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「っあ!……ん、い、ち……っ」  ぶわりとフェロモンが匂い立ち、今にもその蜜に浸かってしまいそうになる。  俺は響を支配したいんじゃない。大事にしたい。傷つけたくない。オメガだとかアルファだとか、バース性が何であろうと関係ない。  響は俺の唯一で、全てだ。  誰よりも、なによりも大事で大切な存在なんだと響に伝わるよう、興奮に震える手で、出来る限り優しく触れた。 「……響は響だよ。俺の、ただ一人の神様だ」 「……壱弥、……っふ、あぁ……っ」  壱弥の手によって高みに追い詰められ、響は熱に浮かされたように余裕なく喘ぐ。  額に、唇に、頰に、優しくキスをしながら、壱弥も浅い呼吸を繰り返す。懸命に、自分の下半身のことは忘れるよう努める。  一際高く声を上げ、響が壱弥の手を濡らした。果てた後の余韻に身体を震わせる響を、あやすように抱きしめる。  少しの間そうしていると、響の荒い呼吸も、甘い毒のようなフェロモンの匂いも弱く薄くなっていく。 「響……どう?……落ち着いた?」  尋ねると、響は小さく頷いた。  オメガのヒートがどれくらいの行為でおさまるのかは、個人差やアルファとの相性が関係して明確な目安がない。前戯と一度の射精でおさまり始めたのは、かなり軽度の発情だったか、響と壱弥の相性が良かったからか。  壱弥はほっと息を吐き、響の額に唇を落とした。 「……壱弥、……ごめん。お前に、こんな……相手させて……」  響の緩んだままの涙腺が、また新しい涙をこぼす。  壱弥はそれを親指の腹で拭い、首を振る。 「俺こそ、……響に謝らないといけないかも」  壱弥は響から少しだけ身体を離し、改まった顔を作る。 「……どうして?」  濡れてキラキラとした響の瞳に映る自分を見つけ、離れたわずかな身体の距離を今すぐに埋めたくなる。堪えて、壱弥は真面目ぶった声を意識する。 「……怒らないで聞いてほしいんだけど」 「……うん」 「もう少し、ヒートが長引けば良かったと思ってる」 「……え?」 「もっと、響に色々したかった」  響の唇に触れるだけのキスをして、悪戯っぽく笑ってみせる。  壱弥を見上げていた響もようやく、数時間ぶりに笑顔になった。 「ばか」  響の涙は止まっている。 「……壱弥、ありがとう」  彼の顔には、涙の代わりに壱弥が最も心惹かれる綺麗な微笑みが浮かぶ。 「うん」  壱弥は再び響を抱き締めて、その背中をゆっくりと撫でた。響は目を閉じ、しばらくすると穏やかな寝息をたて始める。  夜は静かで、全てが落ち着いたようだった。響のヒートも、それに伴う混乱も。  壱弥はそっとベッドから抜け出し、響に毛布をかけなおす。そのままバスルームへ向かい、シャワーを浴びた。  湯気で曇る鏡には、今夜の混乱を十分に継続している男が映っていた。  ――発情した、のだと思う。  純粋な性的興奮とはまた違う、あの異常なまでの欲求は、本能からくるものだ。  アルファの、オメガを支配したいという強い本能。いまだに緩く興奮を残す下半身を見て、壱弥は唇を噛む。  フィアラルなのに、確かに自分は響のヒートフェロモンに反応していた。  壱弥は今まで、治安の悪い地域や環境での仕事経験も多かったため、裏路裏や派遣先の現場などでヒートを起こしているオメガに出くわす機会もそれなりにあった。  けれど、ヒートフェロモンには僅かにだって反応したことはない。ただの一度も。  ――それなのに。……どうして。  嫌な緊張が背中を強ばらせる。  乱暴に髪をかき上げ、「嫌だ」と漏れた言葉はシャワーに消えた。  F・アルファである自分が、響のヒートにだけ反応した理由は分からない。  ただひとつ、今分かっているのは、もう響の側にいることは出来ないということだった。

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