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第32話 帰省するよ

 キミカゲはその返事に満足そうに頷くと、そっとフリーを抱きしめた。 「キミカゲさん?」 「フリー君も、辛い目にあってきた人特有の目をしているよ。ニケ君と同じ。何があったのかは聞かないけど、泣きたくなったら泣いていいし、我が儘だって言っていいんだよ? 私はずっとここにいるから」 「……」  フリーの目が戸惑うように宙を眺める。 「辛い目に、合ったんでしょうかね? 俺」 「さあ。それは君にしか分からないな。でも君の味方がちゃんといることを、覚えていてほしい」 「……はあ。そうですか」  フリーはそっとおじいちゃんの背中を撫でる。肉があまりなく、背骨の感触が手に伝わる。  こういう時になんと返せばいいのか分からず、口をもごもごさせることしか出来なくて。  結果、フリーの口から出たのは他愛もないことだった。 「キミカゲさんて、やたら俺たちに甘いですよね? 砂糖水にはちみつを加えたくらい激甘ですよね。なんでですか? ニケはともかく、俺は赤の他人でしょう?」  まだくっついているのためキミカゲの表情は見えない。退屈なので、白緑色の髪を触って遊ぶ。思っていたより髪は細く、蜘蛛の糸のように面白く指に絡まった。  その髪を結んでいるのは、ニケがお土産に買った髪飾りだ。小粒の黄色い欠片が揺れる。  棚の上にはフリーが選んだ、真珠を抱いた木彫りの置物があった。散らかった薬草や木の実に埋もれるように飾られている。 「ニケ君さえよければ、養子に迎える気満々だったんだよ、私は。アビー……ってのはニケ君の祖父のことね? 彼に「もしもの時は養子にしても構わないぞ。貴殿ならぎり許せる」って何故か上から目線で、以前から許可をもらったし」  白い肩に顔を埋めたまま、キミカゲはムスッと目を細める。 「だからニケ君に手紙送ったけど、返ってくるのはいつも「結構です」ってそっけない内容だったから。その、いまは、一緒に暮らせて嬉しいんだ……」  だからつい甘くしてしまう。 「フリー君のことはニケ君の付属品くらいにしか思ってなかったけど」 「ふぁ?」 「思いのほかいい子だし。健気だし。空っぽだし。構いたくなるって言うかなんというか……まとめて扶養したくなったというか」  全体的にごにょごにょして聞き取りづらかったが、キミカゲが思ったより心を砕いてくれているのは伝わった。 「供養って、誰か死にました?」 「扶養、だよ。ふ・よ・う! 自身の稼ぎで生計を立てられない家族や親族に対して、経済的な援助を行うことだよサックリ言えば」  ニケとキミカゲは親族でもなんでもないが、親友の孫なんだから、身内みたいなものだから間違ってはいない。とキミカゲは思っている。 「そうですか」  そこで、玄関の戸がガラッと開いた。 「ちっすちっす。定時連絡から帰ってきまうわあああ」 「お、落ち着けっ。こういうときは見なかったふりをしてすぐさま回れ右をするんだ」  軽薄な口調と0・75倍速。  ミナミとホクトの声である。玄関にそろって目を向ければ、なにか勘違いしたらしい青年ズがそそくさと出て行くところだった。  キミカゲが手を叩くと、ふたりはどきりと肩を揺らす。 「どうしたんだい。ふたりとも。あ、風を入れたいから玄関の戸は少し開けておいてね」  ホクトとミナミは顔を見合わせると、そろそろと戻ってきた。 「すんません……。なんかいい雰囲気だったんで邪魔したらダメなのかと」 「キミカゲ様。家族ができたせいかハグ欲が爆発してるっすね」  家族……。ホクトは何気なしに言ったのだろうが、キミカゲは嬉しくなった。その言葉を大事に胸に仕舞う。  ホクトは近くに座り、ミナミは少し距離を開けて座す。ミナミとの距離が縮まらないな、と思いながらフリーはキミカゲを引き剥がす。 「……」  キミカゲは名残惜しそうな顔を見せたが、すぐにミナミが差し出した座布団の上にあぐらをかく。 「オキンの様子はどうだったかな? 元気かい?」 「それも毎回訊きますね……。ボスは元気ですよー。