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第12話
週の始まりは自殺者が多い気持ちはわからなくもない。
ひっきりなしに電車がホームへ来て、出ていくのを繰り返しみていると、吸い寄せられるように足が黄色い線を跨ぐ。
「危ないですよ」
腕を引っ張られ、その感触が橋倉のものかと無意識に探ってしまう。
振り返ると顔に脂を浮かべた男が俺の顔を覗き込んでいた。
橋倉とは似ても似つかない容姿に肩が独りでに落ちる。
「すいません。ありがとうございます」
頭を下げ、俺は列の一番後ろに並んだ。
月曜日の通勤ラッシュほど、苦痛な時間はない。溢れんばかりの人がおしくらまんじゅうのようにごった返している。
どこか疲労感を漂わせている人波は、ドアが開くとところてんのように押し出され入っていく。急かすような音楽が止まると、最後の力を振り絞るように背中をぐいぐい押され、車内に詰め込まれる。
扉が閉まり電車が動き出すと、俺は無意識に視線を彷徨わせた。隅から隅まで確認し、はあと重たい溜息が漏れた。
ここにいるはずのない人物を探す癖がついてしまった。
これだけ人の数はいるのに、どうして橋倉はいないんだろう。どうして俺は橋倉じゃなきゃだめなんだろう、と堂々巡りを繰り返し肩を落とす毎日。
答えなんてみつかりっこなく、不毛な想いだけが積み重なっていく。
誰でもいい、他の奴と寝れば直るだろうか。この鬱憤をどこかに吐き出したくて仕方がないのに、橋倉以外と肌を重ねる想像すら俺を拒んだ。
「あーもう!見てらんないわ」
デスクに頭を乗せていると、頭上から綾の怒声が降り注ぐ。
「うるせえ、あっち行ってろ」
俺が力なく手のひらを振って「しっし」と言っても、綾は怯むどころか挑むように眦を吊り上げた。
「あんたちゃんと仕事しなさいよ」
「してるよ」
「お昼には仕上げて欲しいっていった原稿は?」
「……あと少しでできる」
「てんで使い物にならないわ」
綾はわざとらしく肩を竦めて、俺を見下ろした。その双眸は困ったように細められたが、すぐにいつもの鋭い光が戻る。
「しょうがないから、使い物にならない碓氷くんにプレゼント!」
はい、と手渡されたのはポストカードだった。
雪を覆い被った高い山はテレビでみたことのある有名な山だ。それを証明するように隅っこに「Mt.Everest 」と筆記体で記されていた。
海を渡り、長い時間旅をしたとわかるほどカードはくたびれていていた。
心臓が息を吹き返すように鼓動する。早鐘を打つ音が自分の鼓膜にもはっきりと届く。
ゆっくり裏をめくると、メッセージ欄の文字をみて俺は呼吸の仕方を忘れた。
「いつもの場所にいるってよ」
綾の言葉が引き金になり、俺は身体を起こして出口へと走った。会社を飛び出し、人波をすり抜けていく。
幸せそうなカップルも、子どもを連れた家族もぐんぐんと追い抜く。
革靴では走りづらくて、何度も転びそうになった。いっそ裸足になった方が走りやすい気がするが、靴を脱ぐ手間すら勿体ない。
いつも待ち合わせに使っていた駅に着き、漸く足の動きを止めた。
膝に手をつくと、額から玉になった汗が落ちていきアスファルトを色濃くさせた。
人がごった返し、それぞれが目的の場所へと一心に向かっていく。
その波に逆らい、俺は駅周辺を歩き回った。
「碓氷さん」
名前を呼ばれ引っ張られるように振り返った。
「……どうして」
そこに両手にたくさんの荷物を抱えた、会いたくて仕方がなかった人物が立っている。
「さっき帰ってきたんです。はがき届いたんですね」
握ったままのポストカードに目を向けて、橋倉は照れくさそうに笑った。
前よりも日に焼けて、頬は少し痩けていた。笑うと右のえくぼが前よりもくっきりと浮かぶ。
久しぶりの再会で嬉しいはずなのに、喉の奥が焼けるようにひりひりする。
「もう会わないって」
「そんなこと言ってません」
「ネパール行くって」
「仕事でエベレスト登ってきました。これお土産です」
ベージュのパッケージに「Everest coffee 」と書かれた袋を手渡され、反射的に受け取った。ずっしりとした重みに、コーヒーの匂いが仄かに香る。
「……どうして」
「はい?」
俺の声が聞こえないらしく、橋倉は一歩近づいた。俺の顔を覗き込むように上半身を折り、先を促す。
「いなくなったりしたんだよ」
「……俺は約束で縛ることができない男なんです」
「どういう意味?」
「待っててください、と言ったら俺が勝手に期待してしまいそうで怖かったんです」
橋倉は腕を伸ばし俺の頬を撫でようとしたが、寸前のところでぴたりと止まる。躊躇するように瞳は揺れ、ゆっくりと腕を下ろした。
「二次会で碓氷さんに一目惚れしました。だから無理矢理連絡先訊いて、繋がろうと必死でした。でも容姿とは違い性格はきついし、大雑把で色んな人と寝るしあり得ないと思ってたんですよ。それでも惹かれていって、勝手な気持ちであなたを縛っていたんじゃないかと思い始めましたここに来てくれたってことは期待してもいいんですか?」
「ばかやろう」
熱い科白に顔が火照ってくるのがわかる。こんな熱烈な告白は今までされたことはあっただろうか。
「もう訊きたいことはないですか?」
「……はがきに書いてあったこと」
「好きだ」
顔を上げると、橋倉は真剣な面持ちで俺を見下ろしている。
背けたくなるほど強い眼孔に、いつのまにか魅せられていた。内気な言動とは裏腹に、その鋭い光りに見つめられると心が乱される。
心臓がはちきれそうに痛い。橋倉に見つめられていると呼吸も上手くでず、嬉しいのに同じくらい逃げ出したくなる。
「趣味悪いな」
「難攻不落な山ほど登りたくなるんです」
橋倉はくしゃりと笑って俺の手を取り、弱々しく握り返した。
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