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第30話 帰ってきました

 フリーとリーンはごくりと唾を呑んで目を輝かせる。 「う、美味そう……」 「ニケのほっぺ並みに美味しそうですね!」 「すまん。離れてくれ」  恐怖を感じ、真顔になる。ぐいぐいと腕を引いて白い手をはがそうとするが、なぜか取れない。 「冗談ですよ。ニケのほっぺに並ぶものなんてないし」 「離れてくれ。十メートルくらい」 「どう頑張っても船から落ちるんですが?」  洗濯屋コンビの会話を無視して、小さな手がひょいと焼き天を確保すると引っ込んでいく。もぐもぐと咀嚼音だけが聞こえる。  行きの時と全く同じ食事風景に、リーンは苦笑を隠し切れない。 「ニケさん。怖いもの苦手っぽいのに、フリーのことは平気なんだな」 「どういうこと? あ、先輩は怖いものとか、あるんですか?」 「怒ったドールさんかな」 「……」  リーンはマッグロの焼き天を選び、フリーはイカの天ぷらにした。  ホクト達も食べ始め、しばし沈黙が広がる。その間も船はぐんぐん上昇し、良い眺めになっていく。当然だが、上に行くにつれ風が強くなる。  ばさばさと羽織がはためく。片手で飛んでいかないように押さえているので、ミナミは随分食べづらそうだ。  フリーは飲み物を口にし、指についた米粒を行儀悪く舐め取る。 「ミナミさん」 「はい?」 「焼き天、食べさせてあげましょうか? あーんってしましょうか?」  ガタッとミナミが腰を浮かした。みるみる顔色を悪くし、殺人鬼を同じ空間に閉じ込められた一般人のような表情で船の端まで走る。  ホクトが「走るな。揺れる」と怒るも耳に届いていない様子。はぁはぁと息を荒くし、一歩でも近づけば飛び降りるとでも言うように、船の縁に足をかけている。  フリーとしては善意からの申し出だったのだが。  全身で拒絶され、下唇を噛んで落ち込んだ。 「んぐうぅ……。なんかミナミさんと距離がある気がする。なんでだろう」  くすりばこでのハグ攻撃のせいだとは微塵も考えないフリーには、理由がさっぱり分からなかった。隣でリーンが「マジかよ……」と小声でつぶやいた気がする。  まあ、先輩として後輩を慰めておいてやろう。今日だけだぞ。 「元気出せって。俺様でも同じ反応するって」  「な?」と言いつつ、肩をぽんと叩く。  慰めるつもりで言ったのだろうが、リーンの一言は見事にフリーの胸を貫いた。 ♦ 「ううっ。寂しかった。帰ってきてくれて嬉しいよ」  白衣のおじいちゃんは涙ながらにそう言うと、ニケを抱きしめる。 「……そ、そうですね」  目上のお方だし居候させてもらっているし借金までしているので相槌を打つが、正直ニケは困っていた。  ――青真珠村から帰ってきて、もう一週間は経つんだけどな……。  よほど寂しかったのか、キミカゲは寝る前になるとこの台詞を言いながら抱き着いてくる。最初はニケも素直に喜んで受け入れていたのだが、さすがに七夜連続になってくると「おじいちゃん、ボケてんのかな」という心配が先に立って不安になってしまう。 (というか、眠いんですが……)  相変わらずなんのにおいもしない白衣に包まれ、うとうとと船を漕ぐ。  お土産もだが、ニケたちが無事に帰ってきたことをなによりも喜んでくれていた。それはいい。問題は旅の疲れを癒そうと部屋で休もうとしたときだ。  おじいちゃんに歓迎されくすりばこに入ると……ピシッと音を立ててニケたちは固まった。  ここだけ台風でも来たのかと思うほど、家の中はぐちゃぐちゃに荒れ果てていたのだ。そうだった。このヒト片付けが出来ないのである。さらに近所のヒトの話では、ろくにご飯も食べていなかったという。惨状を見たホクトが「空き巣っすか?」と通報しかけていたのを覚えている。  これは目眩がした。  旅の疲れを癒すどころではない。頭痛を堪えながらニケたちはせっせとお掃除を始めたのだ。このままでは布団を敷く場所もない。  見かねたリーンも手伝ってくれて申し訳なさで言葉がなかった。本当に、ニケ(片付けが出来て料理を作れるヒト)がいないときはどうやって生活していたのやら。  掃除が終わるころには夜半も過ぎており、ホクトは報告のために一度、ふらふらになって帰って行った。護衛のために一人は残らなければならない。ミナミが残ってくれたのだが、畳の上でうつぶせになったまま朝まで動かなかった。  ――翌朝、さすがに全員で説教したが、翁はなんか嬉しそうだったなぁ。  思い出せたのはそこまでで、瞼と共に眠りに落ちた。 「あれ? ニケ君?」  満足したキミカゲがニケを下ろそうと顔を見ると、幼子はすやすやと寝息を立てていた。起こさないよう慎重に寝かし、薄い布団を被せる。 「キミカゲさんてば寂しがり屋さん、なんですねー」  のしっと背中に重みが加わる。首だけで振り返るとフリーがおじいちゃんの背中にもたれかかって肩に顎を乗せてきた。体重をかけないようにしてくれているようで、キミカゲがぺしゃんこになることはない。  息子を見るような目で、白髪を撫でる。フリーは心地よさそうに目を細めた。毛並みの良い猫のようだ。  往復で二日空を飛び、半日海で遊んできたとは思えないほど、フリーの肌は日に焼けていなかった。渡した日焼け止めをしっかり塗ったのだろう。感心感心。少し肌が赤くなっていただけで、それももうとっくにおさまっている。 「べべべ、別に寂しがり屋じゃあ、ないよ?」  図星を言い当てられ、おじいちゃんの目が泳ぐ。フリーは特に追求せず、はいはいと流しておく。気安さのようなものが、出てきたように思う。キミカゲはジーンと感動を噛みしめた。  ――なんだか、フリー君が甘えてくれるようになった。  甘えているというよりかは「慣れ」てきただけのようにも思うが、キミカゲにとっては嬉しいことなのだ。なにせモフモフがないせいで、あまり構ってくれないから寂しかったのである。  欲を言えば抱きついてきてほしいが、フリーはあくびを噛み殺しながら身体を離してしまう。 「おや。フリー君ももうねんねかい?」  幼児に言うようなセリフがつい口から出てしまった。これがオキンならしばらくは口を効いてくれなくなるが、フリーは気にした様子もなく布団に寝転がる。 「いえまだ眠くないですけど。あの、キミカゲさん」 「ん?」 「……」  何も言わない。ただ金緑の目が見つめてくるだけ。 「えっと、フリー君?」 「…………」  あれ? 話しかけられたように思うのだけれど、幻聴だったかな? 年、かな? それともあれかな? さすがに七日連続で抱きつくのは駄目だっただろうか。たった二日ちょいとはいえ、寂しかったんだもん。 (お、怒っちゃったかな?)  とりあえず何か言ってほしい。オキンが怒っても怖くもなんとない(そもそも怒っていると認識できたことが少ない)が、普段ふんわりしている子に真顔で見つめられるとこう、背筋が伸びてしまう。  内心冷や汗を流しまくっていると、フリーはやっと口を開いた。

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