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「今回の検査結果だけれど、ホルモン形成値に大きな変化があるね」
診察室に置かれたクリスマスツリーのライトの点滅に気を取られていた壱弥は、木之原の声に視線を戻した。
「今までは後天性ゆえの変則的な値だったけれど、今回はオメガの基準値の範囲内だ」
パソコンモニターに映る数字を指差しながら、木之原が説明を続ける。
響のヒートから五日が経っていた。
ヒート症状の変化を木之原に伝え、改めて検査をしてもらった。
その結果の説明には、いつもなら響の診察が始まる前に退室する壱弥も、同席するよう言われた。
「これは、響君の身体がノーマルなオメガに近づいているということだと思う。ヒート周期の乱れや今回のヒート症状の違いも、その過程によるものだろう。まだ数値が低いから、発情は弱く短い傾向にあると思うけど」
「はい。今回は一日で落ち着きました。……今後も、その変化は続くと思いますか?」
響が木之原に尋ねる。
「……そうだね。でもこれは、変化というよりは、本来の形におさまっていく、という方が自然かもしれない。オメガとして安定していくのは悪いことではないよ。使える薬も増えるし、不測の事態のリスクも減る」
壱弥は、"本来の形におさまっていく"という木之原の言葉に、既視感を覚えた。
響がヒートを起こし発情したあの夜、壱弥も似たような感覚を味わった。
激しい欲望と征服欲が沸き上がり、その一瞬、「元からあったものが正しく作用し始めた」と感じたのだ。
「それで……これはあくまでも僕の推測なんだけど、響君の体質変化のきっかけは、壱弥君にあると思うんだ」
「……俺?」
首を傾げる壱弥に、木之原が頷く。
「君たちは多分、かなりバース相性が良い。今回のヒートが軽い行為でおさまったことからもそれは伺えるし、なにより、響君がアルファ相手にそこまで心を許しているのは珍しい。例え彼が、フィアラルであってもね」
それを聞いて、木之原に同意したよう響が頷く。
「そうですね。……壱弥は、特別です。出会った時から。不思議だけど、一緒にいるとすごく安心します」
優しく目を細める響と目が合う。その綺麗な笑顔と、壱弥を特別だと言ってくれたことに胸が熱くなり、そして鋭く痛んだ。
バースの相性がいいから響に発情する。発情するから響の側に居られない。響と相性がいいという事実は単純に嬉しいけれど、この状況では何も喜べない。
「壱弥君と響君は、互いのフェロモンに強く惹かれ合っている状態なんだと思う。そして、その影響で響君に変化が生じた」
木之原がキャスターチェアを動かし、壱弥へ身体を向けた。
「壱弥君は響君と出会って、何か自分に変化を感じることはない?」
「――えっと……俺は、……どうかな……」
咄嗟に言葉を濁す。変化はあった。“発情した”という、フィアラルの定義を覆すような重大な変化が。けれどそれを伝えるわけにはいかない。今はまだ。
「……あー、……そういえば、最近特に感覚が冴えてる、っていうか……目を耳も鼻も、もっと良くなった感じがする。“なんとなく”って思ったことも、よく当たるし」
壱弥は言いながら、自分の身体に貼ってあるアルファ用の抑制剤を意識する。
なんとなく買い換えたそれは、響に発情したあの日から毎日使用していた。
腰に二枚と腹にも一枚。用量を完全に超過しているけれど、それでも全然安心できない。
「……なるほど。五感と、第六感も鋭くなっている状態なのかもしれないね。守るべき存在が出来たアルファに、よく見られる傾向だ」
木之原は一息つくように席を立った。
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