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第21話 砂浜

 砂浜に興奮したのだろう。いまにも駆け出さんばかりだったニケがピタリと足を止め、若干心配そうな声音で振り返る。せっかくニケが楽しそうだったのに俺ってやつは、と情けなさで反射的に首を振ってしまう。  ほかほかしてあったかいだけで、歩けないというわけではない。 「あ、ううん。大丈夫」 「「「……」」」  ミナミ除く全員から疑いの視線が突き刺さり、フリーは思いっきり冷や汗を浮かべた。ぶんぶんと両手を振る。 「ほ、本当に! 辛くなったら言うから。そういう約束だし!」  ニケの黒耳がひくひくと動く。嘘ではないことは分かってくれたらしい。  リーンは呆れたように腕を組む。 「ったくよー。これはお前の気分転換&小銭稼ぎ旅でもあるんだからな。お前が楽しめないと意味ないんだぞ?」  そうなのだ。ただ海に遊びに来たわけではない。いや、それが一番の理由なのだが、それだけではない。 「わかってますよー」  喋りながら歩けば見えてくる。水平線。  それに気づいたフリーの足が、止まる。  土色の砂浜と空。それらを飲み込まんばかりに、どこまでも広がる青い海。  フリーは自分がどこにいるのかも忘れた顔で、呆然と立ちつくした。  大きい……。  思えば、ニケと凍光山の川で食事したときも、川の大きさに面食らったものだ。こんな大きな水溜まりは初めて見た、と。こんな大きな水溜まりは他にないだろう、と。  それがどうだ? あの川が見えなくなるくらいに巨大で、終わりのないほどに大きい、水溜まり。  押しては返す波の音。海辺で遊んでいるたくさんのヒトの声。賑わいでいるのにどこか静かに感じるのは、広すぎるせいだろうか。波の音が、ヒトの声も風の音も攫って行ってしまう。  ――なんて、きれいなんだろう。  空の青に海の青。似ているのに交わらず、果てしなく続く。 「「……」」  フリーの反応に、ニケとリーンは顔を見合わせニッと笑う。おっと忘れてたと言いたげにジャンプして、リーンはフリーの頭に持参していた麦わら帽子を被せた。 「!」 「ほら、行こうぜ」 「海だぞ、海。僕も数えるほどしか来たことないんだ。突っ立っているのは勿体ない」  フリーの手を掴むと、ニケとリーンは駆け出す。 「おわっ!」  急に引っ張られ転びかけるも、フリーの瞳は海に負けじと輝いていた。  元気よく走って行く子どもたちの背を、保護者のような笑みでホクトが見つめる。 「……元気なこって。で、ミナミ、お前はどうすりゃいいんだ?」 「海に捨てといてくれ。そのうち、復活するから……」  しなびた声でミナミは言う。ミナミ的には冗談のつもりだったのだが、ホクトは真に受けた。相方がこういうやつだと分かっていたのに、いまのミナミは頭が働いていなかった。  ――そうか。海水に浸かると回復するのか。  こんな風に解釈したホクトは相方の首根っこを掴み駆け出すと、二~三歩で子どもたちを追い越す。 「え?」 「ホクトさん?」  針の穴に糸を通すように、するすると人ごみをかき分け波打ち際に到着。足首まで海水に浸かった所で、ミナミを槍投げの要領でぶん投げた。 「「「?」」」  ホクトの奇行に、フリーたちは揃って口を開ける。  流星の様に空を飛んでいたミナミの身体はやがて重力に従い着水する。だが勢いは消えず、海面を大きく跳ねると錐もみして飛んでいき……やがてちゃぽんと見えなくなった。 「「「……」」」  静寂の静霊が泳ぎながら横切って行く。  夏の海。少々羽目を外して遊んでいた周囲のヒトが静まり返っている。じりじりとフリーたちから距離を取ると一斉に走り去っていった。蜘蛛の子を散らすようにとは、まさにこの事だろう。  ――やばいヒト認定された……。  フリーたちも他人のふりをしたかったが、残念ながらあの黒羽織、見知らぬ他人ではないではないか。  よろよろとした足取りで、ホクトに近寄る。 「あ、あの。なんで相方さんを海に投棄したんですか?」  声が震えているのは仕方がない。  フリーの方を向くと、ホクトは毛ほども心を揺らさない声で答えた。 「なんでって……。海の民は海水に浸けると回復するんっすよね? だから実行したんすよ。船(?)酔いで辛そうだったじゃないっすか」  ――いや、海水に浸かれば傷が治ったり回復したりするなんて話、聞いたことないんですけど。  レナからそんな話は聞いたことないし。それよりどうしてくれるんだこの空気。空気読めない男(フリー)は周囲の目を気にしていなかったが、いたたまれなくなったニケたちはホクトの背を押してそそくさとその場を退散した。 「なにしてくれてんだオイ! フリーはまだ一歩も海に入ってないってのになんで海から退散させてくれてんだアァ?」  さすがに語気を荒げるリーンに、ホクトはぺこぺこと謝罪する。 「いやホント申し訳ないっす……」  また通報されてはかなわないので、浜辺の隅にある古びた小屋の影に退避してきた。大きな見たこともない木が数本自生しており、人目から逃れるのにちょうど良い。  ミナミを回収している暇はなかったがそのうち戻ってくるだろう。 「静かに海面に落とせばいいだけだろ! あんな剛速で投げる必要はどこ? あんた常識人じゃなかったんか?」 「先輩……。もうそのへんで」  自分のために怒ってくれているというのは嬉しかったが、耳まで垂らしているホクトが気の毒になってきた。  ホクトはもう一度頭を下げる。 「あっしも海でテンション上がっていたみたいで……。ミナミを海に捨てれると思ったら力入っちゃったっす」 「え? そんな常日頃から相方を捨てたいと思っていたんですか?」 「まあ……。海に捨てたんだし、そのまま野生に帰れとは思ったっす」  否定してほしかった。  愕然とするフリーの後ろ、ニケは頭痛そうな顔で海岸を振り返る。幸い、徐々に海は賑わいを取り戻している。  もう少し時間を潰せば、この様子なら、すぐにさっきの出来事など忘れるだろう。波が嫌な記憶を流してくれるはずだ。多分。 「ったく。無駄にいらん汗かいたわ」  リーンは上着を脱いで、砂でも払うようにばさばさと上下に振る。そして舌打ちをひとつ。  汗をかいたせいか、裾や襟元といった肌に触れる部分からじわじわと星模様が滲んできてしまっている。忌々しそうにそれ睨むリーンに、フリーは顔をぐっと近づけた。 「おお。無地の衣だったのに。きれいですね」 「ほぎゃっ」  船に乗る前の記憶が蘇ったのか、リーンは大げさにのけ反る。 「先輩?」  バグった時の記憶はあまり鮮明ではないようで、フリーはこてんと首を傾げている。 「先輩? じゃねーよ! 急に視界と間合いに入るな! ……はあ」  ぐわっと牙を剥いて言い返すも、力なく肩を落とす。なんだかこいつといると、悩んでいるのが馬鹿らしく思えてくる。どうせ俺がどれだけこの星空着物を嫌いと訴えても、こいつは何も考えていない顔で全肯定してくる気がするのだ。まだそんなに付き合いが長いわけではないが、喧嘩っ早い自分と違いフリーは誰かを否定したりしない。そう思うと、少しだけささくれだった気持ちが和らぐ。

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