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響の家族や一条グループの幹部達も、皆この病院を常用していた。
「うん。特に問題はなさそうだね」
主治医である木之原 が、電子カルテから響へ視線を移した。
眼鏡の奥に、柔和な目尻の皺が見える。白髪混じりの髪を綺麗に後ろに撫で付けた、五十代半ばの紳士的な雰囲気の男だ。
響が後天性オメガだと診断を受けた時、その検査を担当したのが木之原だった。
戸惑い混乱する響に寄り沿ってくれて、その後も響の心身のケアに尽くしてくれている。
彼が担当医になってくれたことは、まさに不幸中の幸いだと思う。響は木之原の医者としての能力も、患者に対する誠実で真摯な姿勢も尊敬している。
「あの地下鉄の事件以降、体調は悪くなったりしてない?」
「はい。大丈夫です」
「よかった。次のヒートの予定は……一ヶ月くらい先かな」
オメガのヒートは、その頻度も期間も個人差が大きい。響は三ヶ月に一回、大体三、四日かけて落ち着いていく。
他のオメガと響が決定的に違うのは、ヒート時の症状だ。
ノーマルなオメガは、発情し身体がアルファを欲するのに対し、響は性的欲求をほぼ感じない。代わりに気分が悪くなり、ウイルス性の胃腸風邪にでもかかったように胸がジクジクとむかつき、嘔吐感に襲われる。
他のオメガのフェロモンに対して発症する症状が、自身のフェロモンに対しても表れるのだ。
ヒート期間中発情し続けるのも辛いだろうが、げえげえと吐き続けるのもかなりキツい。考えただけで憂鬱になり、思わず溜め息をこぼした。
「体調以外に、何か変わったことはある?そうだ、壱弥君はどう?彼は元気?」
木之原が明るい声で言う。
完全個室の診療室には、診察中は本人と担当医、必要ならば看護師、そして家族以外は立ち入り禁止だ。壱弥には部屋の外で待機してもらっている。
「めちゃくちゃ元気です。今日も朝から、大きなサンドイッチ二つと、英司のポテトを完食してました」
木之原が「それは元気そうだな」と笑う。
木之原には、壱弥のこと話してあった。
F・アルファの壱弥に木之原は相当興味を惹かれたらしく、色々な検査やカウンセリングを進めていたが、壱弥が乗り気でなかった為にどの話も実現していない。
「あいつには驚かされることが多くて。TX+常習者を、匂いで見つけたり」
「……TX+?どういうこと?」
驚く木之原に、壱弥がその匂いを嗅ぎ取った時の様子を掻い摘んで説明した。流石に、取引先の社長の御子息だということは伏せたけれど。
木之原はうーんと考えるように顎下に手を置く。
「ああいったドラッグは大麻なんかと違って、そこまで匂いは残らないはずだが……前日の夜、もしくは当日の朝使用していたとしても、それを嗅ぎ取れるのはすごいな」
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