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第12話 闇の民

「ふんふ~ん」  勝手知ったる他人の家とばかりにすたすた歩き、ものの数分で家主の私室前に到着する。迷わず歩いても玄関から一分以上かかるのだ。その広さが伺える。  声をかけようとした時、下半分が雪見窓になっている障子戸がひとりでに開いた。 「おっと」  驚いて軽くのけ反ると、逞しい手が肩を支えてくれる。  横を見るとすごく嫌そうな表情をした竜、オキンが立っていた。彼が助けてくれたようだが、いつ間合いに入ったのかさっぱり分からない。甥っ子の成長に喜ぶ。 「ありがとう。優しいね、お前は」 「何をしに来たジジイ。帰れジジイ。今すぐ帰れジジイ。出来れば土の方に還れ」  ニケが聞けば卒倒しそうな声音だったが、聞いていないのかキミカゲは抱きしめようと腕を伸ばしてくる。 「よしよし。今日も元気そうだね」 「触れるな! 視界に入るな! 近寄るなぁ!」  魂の叫びを上げながら、キミカゲの両肩を掴んでハグを阻止する。  ボスの悲鳴に家にいた子分たちが何事かと顔を出すが、キミカゲの顔を見るなり「なんだ……」と興味を無くして部屋に引っ込んでいく。  キミカゲを(やんわり)押しのけ距離を取ると、オキンは身構える。 「何をしに来た。テンション上げておくから来る前に手紙の一つでも寄こせと再三……再三どころじゃないな。再百言っているだろうが! アポなし訪問しないと死ぬ呪いにでもかかっているのか! いい加減、成仏せい」 「まだ死んでないよ。今日はお願いがあってきたんだ」  白々しい言葉に、オキンは鼻を鳴らす。 「今日も、であろう? 仕事の斡旋から不審者の目撃情報と、こき使ってくれおる。ワシは口入屋ではないぞ。あと、ケツ蹴られた恨みも忘れていない」 「だって。頼りになるんだもん」  オキンは出口方向を指差す。 「出口は向こうだ」 「おや。今日は都合が悪いのかい?」 「帰れ。ワシは忙しい」 「お願いというのはね? ちょっと治安維持隊に行って、何人か護衛についてくれないか聞いてきてほしいんだ」  胡乱げに眉をひそめる。 「おい。話を聞いてやるとは……どういう意味だ?」 「話を聞いてくれる気になったのかい?」 「……」  護衛とは穏やかではない。何者かに狙われているのだろうか。……一体何をやらかしたのやら。  ため息をつきたい気持ちをこらえ、白衣の背を押す。 「……入れ」 「お邪魔します」  暗い室内。一歩足を踏み入れるなり感じる。ここだけ空気が重い。 「?」  日当たり最悪な我が家(くすりばこ)に比べ、ここはいつ来ても穏やかな日差しが差し込み、日中なら明かりがいらないほどである。  それなのに今日に限ってこの暗さは何なのか。  なにかがおかしい。  そんな、上手く言葉に出来ないような異変に、わずかに動揺を滲ませつつそれでも入室すると、障子戸のすぐ後ろに黒い塊が蹲っていた。  目を剥いて飛び上がる。 「わっ! びっくりした」 「……」  その影は両膝を抱えたまま、うんともすんとも言わない。顔も上げない。ただただ置物のようにじっとしている小さな影。手足は細く、ろくに飯を食えていない子どものようであった。  心臓が全力疾走しているが、小さな子がいたら放っておけないのがキミカゲである。 「どうしたの? お腹痛い?」  具合が悪いのかもしれないと、手を伸ばしかけたキミカゲをオキンが止める。 「触れるな。そやつは泥沼(どろぬま)族。伯父貴とて、ただではすまんぞ」 「!」  伸ばした手を庇うように引っ込める。  うずくまっている影は……のろのろと顔を上げた。  目もなければ鼻も口もない。ただヒトの形をした黒があるだけ。墨を塗りたくったマネキンのよう。時折、影の表面が水面に移った月のように揺れる。不安定でそこにいるのかいないのか、いまいち分かりづらい。  泥沼族。影の中に住み、名の通り影に生き物を引きずり込んで捕食する、海の民とも宙の民とも違う、闇の民。 「……」  冷や汗を流し、驚愕のあまり固まるキミカゲを見ていささか溜飲が下がったのか、オキンはなにやら嬉しそうに鼻を鳴らす。自身の部屋に入り燭台に手を近づけ指を鳴らすと火打石のような爪同士がぶつかり、蝋燭に火が灯る。重い空気がわずかに軽くなった気がした。 「数日前にふらりとやってきてな……。配下に加えたのだ。配下に闇の民はいなかったし、闇の世界の情報も欲しかったしな。今は戸の開け閉めを任せている」  最初は雑用から、なのはどこも同じだ。  キミカゲはしゃがんだまま頷く。 「なるほど。私の接近に気づき、戸を開けたのはこの子だったのか」  警戒して神経を研ぎ澄ませている間ならともかく。日常の最中で、足音も気配もにおいもしないキミカゲの接近に気づけるものなど、影に潜み影を感知できるこの種族くらいなものだろう。さすがにキミカゲでも影を消すことは出来ない。……全身から光を発する服でも身につけていれば別だが。  正体を知ってもなお構いたいのか、懲りずににこにこと声をかけ続けている。 「初めまして。私はこの子の母の身内でね? キミカゲというんだ。よろしくね? オキンは優しくしてくれているかい? ご飯は? しっかり食べてる?」 『………』  ガン無視されている伯父にため息をつく。このままでは長くなると感じ、首根っこを掴むと布団の上に放り投げた。 「うわっ」  敷きっぱなしだったやわらかな布団に、キミカゲの身体がぼふんと沈む。痛みはなかったが驚いて上体を起こすと、オキンは葉巻に手を伸ばしていた。  先端を蝋燭の火につけ、大きく息を吸う。 「それで? 要件は?」  ふうっと精神疲労と共に紫煙を吐き出し、煙を追うように顔を上げる。  さっさと話しを聞いてさっさと追い出した方が賢明だと気づいたのか、投げやりな態度であった。  キミカゲはもっふもふの布団から這い出すと、オキンが銜えている葉巻をひったくった。 「子どもの前でお前……っ」 「言っておくが!」  怒るキミカゲの言葉をあきれ顔で遮る。 「そこな泥沼は実体ではない」 「え? そ、そうなの。ごめんよ」  キミカゲは葉巻を甥っ子の唇に戻すと、何事もなかったかのように畳で胡坐をかいた。

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