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第31話 黄色が似合う女の子

「そうそう。オボンって知ってますか?」 「え?」 「オボン、です。なんだか最近よく街の人が「もうすぐオボンね」って話しているのを聞くので。先輩に呆れられる前に調べておこうと思って。キミカゲさんなら知っているかなーと」  がくっとキミカゲは前のめりに倒れかけた。  あの沈黙は、「オボン」という単語を思い出そうとしていただけだったようだ。  苦笑を浮かべ、顎を指で掻く。 「えっと。オボン……。お盆のことだねきっと」 「あの、物を運ぶときに乗せる板、みたいなやつですか?」 「それは盆(トレイ)のことだから違うね。うん。お盆ってのは行事の一つだよ」 「へえ。どんなことをするんですか?」  改めて聞かれると。何と答えたものやら。  キミカゲは難しそうな顔で腕を組む。 「地域によって違うから一概に「こういうもの」とは言えないけれど、まあ、先祖の霊を祀る行事かな」  ぽかんとするフリーに、キミカゲは追加で説明をする。 「夏の終わりに先祖の霊が帰ってくるから、お出迎えしてあげるんだよ」 「あ」  むくっと、何かお思い出したようにフリーが起き上がった。 「聞いたことあります」 「そうかい。それなら」  一緒に準備しようか、と言いかけたキミカゲの笑顔が凍りつく。 「お前を産んだ薄汚い売女が帰ってくるから、相手してやれよ、的なことを言われたことがあるんで」  キミカゲはフリーが何を言ったのか、一分ほど理解できなかった。 (え? え? な、なん?)  なんだか酷く汚い言葉を聞いた気がする。治安のよい紅葉街にきてからはめっきり聞かなくなった卑語だ。気の強い患者さんや気の荒い身内はいるが、それでもここまで痛烈な言葉遣いをする者に出会った覚えは無い。  がくがく震えていると、フリーは感心した風に顎に指をかける。 「あれがお盆、でしたか。帰ってくるって、死んだ人が帰ってくるはずないのに、なにを言っているのかなとは思っていたんですよ」  痛い。いたたたたた。  朗らかに言う彼の笑顔に、胸の痛みがおさまらない。  母を罵倒されて平然としているのは、それだけ母との思い出がない、ということではないか。勝手な想像だが、胸に針を刺されたような痛みに背を丸くする。 「キミカゲさん?」  不思議そうにフリーが背を摩ってくる。  母を罵倒されようものなら、街ごと相手を消してしまう甥っ子がいるせいか、平然としているフリーの様子が酷く悲しかった。  キミカゲは両手でフリーの頬を挟む。 「フリー君。そういうことを言われたら、怒っていいんだよ? むしろ怒らなきゃ駄目だ」  フリーはぱちぱちと目を瞬かせる。 「怒るようなことなんですか?」 「そうだよ! で、誰に言われたの? そのヒトの特徴と名前を書いておきなさい」  ぷんぷん怒りながら紙片を渡す。  こういう時の行動が甥っ子と完膚なきまでに一致していたが、キミカゲに自覚はなかった。  フリーは珍しそうに紙の表裏を眺める。 「いいですよ。そのヒトたち、雪崩で消えましたから。生きていたとしても多分会うこともないでしょうし」 「あ、紅葉街で言われたわけじゃ、ないんだね?」 「はい。ここの方たちは気取っているけど上品と言いますか。活気はありますけど慎みをもっているという感じなので。暮らす場所によって、ヒトの質ってこんなにも違うんですね」  影都と呼ばれるほど都人の真似をしているせいもあり、わざわざ野蛮な言葉遣いをする者は少ない。  はぁとため息を吐く。この際なので訊ねておこう。 「フリー君。あの、フリー君の御両親は……?」 「顔も知りません」  そんな気はした。 「身内は? 他に兄弟とか」 「身内って家族のことですか? ニケです」  自分の名前が入っていないことに少なからずショックを受けたが、今は置いておこう。 「そ、そうかい……。