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第6話
登山家の写真も撮るということで、六本木にあるスタジオでインタビューをすることになった。
室内は普通のリビングのように家具が置かれ、窓からの斜光が淡く差し込んでいる。
二人掛けのソファが向かい合って置いてあり、そこでインタビューをしながら撮影することにした。
相手が来る前に専属のカメラマンと早めにスタジオに入り、照明や家具の配置を細かくチェックした。
俺は質問内容を書いた書類をローテーブルの上に置き、その隣にボイスレコーダーも準備した。
約束の五分前に目的の人物が現れ、俺は最初に挨拶する言葉が吹っ飛んでしまった。それは相手も同じようで、困ったような表情を浮かべ二人向かいあって固まる。
微妙な空気に気付きもせず、カメラマンは自分の名刺を手渡すとさっそく撮影モードに入った。
「えっと、こちらにおかけください」
俺がソファに座るように促すと、橋倉は大きな身体を丸くさせ、腰を落ち着けた。
とりあえず知らん顔して進めていこうと名刺を差し出すと、橋倉も意図を汲んだのか名刺交換に応えてくれた。
その間にパシャパシャとフラッシュが瞬き、こんな場面は撮る必要ないのではないかとカメラマンを睨みつけたが、彼はファインダーを覗くのに忙しい。こちらのことなどまったく気にかけていない。
このカメラマンは失敗だなと捺印を押し、とりあえず仕事をこなそうと目の前の相手に向き直った。
「本日は弊社のためにお時間を割いて頂き、ありがとうございます」
「いえ……別に」
「ではさっそくですが、本題に入らせて頂きますね」
俺は書類をめくり、あらかじめ決められていた質問をした。一瞬間を置いてから橋倉は丁寧に答え仕事だと割り切ったのか饒舌になってくる。
時折変化球を投げながらも、以前居酒屋で話したときよりも言葉が滑らかだった。
仕事に対してやる気はないが、いい加減にやるつもりもない。
俺は与えられた仕事を淡々とこなした。それは橋倉も同じだろう、お互いこんな所で再会するなど思っていなかったはずだが、動揺している素振りは微塵もみせない。
一度寝ただけの相手。しかも男だ。妊娠しただの迫られる心配もないし、掘られたのは俺の方だ。だから橋倉としても深い念など、ましてや怒りなど持ち合わせていないはずだ。
そう高を括っていたら、橋倉の一言ですべてが砕けた。
「どうして勝手に帰ったんですか」
咄嗟に部屋を見回したがカメラマンの姿がない。置いてあった機材もないところからみると、さっさと帰ってしまったらしい。ということは、今この部屋に橋倉と二人きりだ。
「まだ仕事中だ」
「もう質問することないでしょ」
そう言われ書類に目を落とすと、確かに必要な質問は終わっていた。
「どうしてですか?」
大きな身体を前のめりに曲げ、俺の方へと寄ってくる。その声音は怒りが混ざったように鋭く尖り、俺の身体を突き刺す。
「お前熟睡してたし、起こすのも悪いなと思っただけだよ。あ、でもすげえ気持ちよかったぜ」
「そういうことを訊いているんじゃないです」
「じゃあ恋人でもないお前を起こしてどうしろと? ただ寝ただけの男に」
そう言うと橋倉は言葉に詰まり、唇が色を無くすほど引き結んだ。
まるで拗ねた子どもみたいだな、と内心で笑いながら書類を片付ける。まさかこんな面倒な奴だとは思わなかった。後腐れない相手を見つけることにアンテナを張り巡らせていたが、男相手に失敗してしまったらしい。
確かにセックスは気持ちよかった。あれから一人で思い出して抜いてしまうくらいに、味をしめたと言ってもいい。
帰るとき後ろ髪引かれる思いがあったのは事実だが、もう一度橋倉に会いたいとは思わなかった。
「ではお疲れさまでした。また質問に窺うことがあるかもしれませんが、よろしくお願いします」
仕事モードに切り替え帰り支度をしても、橋倉はむすっとしたまま動こうともしない。このまま置いていきたいのは山々だが、スタジオの鍵を管理人に返さなければいけないので橋倉が残っているのに閉める訳にはいかない。
わざとらしく肩を落とし、ソファに座った男を見下ろした。
「俺は面倒な奴は嫌いだ」
弾かれるように橋倉は顔をあげた。浅黒い肌が青白く映る。
「さっさと荷物まとめてくれ。次の仕事があるんだ。お前に構っている時間はない」
「……いつなら時間があるんですか?」
「そういう意味じゃない」
「碓氷さんの空いている時間に合わせます。もう一度会ってください」
「言葉の通じない奴だな。俺はもうお前に会いたくないんだよ」
「会ってください」
はっきりと耳に届く声に、俺は頭が痛くなった。
どうして俺に固執するんだ。一度寝たぐらいで恋人面でもしたいのか。
だったらあの日、こいつと寝ることになった俺自身の愚かさが腹立たしい。
頑なな橋倉にも、落ち度があった俺自身にも、怒りがふつふつと沸き上がり頭で湯が沸かせそうなほど煮だっていた。
いつもなら軽くあしらえるはずなのに、冷静さを欠いていた。橋倉の子どものように頑固な態度が俺の仮面を外させているのか、それすらも考える余裕がなかった。
「失礼します。退出時間を過ぎていますが、延長なさいますか?」
管理人と思われる若い男がスタジオに入ってきて、漸く周りの状況が飲み込めてきた。慌てて腕時計をみると退出時間を十分も過ぎていた。
「遅くなってすいません。もう出ますので」
「わかりました。こちらで部屋を閉めておきますので、鍵をお預かりします」
「本当に申し訳ございません」
管理人に頭を下げ、鍵を渡し橋倉の腕を引っ張ってスタジオを出た。
スタジオのあったビルを出て、駅へと向かう。平日の昼間でも人通りは多く、六本木ヒルズの前では小さな人だかりができていた。
それらを横目で通り過ぎると、後ろについてきていた男が声を張り上げた。
「連絡先を教えてください」
「……お前もしつこいな」
ここまで引き下がる相手は初めてだ。たいていの女は「もう会う気がない」「彼女面するな」と言えば、泣いて喚いてそれで終わる。
頑なな男を相手にすることが、段々と面倒になってきていた。このまま押し問答を続けていると、会社にまで付いてきそうな気配がある。
連絡先を教えるくらいならいいか、と自分の中で妥協案が出てき始めていた。
「メルアドだけでもいいので」
「あーもうわかったよ!」
名刺の裏に携帯のアドレスと番号を書いて橋倉に押しつけた。それを受け取ると、橋倉はくしゃりと笑い、右えくぼがくっきりと窪んだ。
「ありがとうございます」
「はいはい。じゃあな」
おざなりに手を振ってそのまま駅へと向かう。肩越しに振り返ると、橋倉は俺の名刺をうっとりとした様子で眺めていた。
「そんなに嬉しいのかよ」
たかだか連絡先を教えたくらいであんなに喜ぶなんて。こっちが連絡を返さない可能性すら念頭になさそうだ。
大人しくみせかけて頑固な男。こんな面倒な奴だとわかっていたら寝ることなどあり得なかったはずなのに。
ざわざわと胸が落ち着かなくなってくる。静かだった湖畔に風が吹いてさざ波が起きるように、俺の中に広がってくる。それが何なのかわからなかったが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
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