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怖い、よりも知りたい(4)
湯浴を終えたラインハルトは、石鹸と薬草の匂いが混ざったような、とてもよい香りを漂わせて居間に現れた。
彼にソファに座ってもらい、ユリウスはその傍らに立った。
いつも侍従がしてくれていたのを思い出し、乾いた布でダークブラウンの硬質な髪を包みこんで、優しく揉むようにして水気を拭き取っていく。
「ライニ様。薬草湯はお気に召していただけましたか?」
沈黙に耐えきれず、自ら会話の口火を切った。
「ああ。爽やかな気分になった。それに確かに、水浴びより体がほぐれてよいな」
世辞ではなく、心からの賛辞に聞こえた。
記憶にある限り、初めて殿下に褒めてもらった気がする。褒められたのは薬草湯だけど、なんだか自分自身が褒められたように面映ゆい。
しかし、そこで調子に乗ったのがいけなかった。
「お気に召していただけたのなら、明日もご用意します。実家から持ってきた薬草がまだ少し残っていますので。ですが、その……、持参した薬草には限りがあります。そのためできることなら、庭の片隅をお借りして、土を入れて薬草を作りたいのです。お許しをいただけますでしょうか……」
斜めに首を傾げ、横目でこちらを見上げていた眸が、つと前方を向く。
返事はなく、答えあぐねている様子だった。
殿下との短い付き合いの中で一つ知ったことは、この方は、気にそぐわないことがあっても、頭ごなしに拒否したり否定することはしない。ただ、すぐに返事がなく黙り込んだときは、その話題をあまり好ましく思っていないときだ。
「そうしたければ好きにしてよいが……、薬草を育てるには月日が必要だろう? ここにどのくらいの間いるかは、まだわからないのではないか?」
いつもよりゆっくりと、一語一句区切った言い方だった。言い辛いことを、言葉を選んで話してくれているような。
どうせ侍従なんて長続きしないだろう? と直截 に言わないのは、優しさだろう。
帰りたければ故郷に帰っていいとも言っていたし、貴族の子息が侍従の仕事を長く続けられるとは思っていないに違いない。実家で甘やかされて育った手前、そう思われるのは当然でもあるが、薬草湯を褒められて嬉しかった気持ちまで、しゅんと萎んでしまう。
「そ、そうですよね……。すみません。今日働き始めたばかりなのに、勝手に一人で先走ってしまって……。都では、薬草は家で育てるものではなくお店で買うものだということを、すっかり失念しておりました。持参した分がなくなる前に、近くの薬草屋に行ってみます」
前を向いていた顔が、急に首を反らせ、上を向いた。必然的に、ユリウスはそれを見下ろすことになる。
あまりの近さに怯むよりも、その顔 の美しさに見惚れてしまった。長い睫毛が影を落とすヘーゼルナッツ色の瞳に、吸い込まれそうな錯覚を覚える。
その、眼下の整った顔の、薄い唇が動く。
「平民街に一人で行くのは危険だ。薬草屋に行きたいのなら、明後日の休みに、俺が一緒に行こう」
殿下の顔に見惚れてぼんやりしていたから、言われたことを理解するのに少し時間を要した。
「――え? え? い、いえ。そんな……。ライニ様の貴重なお休みに時間を割いていただくわけには……。ワーグナー夫妻の息子さんが来られた時に一緒に街まで連れて行ってもらうので、大丈夫ですよ」
それで殿下が言うように危険がありそうだったら帰りは馬車を拾えばいいし、それほどでもなければ歩いて帰ればいいと思った。
そもそも、平民街が治安が悪いという話は誰からも聞かされていない。オメガで非力だから心配されているのかもしれないけど。
しかし殿下は、納得してくれなかった。
「駄目だ。俺が一緒に行く」
そう言われても、逆ならともかく、侍従の買い物に主が護衛役として付き添うなんて、聞いたことがない。
どう断ればよいのだろうとユリウスが頭を悩ませていると、廊下からパタパタと足音が近づいてきた。
「ライニ様、ユーリ様。そろそろお食事にしましょうか」
喋りながら居間に入って来たのは、エレナだった。
「あら。とてもよい香りがしますわね。ユーリ様に薬草湯を用意してもらって、よかったじゃないですか」
「そうだな。なかなかよかったから、明後日の休みに薬草屋に出かけることにした」
一緒に出掛けることを既に決定事項のように言い、ラインハルトは浴布 を引っ張り下ろして、ソファから腰を上げた。
「あら。休日にお二人でお出かけなんて、いいじゃないですか! ライニ様はお休みの日も剣を振るうか遠駆けくらいしかなさいませんから。たまには庶民のように街を歩くのも、楽しいと思いますわよ」
何故か、エレナが一番はしゃいでいる。
正直なところ、殿下と二人で出かけるくらいなら、ワーグナー夫妻のどちらかについてきてもらったほうが、気楽だったのだが。この様子では無理だと諦めた。
「では……、面倒をおかけしますが、よろしくお願いします」
そう返事をしたものの、明後日のことを考えると、今から緊張してしまって、夕餉が喉を通りそうになかった。
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