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皇弟騎士の思い人(10)

「お前たち。そこで何をしている?」  足止めを食らっていた所為で、小道を歩いてきた二人に見つかってしまった。  フリッツが背筋を伸ばし、敬礼をする。 「申し訳ありません。この者が城内で道に迷っていたようなので、軍営のほうへ連れ戻そうとしておりました」  君も早く謝った方がいい。と言いたげに目配せされた。  ……どうしよう。走って逃げたら逃げられるだろうか……。でも、フリッツさんが追いかけてきたら、すぐに捕まるしな。  観念し、ユリウスは緩慢な動作で体ごと振り返った。  それでも、往生際悪く、なるべく顔を見られないよう、顔を俯かせたまま地面に跪く。 「申し訳ありません。来たばかりなので城内のことに疎く、道に迷ってしまいました」 「ユリウスではないか。どうして君がここにいる?」  正体を知られてしまったことよりも、愛称ではなく正式な名前で呼ばれたことに、思わず体が硬くなった。  ユリウスはそろそろと顔を上げる。  声色から察しはついていたが、あきらかに怒気を孕んだ眼差しが、こちらを見下ろしていた。 「あら。殿下のお知り合いなの?」  鈴を鳴らすような若くて美しい声が、その隣で響く。  ――あぁ……。  先ほど見た殿下の表情の理由が、すとんと腑に落ちた。  彼女は、選定の儀で見たどのオメガよりも美しかった。整った鼻筋と薄く血色の良い唇。肌が透き通るほどに白く、意志の強そうな大きな瞳は青く澄んでいる。  これほどの美女なら、殿下が今まで見たこともない、あんな甘い顔で微笑むのもわかる。 「従兄弟のご令室の弟君です」 「では、殿下ともお知り合い?」 「この者が都に出てきたときに、従兄弟の家で一度会ったことがあります。従兄弟の結婚式のときにも会っているはずですが、そのときのことは私は覚えておりません。あのときは初めて会ったウェルナー辺境伯の姫君に目を奪われておりましたから」 「まぁ」  カレンが、嬉しそうに、赤く染めた頬に両手をあてる。  最後の言葉は、ユリウスとの関係を説明するものではなく、明らかに彼女に好意を伝えるためのものだった。  侍従だったことを隠しているのも、オメガの男と少しでも関りがあったことを、想い人に知られたくないからだろう。  泣かずにすんだのは、なんだか全く知らない人を見ているようだったからだ。  殿下の表情も声も、まるで別人のようだった。  初めて会った時でさえ、その威圧感に圧倒されたものの、これほど冷たい印象は受けなかった。  冷水を浴びせられたというより、冷たい湖の中へと背後から蹴り落とされたような、そんな気分だった。  急速に体中の熱が引いていき、息苦しさを覚える。  カレンへはにかむような笑みを向けたラインハルトが、ふたたび厳しい眼差しでユリウスを見下ろした。 「なぜ、君がここにいるのだと訊いている。ご両親はご存知なのか?」 「はい……」  ユリウスはうなだれたまま頷いた。 「働き口を探すにあたり、故郷では外聞が悪いかと思いまして……。ここなら、ラインハルト殿下もおられて、誰も知っている人がいないところよりは安心できたので、10日前からここで働いておりました。両親には手紙で報告しております」 「いくら身分が平民でも、君は伯爵家の庶子だ。こんなところで使用人として働けば、ご両親や姉君の名誉を傷つけることになる。後ほど路銀を届けさせるから、即刻、故郷に帰りたまえ」  何も考えられない。考えたくない。  ただ、自分が答えるべきことだけはわかっていた。 「……路銀は……以前働いていたときの給金がまだ残っているので……いりません。殿下の仰る通りに致します……」  これ以上、殿下に恩を仇で返すようなことはしたくなかった。  ユリウスが殿下のためにできる唯一のことは、ここから即刻去ることだけだ。  ふわりと甘い香りがしたと思ったら、目の前に天使のような美貌があった。 「ここには、いつでも遊びにいらしてね。わたくし、平民のお友達がいないから、お友達になってほしいわ」 「あ……、ありがとうございます」  美しいだけでなく優しい彼女は、貴族であることを差し引いても、殿下の伴侶になるにふさわしい人だ。そんな人に対し、胸の内でどろどろとした黒いものを渦巻かせている自分が嫌で、彼女の視線から逃れるように顔を俯かせた。

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