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怖い、よりも知りたい(2)

 窓の外の空は橙色に染まり始めている。  洗濯物を取り込み、外を気にしながらそれを居間で畳んでいると、庭のほうで物音がした。  物音は馬の足音だったようで、やがて窓の向こうを、白毛の馬に騎乗したラインハルトが通り過ぎていった。  白毛の馬は、今日は厩舎に繋がれていた。お留守番ということだ。  ヴァルテンベルク家には黒毛と白毛の二頭の馬がいて、出仕に際して乗る馬を、毎日交互に替えているのだそうだ。お留守番の馬は、殿下が自ら、朝夕、家の庭を散歩させるのだとか。  ユリウスは残りの洗濯物を急いで畳み、庭に出た。    ユリウスに気づいたラインハルトが、進行方向を変え、近くまで来て馬の足を止めた。  殿下が見た目通りの怖い人ではないということは、昨日の殿下との会話やワーグナー夫妻の話からなんとなくわかっているが、ただでさえ体が大きく目つきの鋭い相手に馬上から見下ろされると、自ずと体が委縮してしまう。 「お帰りなさいませ。ライニ様」  ユリウスはなんとか声を絞り出し、挨拶した。 「もう来ていたのか」  抑揚のない声色は初めて会話した昨日と変わらない。  殿下の表情は、夕陽が逆光になっていて、ユリウスからは見えなかった。 「はい。早速今日からお世話になっております。よろしくお願いします」 「何か要る物があれば、遠慮なく家の者に言ってくれ。ここでは好きに過ごせばよい」 「あ、はい。殿下の寛大なお心に感謝します」  ユリウスは一礼し、「あの……、」と控えめに話を続けた。 「差し出がましいことを申し上げてもよろしいでしょうか?」 「何だ?」 「殿下はこの後、いつも井戸端で水浴びをされると聞いております。この時期、外で水を浴びるのは寒うございます。せめて浴室で湯を浴びられてはいかがでしょうか?」  ラインハルトから返事はなかった。  侍従として働き始めた初日に、主の長年の習慣に物申したのだ。きっと気分を害してしまったに違いない。  心が折れそうになったが、どうせ疎まれるのなら、言いたいことを言った上で疎まれたいと思った。 「もし、お許しを頂けるなら、浴室に薬草湯を用意します。お風呂に浸からずとも、薬草湯で体を拭ったり浴びたりするだけでも、体が暖まり、疲れが取れ、寝つきがよくなります。僕の家では、皆、好んで使っておりました」  薬草湯を勧めたのは、少しでも殿下の疲れが取れたらよいと思ったのはもちろんだが、もし気に入ってもらえたら、庭の片隅で薬草を育てることを許してもらえるかもしれないという淡い期待もあった。   「お前は、そのようなことしなくてよい。真冬でもない限り、外で水を浴びたからといって風邪を引くような、やわ(・・)な体ではない」  エレナが言っていた通りの返事だった。  やはり、母の代から仕えている侍女が言っても駄目なのだから、今日来たばかりの新参者の話を聞いてもらえるはずがなかったのだ。 「とてもよい香りなので、殿下にも気に入っていただけるかと思ったのですが……。すみません。差し出がましいことを申し上げました」  しょんぼりと肩を落とし、ひとまずその場を離れようとしたら。 「……お前も、好きな香りか?」  引き止めるように、問われた。  ユリウスは踵を返しかけた体の動きを止め、顔を上げる。 「あ、はい。薬草湯に使うのは色んな薬草がありますが、なるべく香りの良いものを選んでいます」  ふたたび、何かを考え込むような間があり。 「苦にならないようであれば、頼む」  ――へ……?   言われたことをよく理解できず、ぽかんと口を開けたユリウスを残し、ラインハルトは馬の腹を軽く蹴って、颯爽と去って行った。

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