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第33話 お墓参りに行きたい
それはすまなかったね、と笑うキミカゲを見て、ホクトはため息をつきながら相方の頭をぺんっと叩いた。暗くて分かりづらいが、今日のミナミの髪は若干青みがかっている黒だ。昼間にその理由を訊ねたら「いつも同じ色だと飽きる」と、ミナミらしい答えが返ってきた。
頭に巻いている貝殻柄の布の位置を調節し、ミナミはフリーに指差した。
「そこの! 幼子のほっぺをつつきまくっている人」
「フリーです」
「アンタの故郷はどんなところなんですか?」
話の流れで聞いただけなのだろうが、キミカゲは話を逸らすべきか迷った。しかしフリーは隣のおじいちゃんの心情など知る由もなく少し考え込む。
(雪崩村の名前なんぞ知らないぞ)
十八年近くいた村の名前も知らないとか、自分でどうかと思う。
故郷は? と聞かれたらニケの宿ですと返したいが、今訊かれているのはそういうことではないのだろうな。
「凍光山(とうこうざん)です」
「「うわ」」
露骨に引かれた。
「そんなに変ですか?」
「凍光山つったら魔境ですよ? もちろん危険地帯の、標高二百メートルよりは下の土地で暮らしていたんですよね?」
畳を指差すミナミに、こくんと頷く。
「はい。ちょうど二百ぎりぎりのところで住んでいました」
「うっわ」
「引かないでくださいよ。さっきから」
「引きますよ? フリーさん。アンタ平然と言っていますが、魔物の生息地なんですよ? 分かっています? 分かっていますよね?」
目を瞬かせ、フリーは顎に指をかける。
――あれ? おかしいことなのだろうか?
ニケも凍光山暮らしだし、衣兎(ころもうさぎ)族も普通に住んでおられるから、あの山で暮らしていることは普通なのかと思っていたのだが。
ホクトとミナミの反応を窺うと「ないわー」と言いたげな目で見てくる。
「俺はそこで魔物を狩って生きていました」
ホクト達は顔を見合わせる。
そして、力なく笑った。
「フリーさんもそういう冗談言うんですね」
「なんか意外っす」
「ええっ?」
フリーは愕然とした。全然信じてもらえていない。バッとキミカゲに首を向け、ゆさゆさと肩を揺さぶる。
「落ち着いて、フリー君。二人の反応は無理ないよ……」
魔物を倒せるなら、護衛など必要ない。
それに魔物以前に暑さでノックダウンしているのだ。普段のフリーを見ている者ほど、信じられない言葉だろう。
雪崩村で魔物を狩ってきた人生。それを否定された気になり、フリーはたいそう落ち込んだ。無言でニケの隣の布団に頭から潜り込む。
「もう寝る」
「ああ、フリー君。よしよし」
いじけた息子を励ます母のような声音だった。
(故郷かぁ……)
いつの間にか眠っていたのだろう。フリーは真夜中に目が覚めた。耳を澄ますも、寝息しか聞こえない。だが護衛のどちらかは起きているはずだ。炊事場の方から微かな灯りが漏れ、影が揺れていた。
布団を蹴とばし、フリーはもんもんと思考をめぐらせる。
(もう何も残ってないのかな)
ごろりと寝返りを打ち、天井を見上げる。今思えば村を襲ったあの雪崩も怪しく思えてきてしまう。ヒスイ――いや、魔研の仕業なのだとしたら、雪崩村の住人は殺されたことになるのではないか。
ちりり、ちりり、と風鈴の音に似た虫の声だけがかすかに響く。
「……」
長年自分を虐げてきた連中とはいえ、死体が放置されているのはあんまりではないか。恐らく雪の下だし、死体などとうに魔物の餌になっているだろう。それでも墓を建て、手を合わせるくらいはしたかった。村の連中のためではない。踏ん切りをつけるために。前に進むために。そうしなければ、いつまでも無数の亡霊の手が、フリーの全身にしがみついて離れないのだ。
(……重たい)
もう虫の音など聞こえなかった。フリーも苦しむべきだ、死ぬべきだという亡者の声が、いつまでも頭の奥にこだました。
「なんだそれは。馬鹿馬鹿しい」
ニケの低めの声が響いたのは、紅葉街を分断するように流れる雨生川(あまうがわ)だった。
ディドールに顔を見せに行った帰り道。彼女はきっちりお土産の欠片を身につけてくれていた。
ぶらりと立ち寄った雨生川で夕涼み(まったく涼しくない)をしていた時に、故郷のことをニケに相談したのだ。
それで返ってきたのがこの言葉だった。
「ふへ?」
フリーの喉から変な声が出た。
