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「今日も、ここまで壱弥に運転してもらったんだよ。すごく快適だった」  実際、左ハンドルの英司のポルシェを、壱弥はなんの問題もなく運転した。急発進や急停車することもなかったし、駐車や車線変更もスムーズだった。 「……それならいいけど。ほら、前向け」  美琴がピスタチオのマカロンに手を伸ばす壱弥の顔を、正面の鏡に戻す。 「なるべく車で移動しなよ。今回みたいなこともあるし。あの集団ヒート、ドラッグやったオメガが起こしたんだろ?」  再び一定のリズムで始まったシザーの音を聞きながら、響は頷く。 「そうみたいだね。でも、納得だよ。あれは普通のヒートって感じじゃなかった」  響が巻き込まれた地下鉄の事件は、ここに来て新たな展開を見せ始めている。ヒートを起こしたオメガ数名、全員が違法薬物を使用していたことが分かったからだ。 「薬の成分はTXに似てるって話だよな。TXの強化版が出回ってるってことか」  美琴の言うTX、Thrill Extend(スリル・エクステンド)は、セックスドラックと呼ばれる類の違法薬物だ。オメガが使用するとフェロモン量が増え、自身とアルファに強い興奮を与えることが出来るという。  そのTXの効果を増幅させたドラッグ使用者達が、今回の事件を起こしたとされている。 「まぁ、とにかく響が無事で良かったけどな。……よし、響の恩人の完成。いかがですか、お客様」  オーナースタイリストらしく、美琴は上品な営業スマイルを浮かべ、壱弥のクロスを外した。  無造作ヘアではない本物の無造作だった壱弥の髪は、見違えるようにすっきり軽い。長かった前髪もセンターで分けられ、隠れていた目がよく見える。少したれ目がちな、綺麗な二重。  悪くない見た目だろうとは思っていたけれど。これは、悪くないってレベルじゃないな。身長も雰囲気もあるから、ファッション雑誌の表紙を飾るモデルみたいだ。 「……響、どう?」  カットチェアから立ち上がり、壱弥が響の側に寄って来た。  採用の条件として、神様呼びを禁止したら、響と呼ばれるようになった。  響自身、特に呼び方に拘りはないので好きにさせているけれど、英司のことは「英司さん」と呼ぶのには、若干の不満がある。 「すごく似合ってる。……お前、イケメンだね」 「イケメン?……かっこいい?」 「うん。かっこいい」  響が目を細めると、壱弥は眉を下げ、とても嬉しそうに笑った。 「ありがとう。でも、響もすごくかっこいいよ。かっこいいし、綺麗」  壱弥に手を取られ、引き寄せられる。響はその腕を振り解くこともなく、されるがままだ。  壱弥が何彼(なにか)につけて響を褒め称えたり、触ったりくっついたりするのに、この二週間ですっかり慣れてしまった。  ――そう、アルファに触れられることに慣れた。最も警戒していた存在のアルファに。  壱弥は例外だった。出会った瞬間から。  F・アルファだから大丈夫だと理性が考えるより先に、響の本能が彼を受け入れている。  どうして?――この疑問は、今日に至るまでには解決されていない。  美琴のサロンに来てからも、壱弥は「響カッコいい、綺麗、素敵だ」を連呼し引っ付いてくるので、美琴に「まるで大型犬だな。ドーベルマン」と呆れられた。 「なんでドーベルマン?」  響が尋ねると、美琴が左の口角だけ上げて笑う。 「ドーベルマンは、元々護衛犬として作られたから、主人を守る本能が発達してるんだよ。忠誠心も強いし、狩猟犬としても優秀。イチにピッタリだろ」 「……ボディーガードを雇っただけで、犬は飼ったつもりないんだけど?」  美琴に答えながらも、響は思う。  ――大型犬か。ドーベルマン……確かに、ピッタリ。 「イチは響がご主人様で嬉しいよな?」 「めちゃくちゃ嬉しい!」  ぎゅうと響を腕の中に閉じ込める壱弥に、あるはずのない耳としっぽが見える気がした。

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