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初夜(8)

「ライニ様……、申し訳ありません……」  絞り出した声は、ひどく掠れていた。  ラインハルトの憔悴した顔が、更に苦しそうに、眉間に皺を寄せる。 「お前は悪くない。お前は……、拒絶したのに、俺が無理やり……。言い訳にしかならないが……。こんな形で、つがいにするつもりはなかったんだ……。妾にしたいとも思っていなかった……」  抱く気のなかった人間をフェロモンに煽られて抱いたら、翌朝、男はこんな顔をする――。その見本とも言えるような、後悔と自己嫌悪が透けて見える表情だった。  その言葉と表情に胸の痛みを覚えて初めて、ユリウスは、自分がこの人に何かを期待していたことを知った。  恋とか、そういう確かなものじゃない。  でも、昨夜の殿下が、あまりにも優しかったから。  フェロモンの所為じゃなく、本気でこの方に愛される人は、とても幸せ者だなと羨ましく思った。もしかしたら、自分もそうなれるかもしれないという淡い期待もあったのかもしれない。  完全に熱が引いてしまった今は、とてつもなく身の程知らずだったと冷静に考えられるけれども。 「我が国の今の医術では、(つがい)を解消することはできない。こうなってしまった以上、ひとまず、お前を妾にしたいと思うのだが……」  殿下が見た目と違って、慈悲深く、優しい人であることは、短い付き合いの中でも知っている。  不可抗力とはいえ、(つがい)にしてしまった相手を侍従にしておくわけにはいかないと思っているのだろう。  殿下の妾にしてもらって、昨日のような夜を重ねれば、もしかしたら、いつかは本気で愛してもらえる日も来るのかもしれない。そんな浅ましい期待がないわけではない。  でも……、発情期(ヒート)に巻き込んだ上に、妾にする気のなかった人間を妾にしてもらうのは、あまりにも虫が良すぎるのではなかろうか。それに、そのうち殿下が正妻を娶れば、愛されていない妾なんて、ただの厄介者でしかない。  それで寂しく思うだけならいいが、ほんのわずかでも情を受けた経験があるだけに、ユリウスのほうにも、お妃様を妬む気持ちが生まれるかもしれない。  妾になっていずれは疎まれたり、主の大切な伴侶を妬んだりするくらいなら、侍従として殿下の役に立てるほうがずっといい。  寝起きの、動きの鈍い頭で必死に考え、そのような結論を導き出した。  だとしたら、言うべきことは――……。 「侍従でいさせてください!」  声を震わせることなく、きっぱりと言い切れたことに、秘かにホッとする。    ユリウスを見下ろす切れ長の眼が、驚いたように見開かれた。  自分ですらよくわからずにいる本心を見透かされそうで、それ以上、その眼をまっすぐに見つめ返すことはできなかった。殿下の、素肌にローブを羽織っただけの胸元に、視線を落とす。 「えっと……、昨夜のことは、ライニ様には何の非もありません。ちゃんと発情期(ヒート)の対策を立てていなかった僕の所為です。……でも、決してわざとではないんです……」  もちろん殿下の所為ではない。非は、自身にある。でも、発情期(ヒート)を利用して皇弟殿下の妾の立場を狙ったとも、思われたくなかった。  そのため、言い訳を重ねる。 「ライニ様の妾になりたいなんて、一度も思ったことはありません。今も、これっぽっちも望んでいません。だから、これからも、侍従でいさせてください!」

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