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はじまりの場所(6)
「エイギルの結婚式のとき、お前を見て、すぐにあのときの子供だとわかった。なんとなく目が離せなくて、お前だけをずっと目で追っていたから、お前のエイギルに対する気持ちもわかってしまった」
「え? ちょっと待ってください!」
ユリウスは柵に預けていた腰を軽く浮かせ、殿下の視線の先にぬっと顔を出した。
「結婚式での僕のことは全然覚えていないって言ってましたよね? ウェルナー辺境伯令嬢に目を奪われていたって」
「あのときは……、すまなかった。辺境伯を油断させるためと城の内情を知るために、彼女の気を引く必要があったんだ。結婚式での彼女のことは全く覚えていないし、城での彼女への態度は、全てが演技だ。――でも、結婚式のことは、お前も俺のことを全く覚えていなかったんだから、お互い様だろう?」
恨みがましい顔が、ユリウスを軽く睨む。
「でも……、話をする機会もなかったし……、招待客が多すぎて誰が誰だかわからなかったので……」
「話す機会は、一応あったんだけどな」
「ありまし……たっけ……」
ユリウスは必死で記憶を掘り起こす。
「隠れて泣いていたお前に、ハンカチーフを渡したら、ありがとうと言って受け取った」
これには、ユリウスは激しく動揺した。
「あのときのあの人が殿下だったんですか!?」
「ライニと、名前で呼んでくれないのか?」
殿下が、眉間に皺を寄せ、少し悲しそうな顔をする。
都にいたときのことは、殿下の前では全てなかったことにしたほうがいいのだと思っていた。
侍従として仕えていたことも、殿下を好きになってしまったことも、つがいになったことも。
でも――……。お嬢様への態度が全て演技だったということは、なかったことにしなくてもいいのだろうか……。
「侍従ではなくなったので……。あまり馴れ馴れしくしすぎるのも、ご迷惑かと思っていました……」
ラインハルトは一度立ち上がり、そしてユリウスの前に片膝をついた。
皇弟殿下に見上げられる形になってしまう。
「で……殿下?」
「あのとき……、エイギルの結婚式で、庭で泣いているお前を見て、ほっとけない、と思った。お前を、俺の目の届くところにおいて、甘やかして、それで、俺のことを好きになればいいのにって……思ったんだ……。
順番がおかしくなってしまったけど……。ユーリ、俺はずっと、あのときから……、いや。もしかしたら、ここで初めて会った子供のときから……、お前のことが好きだった。妻にするのは、お前がいいと思っていた」
……な、にを……言っているのだろう……。
理解が追い付かないのに、心臓だけが加速していく。
「ユーリが好きだ。今までも、今も、これから先もずっと、ユーリだけだ。ユーリを愛している」
夢を、見ているのだと思った。
随分と自分に都合のいい夢だ。
頬を思いっきり抓ってみたら、めちゃくちゃ痛かった。
「ばか! 何やっているんだ!」
殿下が手を伸ばし、ひりひりと痛む頬を優しく撫でてくれる。
痛いけど。夢じゃなさそうだけど。
でもやっぱり、いま目の前で何が起こっているのかはわからない。
わからないのに、涙が溢れてきた。
溢れて、溢れて。
自分でも説明できない感情が濁流みたいに押し寄せてきて、胸がいっぱいになった。
こんなに自分に都合のいいことが起きていいのだろうか……。
いや、起きるはずがない。
ライニ様のような人が、こんな見た目もいまいちで、何のとりえもない人間を好きだなんて……。
「ユーリ……。抱きしめてもいいか?」
涙でぼやけた視界で、少し不安げな殿下が見えた
頷くと同時に、体があたたかな腕に包まれる。
汗の匂いの混じった大好きな香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。
好きだ……。
ライニ様のことが、好き。大好き。
僕も――……。
「……好きです…………ライニ様のことが…………」
ずっと言えずにいたはずの言葉が、気づいたときには舌から零れ落ちていた。どうして今まで言えずにいたのか不思議に思うほど、気負いなく、するりと。
好きです。大好きです。これからもずっと好きです。
そう何度も繰り返し言いたかったけど。
喉に何かが詰まったみたいに上手く呼吸ができなくて、殿下の胸に顔をうずめて嗚咽を堪えることしかできなかった。
とめどなく溢れてくるのは、随分と温かな涙だった。
後ろ髪を擽られ、あやすように背中を上下に撫でられて。
つむじに、吐息の熱が触れる。
「ユーリ……、キスをしてもいいか?」
「そういうことは……、いちいち訊かないでください!」
耳まで赤くなるのがわかる。
「すまない。侍従だったときのくせで……」
笑った気配を頭上に感じた。
少し体を離し、顔を上向かせられる。
前にキスをしたときから、あまりにも色んなことがありすぎて。
まるで初めての口付けのように思えた。
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