくの間、ぐっと耐えていたけど。 「ははははっ!」  遂に笑い出した。大口を開けて。体を小刻みに揺らしながら。 「笑うと途端に幼くなるニャ」 「そうだね。」 「……ほ~ん?」 「? どったの?」 「何やかんやでお前も、ちゃ~んと六花(りっか)様のことが好きなんだニャ~」 「っ!? 当たり前だろ! 何を今更――」 「お支えしますよ、薫様♡」 「っ!? (けい)!」  薫さんの背後に短髪作務衣姿の妖狐・桂さんが立った。何をするのかと思えば羽交い締めだ。  っ!? 桂さんって、リカさんよりもデカいのか。間違いなく2メートルはある。おまけに腕も、脚も丸太ばりにぶっとくて。ああいうのを『ガチムキ』って言うんだろうな。羽交い締め(あんなん)されたら絶対に逃げられない。俺の場合、泣くまであるぞ。 「あははっ! ……ぐぅっ」  逃げの手を失った薫さんは、桂さんの分厚過ぎる胸板の上で乱れに乱れていった。黒い着物が崩れて、鎖骨、胸、太股……と、どんどん露わになっていく。正直目のやり場に困る。  つーか、いいのかな? 薫さんって王太子なんだろ? そんなお方に格好させちゃって。麦君、不敬罪とかで殺されたりしないだろうな? 「麦、もういいよ。ありがとう」  3分ほど経ったところでリカさんがストップをかけた。麦君はもっとやりたそうだったけど、ろくろ首の(なつめ)さんに呼ばれたことであっさりと引き下がった。たぶん餌に釣られたんだろうな。 「ハァ、ハァ……っ」  薫さんは直ぐさま息を整えに掛かった。凄く苦しそうだ。三角耳もぺたーっと伏せてて。 「たまんねえな」  桂さんが舌なめずりをする。冗談っぽく言ってるけど、助平心も透けて見えて。 「離せ! この無礼者が!!」 「っと~、樹月ちゃんてば乱暴なんだから~」  細身の茶髪ローポニテの妖狐・樹月さんが、ガチムキな桂さんの体を突き飛ばして(凄い)、薫さんの体をしっかりと抱き留めた。 「わか……薫様、どうぞこちらを」  樹月さんが差し出したのは細長い竹筒だった。あれはたぶん水筒だな。 「んっ……」  やっぱり水筒だった。薫さんは樹月さんから離れるなり、ガブガブと飲み始めて。 「ハァ……ハァ……」  手の甲で口元を拭いながら、半ば樹月さんの胸に押し付けるような形で水筒を返す。そしてそのままお礼もなしに振り返って――驚いた。視線の先には里のみんなの姿がある。  見ればみんなは座礼を解いて、薫さんのことをじーっと見ていた。ドン引いてるわけではなさそうだ。むしろニマニマしてる。おまけにそわそわ……いや、うずうず? もしてて。 「バカにしてるんじゃないよ。みんな、薫と仲良くなりたいんだ」 「取り入るために?」 「違うよ。彼らは見返りなんて求めてない。……だから、(はかな)いんだ」  薫さんはぐっと息を呑んだ。共感してくれてると思っていいのかな。 「失礼致します」  樹月さんは薫さんに一言断りを入れると、テキパキと着物を整えにかかった。ベテラン女中の梅さんレベルの手際の良さだ。  樹月さんって、薫さんとは初対面なんだよな? なのにあんなふうに必死になって薫さんを守ったり、世話したりして。薫さんが『妖狐の国の王太子』だから? 『王族=民族の象徴! 何を置いても(たっと)ぶべし!』的なしきたりが染みついちゃってるのかな? 「整いましてございます」 「よし。それじゃ、行こっか」  リカさん達が歩き出した。今度こそ畑に向かうみたいだ。引き続き物陰に隠れながら様子を伺う。 「六花様、恐れながら一つお伺いをしても?」 「何でも聞いて」 「農作物の収穫量が、農地の規模と釣り合っていないように思うのですが」 「ああ、それは気候と土壌を制御してるから――」 「そんなことが!?」 「はっはっは! 流石は天狐(てんこ)様だ! まさに何でもありですね」  樹月さんも、桂さんも里のスペックに大興奮だ。俺もちょっと嬉しい。もっと褒めて! とか思っちゃったり。 「ん? これは……人間の」 「っ!?」  薫さんが(ほうき)のにおいを嗅いでいる。しまった!? あれは共用の箒だ。私物に付いてたにおいはちゃんと全部消したのに!! 「人間の国から持ち込まれたのでは?」  樹月さんナイス! リカさん、俺に構わずこの波に乗ってくださ――。 「実を言うとね、この里には人間もいるんだ」 「「「……は?」」」  妖狐さん達が一斉に言葉を失った。周囲にいる屈強河童さん達も青褪(あおざ)めて。けど、それでもリカさんは止まらない。 「しかもその……結婚もしてて」 「この里の住民と?」 「私と、だよ」  リカさんは静かに、だけどハッキリと答えた。いつもみたいに直感に突き動かされてのことなのかもしれない。でも、その目は何処か不安げで。受け入れてほしい。そんな切実な願いが込められているようだった。俺の手にも力が籠る。受け入れて欲しい。俺もリカさんと同じ思いだ。 「ひゃ~、マジっすか」 「よもやよもやでございますな」  沈黙する薫さんに代わって、作務衣の2人が応える。やや否定的なニュアンスを感じた。やっぱり……難しいのか。俺はあの輪の中には入れないのかな。 「めげるニャ」  俺の頭の上に ぽふっ とやわらかい手が乗った。ああ、椿ちゃんの優しさが身に沁みる。 「私は今、本当に幸せだよ。優太(ゆうた)のお陰で私は――」 「呆れて物も言えませんね」  薫さんが深い溜息をついた。同調するように作務衣の2人も控えめに嗤う。 「……そっか」  リカさんの耳が、目が、声が、重たく沈む。 「うぉっ!? 河童共、堪えるニャ~」 「…………」  重なり合っていく。リカさんと御手洗(みたらい)の姿が。白壁を背にしたリカさんが、ぶわっと涙を浮かべる。そして、声もなく訴えかけてきた。『助けて』って。 「っ!? 優太!」  地面に降り立って駆け出す。4本の小さな足でがむしゃらに地面を蹴って。 「……(うさぎ)?」 「ゆっ、優太……」  リカさんの前へ。力任せに立ち上がって両手を広げた。

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