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第68話

 歩くうちに頭痛は止んできた。飲まされた薬はどうやら強制発情薬だったらしいが、白露には作用しなかったらしい。思わず乾いた笑みが漏れた。 (やっぱり僕は、琉麒の番には相応しくないよ)  このまま里に帰ろうか……道の上を歩いているのに、森の中にでも迷い込んだような気分だった。大通りを歩きながら、足の速度は落ちていく。  売り子の呼び声が辺りに響き渡っており、白露の耳にもその声が届いた。 「今年最後の桃だ、この機を逃すと来年まで入荷はないぞ! お、そこの少年! 味見していかんか? 小ぶりだが味はいいんだ」  焦茶の耳を持つ大きくずんぐりとした熊獣人に声をかけられて、彼が手に持つ桃に視線が吸い寄せられる。  ちょうど時刻は昼であり、笹も昼餉も食いっぱぐれた白露はお腹が空いていた。餌につられた魚の様にふらふらと店先に近づいていき、商人の前に立つ。  熊獣人は張り切って、目の前で桃を剥いてくれた。白露はハッとして手を左右に振る。 「ごめんなさい、お金を持っていないんだ」 「金がない? そうか……あ、それなら手首についているその飾り紐と交換しないか? そしたら食べたいだけ桃を食べさせてやる」  魅音に飾りつけられた時に身につけていた、絹糸を縫い込んだ飾り紐を指さされる。  桃の季節も終わりらしいし、白露はこれから里に帰ろうとしている身だ。この機会を逃すと一生桃を食べることができないかもしれない。  どうしても桃が食べたくなった白露は、飾り紐を商人に渡すことにした。取り外して熊獣人の手のひらに乗せると、満面の笑みで受け取ってくれる。 「はいよ! そこに座って待ってな」  丸太でできた椅子を指し示されて座ると、皮を剥かれた桃が白露の目の前にどーんと盛られた。串を使って瑞々しい果肉を刺し、口に含む。じゅわりと広がる甘さは幸福の味がした。  不意に、初めて桃を食べた時のことを思い出す。琉麒は白露の話を微笑みながら聞いてくれて、なんて美しくて優しい人だと感動したっけ。  身を寄せるとこの世のものとは思えない素晴らしい香りがして、抱き締めあうと心から嬉しくなった。  初めて会った時から他人の気がしなくて、側にいると心地よくて。同じ城に住んでいるはずなのになかなか会えなくて、寂しく思ったなあ。  このまま白露が皇都を去れば、もう二度と会うことはない雲の上の存在で。  そう、このまま別れてしまえば、琉麒とはもう会えないんだ。 「……あれ、っく、ふっ」  気がつくと白露は泣いていた。桃の味がしょっぱくなって、ぼたぼたと涙の粒が皿の上にいくつも落ちる。  いつもならもったいないなあなんてへにょりと笑う白露だったが、今日ばかりは全然笑えそうになかった。  琉麒と番になりたかった。どうして普通のオメガとして生まれてこれなかったのだろう。  彼の笑った顔も苦笑する表情も、白露に向ける情熱的な視線ももう見れないのかと思うと、後から後から涙が溢れて止まらない。

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