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初夜(9)

 しばらくの間、返事はなく、しんと静まり返っていた。  妾になりたいなんて望んでいないという言い方は失礼だったかなと、時が経つにつれじわじわと苦い後悔が込み上げてくる。でも、だったら、どういえばよかったのか。  ラインハルトは長いこと、何やら考え込んでいる様子だった。  やがて、深い溜め息を洩らして。   「お前の気持ちはわかった」  と、突き放したような、あるいは怒ったような声を返された。  ユリウスは、殿下の胸元に向けていた視線を、そろそろと上げる。  宮殿で初めて拝謁したときのような、凄味のある眼差しが、ユリウスを見下ろしていた。 「最初に好きにしていいと言ったのは俺だ。侍従として働きたいのなら、それでいい。今は俺にとっても、そのほうが都合がいいしな。ただ……、皇族が、つがいのオメガを侍従として働かせていることが知られるのは、外聞が悪い。だから、俺達がつがいになったことは、うちの者以外には黙っておいてくれるか?」  ラインハルトが「外聞が悪い」という言葉を口にしたことを、少し不可解に思った。  選定の儀にも参加せず、使用人も二人だけ、という皇弟殿下は、あまり外聞を気にしない人だと思っていたから。 「わかりました。ワーグナー夫妻以外には、誰にも話しません」  (つがい)のオメガを侍従として働かせる以前に、選定の儀の売れ残りであるユリウスをつがいにしたこと自体、殿下にとって不名誉なことだとわかっている。元々、親兄弟にも一生言うつもりはなかった。  固かった殿下の表情が、ほんのわずか和らぐ。 「すまない。今はまだ話せないこともある。色々と面倒事が片付いたら、もう一度だけ改めて話をさせてほしい」  喋りながらユリウスの頭へと手を伸ばし、ふと何かに気づいたように、その手を髪に触れる直前で止めた。 「侍従でも、こんなふうに触るのは、いいのか?」  遠慮がちな顔と声だった。  精を放ったからか、つがいになったからか。体を焦がすようだった欲情の熱は、今はかなり引いている。鼻の利くユリウスはまだ微かに漂う甘い香りを感じ取れるが、窓が開いているため匂いはこもっておらず、普通の嗅覚の人ならほとんど影響のない程度に思えた。  だから、殿下がユリウスを触ろうとするのは、フェロモンの所為ではなさそうに思える。  (つがい)というのがアルファとオメガの間だけで結ぶことのできる特別な絆だと言うことは、継母(はは)が教えてくれた。  (つがい)になったら、発情期(ヒート)以外でも相手に触りたくなるし、触られたくなるのかもしれない。  少なくともユリウスは、その手で触ってもらいたかった。 「妾だろうと、侍従だろうと、僕がライニ様のものであることには変わりありません。ですから、ライニ様のお好きになさってください」  もう少し可愛い物言いができないものか。  とは、喋った後で思った。  表情に乏しい仏頂面が、眉尻を下げ、わずかに口角を上げる。苦笑に近い微笑だった。 「俺にとってそれは、大きな違いなんだがな」  宙で止まっていた手が動き出し、剣だこのできた無骨な掌が、ユリウスの髪を優しく梳く。  昨夜の、触れられたところ全てが気持ちいいと思える感覚とは、だいぶ違う。胸のあたりがくすぐったくて、落ち着かない気分なのに、心が満たされるような安心感もあって、なんだか不思議な感覚だった。  きっとこれも、(つがい)になったせいだと思った。

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