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感心している木之原に、響は口元を緩める。彼が次に何を言うか分かったから。
「響君、ぜひ壱弥君に――」
「検査のお誘いなら、本人に直接どうぞ」
木之原の言葉を先取りすると、彼は眉を下げ、頭をかいた。壱弥に断られることを理解しているのか、苦く笑っている。
「それにしても、あの薬はなかなか問題になってるね」
緩く首を振って、木之原が電子カルテを閉じた。
木之原が淹れてくれた紅茶を一口飲んで、響も頷く。
地下鉄集団ヒートという大きな事件になり、良くも悪くもTX+への認知度や関心度は高まった。その影響で、ここ最近薬を悪用した犯罪が増えている。
同意あるセックス時の使用ではなく、クラブやパーティーで、知らぬ間に飲食物にTX+を混入されたオメガが、レイプなどの性被害を受けるという事件が連日のように報道されている。
「響君は、そういった場所へは行かないだろうし、大丈夫だとは思うけど。十分注意するんだよ」
「そうですね。でも、俺は大丈夫ですよ。壱弥もいるし、このカラーも着けてるし」
タートルネックを少しずらして、首元に隠れていたカラーを覗かせる。
「そのカラー、コンペクションに出しているものだよね。一次審査の結果は出たのかい?」
「はい。通過の連絡が、つい先ほど」
笑顔で答えると、木之原の顔が一瞬曇った。一緒に喜んでくれると思っていたから、首を傾げる。
「先生?」
「……ああ、いや、おめでとう。さすがだよ。……ただ、そうなるとこれから表に出る機会も増えるだろうと思ったら、やはり少し心配でね」
不安げな表情の木之原を安心させようと、響はにこりと笑う。
「このカラーはセキュリティーも優れてますから。万が一何か盛られたとしても、センサーが反応していち早く異常に気づけます」
響たちが開発したカラーには、最新の高精度センサーも搭載されている。
体温や心拍数、血中酸素濃度などの計測が可能で、異常な生理的変化や特有の生体反応が検出されると、即座にユーザーの元に情報が送られる。
このカラーの試作品が完成したばかりの頃、英司と木之原の三人で飲んだことがある。
完成したことが嬉しくて、響は珍しくはしゃぎ、飲みすぎた。
英司がもうやめておけと言うのを無視してワインを飲み続けたら、カラーの警告アラートが鳴った。
正常値以上の血中アルコール濃度にセンサーが反応し、その働きを見事証明してみせたのだ。
「先生もこのセンサーの優秀さ、実際にご覧になりましたよね?」
あの夜の自分の浮かれぶりを思い出し、恥ずかしさで目を伏せる響に、木之原も笑顔を見せた。
「そうだね。まさに科学と医療が融合した、素晴らしいカラーだ。これが商品化されれば、よりバース性に囚われることのない世界に近づくだろうね」
「俺もそう願ってます」
今回のカラーコンペに参加を決めたのは、事業拡大の一環だけでなく、オメガの自分だから出来ることがある、という響の信念によるものだ。
全てのバース性が、差別なく自由に生きられる社会。その実現に貢献することが、自分がアルファからオメガになった意味だと思っている。
そう思えるようになったから、部屋に引きこもる生活を終わらせ、進学し、会社を起こすことが出来た。
「それじゃ、また次の健診で。それまでに何か気になることがあれば連絡してね」
「はい」
木之原に会釈し、ソファから立ち上がった。
部屋を出る前、響はローテーブルに置かれた個包装のチョコレートを一つ取る。木之原が贔屓にしているチョコレート専門店のもので、知る人ぞ知る、九段下の隠れた名店なのだと、以前熱くプレゼンされたことがある。
「先生、これひとつもらっていいですか?」
「もちろんだよ。響君がお菓子食べるの、珍しいね」
「俺じゃなくて、外で待ってくれてる奴に」
木之原が納得したように笑い、響は両手からこぼれ落ちるくらいのチョコを持たされて診察室を出た。
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