ニケ君と仲が良いのはお互い天涯孤独の身のうえ同士、惹かれ合ったからかもしれないね」  暑いのか布団を蹴っ飛ばすニケの上に、キミカゲは苦笑しつつ布団をかけなおしてやる。 「正直、不安だったんだ。凍光山という危険地帯にニケ君ひとりで住んでいることが。アビーがいたときは良かったよ。あの子はレナ君にも劣らない狩人だったし、その息子も嫁も。まさに狩人一家だったから。……アビーとその息子が亡くなってからは、何度か一緒に暮らさないかって、手紙を送ったんだけどね……」 「てんがい……なんですか?」  キミカゲはぱっと顔を上げる。 「ああ、ごめん。身内が一人もいないって意味だよ」 「ふぅん……。え?」  おかしい。いま何かおかしい言葉を聞いた気がする。  耳の不調かもしれないので、フリーは耳に手を添えてキミカゲににじり寄る。 「身内が一人もいない、と言いましたか?」 「ん? うん」 「あの、ニケってたしか」  お姉さんがいたはずでは?  会ったことはないが部屋を見た感じやニケの話からして、黄色が好きな女性が。  それを伝えると、キミカゲはキョトンと首を傾げた。 「ん? お姉さんって……ナターリア君のことかい?」 「お姉さんと二人暮らしなんですよね? ニケって」  キミカゲの表情が曇る。 「どういう意味だい? 彼女はアビーや両親と同じ墓の下で眠っているよ」 「は?」  フリーの目と口が大きく開かれる。間の抜けた声が出てしまった。  ちょ、ちょっと待ってほしい、とわたわたと手を動かす。 「え? でもニケはお姉さんがいるって……。今はちょっと出かけているけど、そのうち帰ってくる、的な? そんな感じのことを言っていましたけど。お姉さんの部屋だって、きれいにそのまま残ってましたし」  話を聞くにつれ、キミカゲの表情がどんどん曇っていく。怒っているわけではない。困惑と悲しさが入り混じったものだ。  キミカゲの目が、ちらっとニケを見る。食べ物の夢でも見ているのか、ニケはちゅうちゅうと掴んだ布団をしゃぶっていた。 「「……」」  あまりの可愛さに、ふたりはしばし黙って見つめる。  先に目を離したのはおじいちゃんだった。 「受け入れていない……というよりかは、受け入れられなかったのかもね。ニケ君は家族を立て続けに喪ってしまったし。ナターリア君は母親代わりだったこともあり、ニケ君は随分懐いていたから。姉弟というか、母子みたいに仲良しだったよ」  最愛の姉の死。一人ぼっちになったという事実。  たった八歳の子が、それらを受け入れられなくとも無理はない。姉はまだ生きていて、もうすぐ帰ってくると自分に言い聞かせ、思い込ませたのだ。心が壊れないように。 「……」  フリーはほんの少しだけ過ごしたニケの宿を思い出す。  埃ひとつなかった姉の部屋。ニケを見るレナや衣兎(ころもうさぎ)族たちの眼差し。黄色い花に黄色い屋根。時折ニケから感じる寂しさ。  溢れかえる思い出の中に、姉本人だけがいない空虚な空間。  あの場所で感じた違和感の正体が、やっとはっきりした。 「お姉さん、亡くなっておられたんですね」  「うん」と、そう言ったはずなのに、声が霞んでほとんど音にならなかった。キミカゲにとっても、ナターリアの死は悲しいことだったのだから。  大切な親友の忘れ形見。成長が楽しみだった。彼女は母代わりをしなくてはならなかったため大人びていたが、その実は恋すらも知らない女の子だった。  キミカゲは申し訳なさそうに、サイドの髪を耳にかける。 「ま、勝手に喋っちゃったけど、聞かなかったことにして今まで通り、ニケ君と接してあげてほしいな。君の存在でニケ君は心の均衡を保っている気がするから。居なくなっちゃあ、駄目だよ?」  つん、と鼻先を指でつつかれる。 「その台詞、ニケにも言われましたよ」  鼻を押さえながら困ったように笑う。人生でこれほど必要とされたことがあっただろうか。

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