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はじまりの場所(8)

 父の話によると、亡くなった母は、選定の儀で売れ残り、ウェルナー辺境伯に下賜される形で妾になった。  オメガの兆候が出たのが遅かったため、元々、結婚を約束していた恋人がいたらしい。その人と泣く泣く別れ、ウェルナー辺境伯の妾になったが、既に辺境伯には正妻がいて、妾の母は大事にはされなかった。  愛情がなくても、発情期(ヒート)になれば、そういう行為は行われる。  そのため、子供を身籠り、そして、先に身籠っていた正妻と、たまたま出産が重なってしまった。  母のほうは早産で、子供は生まれてすぐに一度息が止まったらしいが、城には医者が一人しかおらず、その医者は正妻につきっきりだった。  背中を叩いて子供の呼吸は再会したものの、その後も乳がうまく飲めず、かなり危うい状態だったそうだ。  そして、彼女が子供を連れてこっそり城を抜け出したのは、出産から一週間後のことだった。  かつての恋人を頼ってカッシーラー辺境伯領まで来たが、その人は既に結婚していた。実家に帰れば、ウェルナー辺境伯のところに戻されてしまう。  路頭に迷い、行き倒れ寸前のところをこの領内で保護されて、表向きは父の妾ということにされて、母子ともにこの家で暮らすようになった。 「自分の死期を悟って、彼女が全て話してくれたんだ……。そのとき彼女が連れ出した子がユーリ、お前で、自分の産んだ子ではなく、正妻の産んだ子だと……」 「子供を取り替えたということですか……」  母もこの話は知らなかったようで、大きく目を見開いた。 「そうしないと、自分の子は医者にも診てもらえず、このまま死んでしまうと思ったそうだ。それに、見るからに小さく、体の弱そうなその子はオメガに違いないと思い込んでいた。平民のオメガであれば、自分と同じように、他に愛する人がいたとしても、いずれは選定の儀に参加しなければいけなくなる。子供が一人になれば、その子を正妻の子として育ててくれるんじゃないかと思ったそうだ……」  実際にそうなった。  平民のオメガの子供であったはずのカレンは、正妻の子供として育てられている。彼女とその母親の間にも、きっと色んな悲しい出来事があっただろうけど。  ユリウスの顔を見るたびに「ごめんね」と泣いていた母が、ユリウスのことを愛してくれていたかどうかはわからない。  ただ、恨む気持ちはなかった。取り替えた子供を、そのへんに放って捨てることもできただろうから。 「それからまもなくしてあの人が亡くなったから、事実を確認させるためにウェルナー辺境伯領に人をやったんだ。事情を知る者は全員解雇されていて、当時の城の専属医も亡くなっていたが、その医者が妻に話していたところによると、やはり正妻の産んだ子は男の子だったらしい」  そのときの報告を、ここにいた頃の殿下が耳にしてしまったのだろう。  誰もが言葉を見つけられず、重い沈黙が続く中、それを破ったのはラインハルトだった。 「葡萄酒に毒が入れられているだろうことは、予想していたんだ。だから飲むつもりはなかった。だが……、都に護送している途中、ウェルナー辺境伯から、今にも毒入りの酒を飲もうとしていて、ユリウスが止めたお陰で助かったということにしてほしい、と言われた。そうすれば、その功績でお前に爵位が与えられるかもしれないからって……」  それは、あの人なりに、大事にできなかった妾と、その妾に連れ去られ、最初からいなかったことにした息子への、贖罪のつもりだったのかもしれない。  その気持ちだけは、素直に受け取ろうと思った。  ユリウスはソファから立ち上がり、両親のほうを向いた。 「お父様、お母様。今まで、自分の子供でもないのに育ててくださって、ありがとうございました。僕にとっては、亡くなった母様と、お父様とお母様だけが、本当の両親だと思っているので……、これからも二人の子供でいさせてください」  二人の目に、大粒の涙が盛り上がった。 「何を……、当たり前のことを言っているんだ」 「そうよ。ユーリは、今までも、これからも、私たちにとって大切な息子よ」  手を伸ばされ、ユリウスはおずおずと身を屈めた。  二人に、抱きしめられる。  姉や弟のように甘えてもいいのだろうかという遠慮は今もある。  でも、甘えても甘えられなくても、どちらでもいいのだと思った。  愛して、愛されていることに、かわりないのだから。

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