ディドールに顔を見せに行ってくると言うと、ニケは当然のようについてきてくれた。ホクト達もいるが、いまは少し離れた橋の上でなんか揉めている。
草の上に腰を下ろすと、ニケは膝の上に乗ってきた。そのままもたれて顔を上げる。見下ろすと目が合った。
「なんでお前さんを虐げてきた連中の墓なんぞ用意してやらねばならんのだ。正気か?」
正気を疑われた。
首が疲れたのか見上げるのをやめて、ニケはフリーをよじ登ってくる。
「死体なぞ、その辺に転がしておけ、お馬鹿。野生動物が処理してちゃんと土に還してくれるわ。もしも生き残りがいたら、川で食べた「かまど焼き」の上で炙るサービスをしてやってもいい」
背中にきたニケの足を両脇で挟んで背負ってやる。
「僕はそのくらい腹を立てている。その雪崩村の連中に」
「う、うん……」
何をうろちょろしているのか。気になって話が入ってこない。
背中から下りると、ニケはまた膝に座ってきた。
「でもお前さんが気になるというのなら、ついていってやっても構わないぞ? ちょうどお盆だ。図々しく帰ってきた連中の魂を一人ずつ引っ叩いてやれ」
「別に引っ叩くつもりは……」
苦笑気味にニケの顔を覗くと、赤い目は真剣そのものだった。
「でも嬉しいよ。そんな風にニケが怒ってくれて」
三角の耳をいじりながら、ニケは嘆息する。
「お前さんだって、僕が傷つけられたら怒るだろう?」
「うん」
ニケを殺す宣言をしたヒスイは許さないし、鬼は胴体に風穴を空けてやったのだ。ニケを傷つける者がいれば、内臓を吐くまで殴る。
ヒスイと鬼を取り逃がしたのは痛い。しかも、ニケを殺すと言った奴らなのに、そんな奴らでも殺すのを躊躇している自分がいる。殺さなくてはいけない相手なのに。
フリーは夕方になってもまだ明るい青空をのほほんと眺め、物騒なことを考えた。
「はあ。一度宿に戻った話はしたよな? その時確認したけど、お墓も無事だったんだ」
「ふへあっ?」
びくりとフリーの身体が揺れる。お姉さんの話は聞かなかったことにしたが、ニケの口からその話が出ると落ち着かなくなる。
「なんだ? 変な声を出して」
「あっううん! なんでもない」
フリーは何も知らない体で慎重に言葉を選ぶ。
「お、お墓って……? ご両親の?」
「ん? ああ、言ってなかったか? 僕のおじいちゃ……祖父と父と母が眠る墓だ」
当然のように、姉の名前は出さないニケを、フリーは見ることが出来なかった。
「祖母さん、は?」
「別の場所にお墓がある。祖母の大好きな水実桜(みずみさくら)がある霊園で眠っているって、聞いた」
ぷにぷにと頬をつつく。
「れいえん?」
「え? あー……。公園みたいな、きれいで開放的な場所だ。そこにお墓がある」
油断していたニケはしどろもどろになる。霊園はこの説明であっていただろうか。帰ったら翁に聞こう。
「そうなんだ」
「だから、墓も無事だったし、墓参りに行こうと思って。そのついでに、お前さんの雪崩村にも、寄ってみるか?」
フリーは目を丸くした。
「いいの?」
「いいけど、お前さん。村の場所正確に覚えているんか? 危険な場所だし、迷っている余裕はないぞ?」
胡乱げにじとっと見てくる眼差しに「た、多分」と返す。
「ふふっ。ありがとう。ニケ」
「別に。僕の墓参りがメインで、お前さんのはついでだ。ついで。もし生き残りに出会ったら、一発かませよ? 顎狙え、顎」
「物騒な会話してるっすね」
しゅっしゅっと殴る真似をしていると、右側にホクトがしゃがみ、フリーを挟んだ左側でミナミが立ったまま川を眺めている。ふたりとも頬が赤いので、一通り喧嘩したあとなのだろう。
ニケはフリーの右手を掴むと、自分の膝の上に乗せる。
「今後の予定を話し合っていただけですよ。お墓参りに行くことに決まりました」
ミナミがばっと顔をこちらに向けてくる。
「あれぇ? キミカゲ様と一緒に行くって話は?」
ホクトもうんうんと頷く。なにやら焦った様子で。
ニケはどっちの顔を見て話せばいいか迷ったので、正面を見て腕を組む。
「それはまた今度で。別に僕「行く」って言ってないし」
自分が寝ている時に決められた話。ニケはのけ者にされたと感じたらしい、少し不機嫌そうな拗ねた声だった。
(あちゃー……)
(キミカゲ様。泣くっすねぇ)
二人が小声でなんか言った気がしたが、ニケはフリーの手で遊ぶのに忙しかった。
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