13 / 63
12
「今日も、ここまで壱弥に運転してもらったんだよ。すごく快適だった」
実際、左ハンドルの英司のポルシェを、壱弥はなんの問題もなく運転した。急発進や急停車することもなかったし、駐車や車線変更もスムーズだった。
「……それならいいけど。ほら、前向け」
美琴がピスタチオのマカロンに手を伸ばす壱弥の顔を、正面の鏡に戻す。
「なるべく車で移動しなよ。今回みたいなこともあるし。あの集団ヒート、ドラッグやったオメガが起こしたんだろ?」
再び一定のリズムで始まったシザーの音を聞きながら、響は頷く。
「そうみたいだね。でも、納得だよ。あれは普通のヒートって感じじゃなかった」
響が巻き込まれた地下鉄の事件は、ここに来て新たな展開を見せ始めている。ヒートを起こしたオメガ数名、全員が違法薬物を使用していたことが分かったからだ。
「薬の成分はTXに似てるって話だよな。TXの強化版が出回ってるってことか」
美琴の言うTX、Thrill Extend は、セックスドラックと呼ばれる類の違法薬物だ。オメガが使用するとフェロモン量が増え、自身とアルファに強い興奮を与えることが出来るという。
そのTXの効果を増幅させたドラッグ使用者達が、今回の事件を起こしたとされている。
「まぁ、とにかく響が無事で良かったけどな。……よし、響の恩人の完成。いかがですか、お客様」
オーナースタイリストらしく、美琴は上品な営業スマイルを浮かべ、壱弥のクロスを外した。
無造作ヘアではない本物の無造作だった壱弥の髪は、見違えるようにすっきり軽い。長かった前髪もセンターで分けられ、隠れていた目がよく見える。少したれ目がちな、綺麗な二重。
悪くない見た目だろうとは思っていたけれど。これは、悪くないってレベルじゃないな。身長も雰囲気もあるから、ファッション雑誌の表紙を飾るモデルみたいだ。
「……響、どう?」
カットチェアから立ち上がり、壱弥が響の側に寄って来た。
採用の条件として、神様呼びを禁止したら、響と呼ばれるようになった。
響自身、特に呼び方に拘りはないので好きにさせているけれど、英司のことは「英司さん」と呼ぶのには、若干の不満がある。
「すごく似合ってる。……お前、イケメンだね」
「イケメン?……かっこいい?」
「うん。かっこいい」
響が目を細めると、壱弥は眉を下げ、とても嬉しそうに笑った。
「ありがとう。でも、響もすごくかっこいいよ。かっこいいし、綺麗」
壱弥に手を取られ、引き寄せられる。響はその腕を振り解くこともなく、されるがままだ。
壱弥が何彼 につけて響を褒め称えたり、触ったりくっついたりするのに、この二週間ですっかり慣れてしまった。
――そう、アルファに触れられることに慣れた。最も警戒していた存在のアルファに。
壱弥は例外だった。出会った瞬間から。
F・アルファだから大丈夫だと理性が考えるより先に、響の本能が彼を受け入れている。
どうして?――この疑問は、今日に至るまでには解決されていない。
美琴のサロンに来てからも、壱弥は「響カッコいい、綺麗、素敵だ」を連呼し引っ付いてくるので、美琴に「まるで大型犬だな。ドーベルマン」と呆れられた。
「なんでドーベルマン?」
響が尋ねると、美琴が左の口角だけ上げて笑う。
「ドーベルマンは、元々護衛犬として作られたから、主人を守る本能が発達してるんだよ。忠誠心も強いし、狩猟犬としても優秀。イチにピッタリだろ」
「……ボディーガードを雇っただけで、犬は飼ったつもりないんだけど?」
美琴に答えながらも、響は思う。
――大型犬か。ドーベルマン……確かに、ピッタリ。
「イチは響がご主人様で嬉しいよな?」
「めちゃくちゃ嬉しい!」
ぎゅうと響を腕の中に閉じ込める壱弥に、あるはずのない耳としっぽが見える気がした。
ともだちにシェアしよう!