あ、ボスから言伝を預かってます」 「え? なになに?」  目を輝かせたおじいちゃんがぐっと身を乗り出す。  ミナミはゴホンと咳払いした。 「えーっと『今年は残暑がきつそうだから、きちんと飯を食えジジイ。それと盆に一度母上の元へ帰省するから、盆が終わるまでは訪ねてくるな、というか伯父貴も一度くらい実家に顔を見せたらどうだ? 母上が寂しそうにしていたぞ。ジジイの分際で母上を悲しませるなど言語道断! 今年も帰らないというのなら箱詰めにして強制郵送してくれるああああ』……ここでボスが荒れだしたので逃げてきました。以上です」 「……」  キミカゲはゆっくりミナミから目を離した。  フリーは興味津々と言った顔で覗き込んでくる。 「キミカゲさん。家族と離れて暮らしているんですね?」 「ま、まあね。あんまり実家には帰っていないかな」  気まずそうにフリーからも目を逸らす彼に首を傾げる。 「家族と仲が悪い、んですか?」  キミカゲはふるふると首を横に振る。 「妹とは良好だよ。……遠いから、いちいち戻るの面倒くさいんだもん」  誰に言うでもなく、拗ねたように言い訳を並べる。  フリーは首を傾げたまま腕を組む。 「キミカゲさん。俺たちがほんの数日海に行っていただけで寂しかったんでしょう? なら、妹……がどういったものかは知りませんが、妹さんも寂しい思いをしているんじゃないんですか? 寂しい思いをさせていいんですか? 家族ってよく知りませんけど、そんな寂しい思いをさせていいもの、なんですか? 家族って大事にしなくても、いいんですか?」  責めているわけではない。家族がいなかったゆえの純粋な疑問。フリーは「分からないことは聞く」。それをいつものように実行し訊ねただけ。  それだけなのだが―― 「うっ! ぐっ!」  言葉の一つ一つが結構な威力でぶつかり、彼は胸元を押さえながら唇をかみしめる。  ホクトとミナミは「見ていられない」とばかりに顔を両手で覆った。  キミカゲはがっくりと項垂れる。 「わ、わかったよ。オキンが帰るのに便乗させてもらって、一度帰るよ……」 「そうですか?」 ((よっしゃ!))  ホクトとミナミは、内心で揃ってガッツポーズをした。ボスのイライラがおさまれば、それだけ子分たちのストレスも減るのだ。キミカゲをどう説得しようか悩んでいたところに思わぬ援軍。  機嫌のよくなったミナミはずずっと尻を滑らせ、空けていた距離を詰めた。 「では、出発の日はまた連絡しますので、準備をしておいてくださいね~」  フリーは咀嚼し始めたニケの口から、そっと布団を引っ張る。 「今度は俺たちが残る番ですね。気をつけて行ってきてください」  キミカゲは「え?」と顔を上げた。 「一緒に行かないの?」 「「「え?」」」  今度はフリー、ホクト、ミナミが目をぱちくりさせる。  キミカゲは全く同じトーンで繰り返す。 「一緒に行かないの?」 「? 俺たちがついてって、いいものなんですか?」 「いいよ?」 「……」  フリーはホクト達に目を向ける。 「いいんですか? オキンさんに許可とか、取らなくて」  ホクトは悩むように頬を掻く。 「うう~ん。まあ、二人くらい増えても、構わないんじゃないっすかね? どうせ毎年大量のお土産を持って行くんすから。荷物が二人増えたところでなんも言わないと思うっすよ?」  完璧に荷物扱いされているが、キミカゲの実家には少し興味があった。 「へえ~。キミカゲさんの故郷って、どんなところですか?」  キミカゲはつまらなさそうな顔で爪をいじる。 「退屈なところさ」  とんでもない、とホクトは頭を振る。 「すごいっすよ! 桃源郷といっても過言じゃないっす。一度ボスについてったことがあるっすけど、帰りたくなくなったっす」  こぶしを握り締めたホクトの目が輝いている。  ミナミも一緒に行ったようだが、彼は冷めていた。 「あー。桃源郷って言うから桃がたくさんあると思ってルンルン気分で行ったら、一個もなかったあの土地ですか」 「ミナミ君は桃が食べたかったのかい……?」

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