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皇弟騎士の思い人(9)
朝食と昼食は、兵士に出す物も洗い物をしなくて済むようパンやチーズや干し肉なので、ユリウスのような下っ端の使用人は、その間、食堂にはおらず、洗濯やら掃除やらの他の仕事を片付けている。それに加えて夕食時はずっと厨房にいて洗い物をするようにしていたから、殿下には遭遇せずにすんでいた。
結局は我慢できなくなり、自ら正体を晒すことになってしまったのは、ここに来ておよそ10日が経った頃だった。
近くの川から引き込んだ水路の傍で、夕食に使う野菜を洗っていたときのことだ。場内を巡回しているらしい騎士たちの声が耳に入った。
「やっぱり皇族は違うな。団長を差し置いて、副団長がお嬢様と優雅にお茶会なんて」
「ここに来てから、副団長は毎日、お嬢様からお茶会に誘われているらしいぞ。あの見た目だから一目惚れされたんじゃないか? 副団長はアルファで、お嬢様はオメガだしな」
「今度、城である舞踏会でも、お嬢様のエスコート役を頼まれたんだと。どうせ警備に加わらないんなら、さっさと婿入りしちまえばいいのにな」
「舞踏会もそのお披露目が目的じゃないのか? 血筋も能力も申し分ない婿が見つかりました。これで我が一族も安泰ですってやつ」
何が可笑しいのか、ふはははは、と笑い合いながら、騎士たちが通り過ぎて行く。
……やっぱり……、あの噂は本当だったんだ……。
締め付けられたように胸が苦しくなった。
見に行ける立場でないことはわかっている。見ないほうがよいことも。
でも、ひと目でいいから見てみたかった。ライニ様が妻に娶りたいと思う人はどんな人なのか。その人といるときのライニ様がどんな顔をしているのか。
ちょうど、野菜を洗っているのはユリウスだけで、周りには誰もいなかった。
巡回の騎士たちが見かけたのであれば、お茶会は庭で開かれていたに違いない。
ユリウスは辺りを見回すとそっとその場を離れ、騎士たちが来たほうへと向かった。
大きな池こそなかったが、カッシーラー城の庭園と比べても遜色のない、木々や美しい花々に囲まれた庭園には、東屋 があり、その景色によく似合う高貴な雰囲気の男女が向かい合わせに座っていた。
女性の後ろには、女中が二人控えている。
女性のほうは、ふわふわした金髪の長い髪が見えるのみで、ユリウスの位置から顔は見えなかった。
ウェルナー辺境伯には妻以外に妾も何人かいるが、子供は一人だけだと聞いている。
カレン・ウェルナー。辺境伯の正妻の娘であるその人だろう。
殿下は――……、笑っていた。
カレンを見つめて。屈託なく、愛おしそうに。
……ライニ様でも……、あんな顔するんだ…………。
ライニ様に心から惹かれる相手がいてよかった。きっとあの人となら、エイギルとローザのように、笑顔の溢れる家庭を築き、一生幸せに過ごされるだろう。
だから、よかった。よかったんだ……。
そう思うのに。
何故か、視界がぶわりと歪み、目から熱い雫がこぼれた。
お茶会が終わったのか、二人が立ち上がり、こちらへと向かってくる。
ユリウスは目元を乱暴に拭い、慌てて踵を返し、その場を立ち去ろうとしたのだが……。
目の前にあった『壁』に阻まれた。
「ユーリ。こんなところで何をしているんだ?」
『壁』と思ったのは、フリッツだった――……。
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