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――F・アルファ?
英司の言葉を一度頭の中で繰り返す。
「ニュースでは、抑制剤を打っても混乱状態のアルファがいたって話だ。集団によるヒートだし、空気の籠もる地下内だから、尚更強いフェロモンを感じる状態だったんだろ」
英司は軽く鼻をかいて続ける。
「だけど君の様子からは、フェロモンの影響を全く受けていないように見える。抑制剤は打った?」
「……薬は打ってない。俺、オメガフェロモンに反応しないから」
壱弥の返答に、響と英司は互いに目をやる。
やっぱり彼はF・アルファだ。
F・アルファ――正式名称、フィアラル・アルファ。
稀少種アルファの中でも0.0005%程度、国内におよそ百人程度しか確認されておらず、その生態のほとんどが未解明だ。
現時点で知られている主な特徴は、身体能力は通常のアルファよりも優れているが、知能が低く小学生程度のIQしかないということ。
そして、F・アルファの一番の特異性として上げられるのが、オメガのフェロモンに影響を受けず、ヒートフェロモンで発情しないということだ。
知能指数と繁殖能力が劣り、身体能力のみが異常に特化していることから、フィアラル(野生的・凶暴・野蛮)と名付けられ、 "野生アルファ" とも呼ばれている。
地下鉄で響を助けてくれた超人的な身体能力と、年齢の割に幼さが目立つ言動、ヒートフェロモンが詰め込まれたあの空間に、抑制剤なしで居られたこと。
壱弥のそれら全ては、F・アルファの特徴と一致する。
「……神様」
壱弥が響を呼んだ。
その声は小さく、まるで叱られた子供のように不安げだった。
「……俺は、フィアラルだけど……でも、凶暴じゃない。暴力なんてしないよ。だからまだ、追い出さないで。……あと少しだけでいいから」
大きな身体を縮め、男が必死に言葉を繋ぐ。
凶暴じゃない。追い出さないで。
彼の言葉だけで、今までF・アルファとしてどんな風に扱われてきたかが分かった。
「オッケー。だったらひとつ、提案がある」
英司が左の口角を上げ、楽しそうに目を細める。
この男が今のように、何かを企んでいる顔で提案を申し出た場合、響は笑顔で彼に賛同するか、呆れ顔で却下するかの、どちらかのリアクションを取ることが常だ。
「壱弥くん。うちで働かない?」
今回はどっちだと身構えていた響は、どちらの反応も示せなかった。
あまりに唐突すぎて。
代わりに壱弥が、目を大きく見開き、それでも即座に「働く!」と答える。
「よし。良い返事だ。ボス、彼を採用しようと思うんだけど」
「……待て。俺にも分かるように、採用理由を説明して」
響は答えながら、カフェスペースへ向かう。カフェインが欲しくなる話が、きっと今から始まるはずだ。
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