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第70話

 このまま一生誰とも番えない可能性もある。それでもよかった。他の誰かと番うなんて、今では考えられないことだった。 「無理やり噛まれなくてよかった」  もしも発情薬が作用していたら……今更ながらぞっとする。けれど同時に、発情薬を使ってさえ大人の体になれないことが証明されてしまった。 (番に、なりたかったなあ……)  琉麒の番になりたかった。彼のためだったら、とっても怖いけれど子どもだって産んでもいいと今なら思えた。  美味しい笹の葉を分けあって二人で食べられなくても、鳥を見つけて一緒に眺めて楽しむような時間がなくても、それでも琉麒と一緒に生きていたかった……  未練がましく皇城の方向を窓から探すと、輝く月が空へと昇っていた。 (今日は満月なんだ)  不意に、皇城で見た月を思い出す。琉麒も今頃、あの月を見上げているのだろうか……切なげな旋律が脳裏に蘇った。 『久遠の別れを誘う月が、私だけを見下ろしていた……』  白露は別れの歌を、脳内で繰り返し再生する。聞けば聞くほど胸に沁みて、長いこと窓際から動けないでいた。  店主がせっかく用意してくれた饅頭もどんどん冷えていくけれど、一口だって喉を通りそうにない。  好物の桃だってとても食べられる気がしなくて、白露は寝台に突っ伏して埃っぽい枕を抱えた。甘くてとびきり魅惑的な、伽羅の匂いが恋しかった。 *****  いつの間にか眠っていたらしい。気がつくと朝日はとうに昇っていて、商店の周りに人だかりができていた。  なんの騒ぎだろうと二階の窓から顔を出すと、あいつだ! と指をさされて騒めきが大きくなる。ひゃっと首を引っ込めて窓を閉めた。 「な、何事?」  やっぱり昨日見かけたあいつで間違いなかった、あのパンダ獣人を引き渡せ! 俺が連れていく、いや私よ! と言い争う声が階下から聞こえた。  まさか白露が皇城から逃げ出したせいで、指名手配でもされているのだろうか。それとも、葉家の人達が白露を捕らえようとしている?  警吏らしき獣人までやってきたらしく、民衆を押しのけようと大声を張り上げている。  急いで下の階に降りると、固い顔つきの店主と出くわす。厄介事に巻き込まれたと怒られるのだろうか。  それとも無理矢理連れていかれるのかと身構えた白露だったが、店主は予想に反して顎をしゃくって、店先とは逆の方向に白露についてくるように促す。
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